僕は牧師になりたかった

トモユキ

僕は牧師になりたかった

 子供の頃、日曜日は朝から教会に通っていた。それはいつ始まったかも覚えていない、僕の習慣だった。

 朝早く起きて幼稚園併設の教会に行き、讃美歌を歌って、お爺ちゃん牧師の説教を聞く。

 ミッション系の小学校に通っていた僕にとって、その礼拝習慣に違和感はなく、むしろ喜んで通っていた。


 こう言うと、敬虔なクリスチャン家庭で育ったのかしら、とか、小さい頃から信心深かったのね、と思われる人もいるがそれは違う。

 僕が楽しみにしていたのは、礼拝後に振る舞われる、ささやかなランチとお菓子。そして友達と一緒に幼稚園の園庭で遊ぶ事だ。

 教会に行けば友達と遊べる。だから僕は通っていた。神も仏も子供にとっては壮大過ぎて、どうでもいい事なのだ。


 小学校も高学年になってくると、一緒に通ってた友達は塾だ受験だと、じょじょに少なくなっていった。

 それでも僕の足が自然と教会に向かっていたのは、常連のおばさん達が毎週通う僕を褒めてくれたからかもしれない。


 そうやって何年も通っていると、牧師の説教も何度も聞いた話ばかりになってくる。

 牧師の説教というものは、イエス・キリストが話した例え話や奇跡を通して、現実世界の僕達がどう感謝して生きるかを問うものだ。

 ところがこの例え話というのはそんなに多くない。有名どころで三十個強、もちろん新作は発表されない。

 面白くないなぁ、早く終わらないかなぁ。僕はそんな事ばかり考えて座っていた。


* * *


 ある日いつものように教会に行くと、いつもの爺ちゃん牧師と一緒に、四十歳代くらいの牧師がいた。

 どうやら爺ちゃん牧師の教え子らしく、その日は特別にその人が説教をするようだった。

 そして僕は、衝撃を受ける事になる。


 壮年牧師は序盤に時事問題を語って皆の興味を惹き、それに絡めて聖書の教えを説いていた。とても面白い説教だった。

 はつらつとした声、情熱溢れる信仰心。爺ちゃん牧師には悪いが、語る人が違うとこうも違うのかと目から鱗が落ちる気分だった。


 その壮年牧師の教会を聞き出すと、次の日曜日、僕は彼のいる教会にお邪魔した。

 そこで僕は自分が井の中の蛙であった事を、改めて思い知る事になる。


 その日の彼の説教は、爺ちゃん牧師の教会で聞いた説教よりも、明らかに魅力が増していた。

 熱弁にも磨きがかかり、聞いている参列者との一体感もあって、ひとつの完成されたステージ・パフォーマンスのようにも見えた。

 こんな説教を聞いてしまったら、とても爺ちゃん牧師の教会に戻る気になれない。僕はあっさり教会を鞍替えし、将来は彼のような牧師になりたいと、小学生男子にしてはちょっと風変わりな夢を持つようになった。


 ここで重要な教訓は、牧師の説教はアウェーよりホームの方が面白いという事だ。

 牧師が知り合いの教会に招待され、説教をする際、当たり前だがしっかりした説教を披露しなければならない。もちろん遊びの要素は抑え気味、真面目な語りが長くなる。

 しかしホームの教会での説教に、そんな制約はない。

 牧師はその熱烈な信仰心を思うがまま解放し、聴く人にいかに興味を持ってもらうか、考え抜いた最高の説教パフォーマンスを披露してくる。アウェーの説教より面白いに決まっている。


 壮年牧師の教会は、積極的に外部の牧師を招待する、割と珍しい教会だった。

 おかげで僕は色んなタイプの牧師の説教を聴く事ができた。

 イマイチだなと思う牧師であっても、キラリと光る何かがあれば、僕はその牧師の教会を訪れた。

 その実力が存分に発揮されるホーム教会スタジアムで、彼ら自慢の速球を受け止めたかったのだ。

 そして、自作の牧師ランキングを紙に書いて作った。ここまでくるとちょっとした牧師フリークである。


 今振り返ってみると、僕がここまで牧師にハマったのには、ちょっとした訳がある。

 僕は小学校低学年からずっと、道場で柔道を習っていた。

 月曜から金曜まで五日間、夕飯を食べ終わった十八時~二十一時頃まで。結構本格的にやっていた。

 必然的に、僕はほとんどテレビ番組を見ていなかった。芸能人にも疎いしお笑い番組もほとんど知らない。

 だからこそ牧師の説教は、僕にとっては芸人の漫談のように思えていて、その魅力に夢中になっていた。

 他の子供が芸能人に憧れるような感覚で、僕は牧師に憧れた。いつか牧師になって大人に最高の説教をしてやりたい。そう思うようになっていた。


 でもそれは僕が中学生になるまでだった。


* * *


 中学に入学して柔道部に入った僕は、道場にほとんど通わなくなった。

 おかげで夜の時間帯、僕はテレビを見る事ができた。夜更かしをして深夜ラジオを聴くようになったのもこの頃だ。

 いつの間にか日曜日は昼頃まで寝てるようになったし、午後は友達と遊びに行ったり、ゲームしたり、漫画を読んだりしていた。

 中学生、高校生らしい趣味や興味に夢中になり、僕の足は自然と教会から遠のいていった。


 そして高校三年生の春、僕は再び教会に通うようになる。


 きっかけは単純でいて不純。当時好きになった子が、転校生のクリスチャンだったからだ。

 その子の気を引きたい一心で、小学校時代の教会通いを話したところ、今度一緒に行きましょうという運びになった。

 これが大人だったら、アヤシイ新興宗教かもと警戒するところだが、なんといっても高校生男子だ。

 好きな子とデートできるなら、教会でも神社でも墓参りでも、スキップしながら行ってしまうお年頃なのだ。

 

 電車で三十分ほど離れたその教会には、同学年の顔見知りも何人か来ていて、僕を温かく迎え入れてくれた。

 その教会の牧師はO先生という、地元の高校に勤める教師だった。

 久々の礼拝に懐かしさを感じながら、僕はO牧師の説教を聞いた。


 驚愕した。


 牧師のクセに俗っぽい世間話はコミカルで、いきなり皆の笑いを取っている。日常のヒトコマに神の教えに基づく疑問が生まれ、聴く人に気づきを与えてくれる。展開される論調は理路整然としていて、それでも確かな熱量がメッセージとなって伝わってくる。

 序盤、隣で大笑いしていたご婦人が、終盤にはハンカチを手に涙を浮かべている。

 その巧みな構成力、強い信仰心、心揺さぶる話術の極み。どれをとっても高次元で、かつて牧師フリークだった僕の血が熱い興奮で煮えたぎった。

 その実力は、小学校時代に通っていた壮年牧師ですら足元にも及ばない。

 僕の牧師ランキングは、全てO牧師の名前で埋め尽くされた。


 僕はとにかく、O牧師の説教に深く感動してしまった。

 それは彼女への想いが儚く失恋に終わった後でも、高校生男子を教会に通わせるくらいの感動だった。

 僕は高校三年生になって再び教会に通いつめ、O牧師の説教を思う存分堪能した。


* * *


 季節は過ぎ去って、もうすぐ高校を卒業する二月初旬。僕は地方の大学に無事合格していた。

 その日礼拝が終わると、O牧師は僕を自宅の夕食に招いてくれた。

 招かれたのは僕一人。周りの大人や友達は、僕の肩を叩いて祝福してくれた。

 教会に長年通う僕はその意味を十分理解していた。


 洗礼の誘いだ。


 色々と面倒な話なので詳細は省くが、洗礼とは、キリスト教の救いを信じ、神と共に歩むために、今までの罪を水で洗い流す儀式の事だ。

 簡単に言えば、クリスチャンになるための儀式と言っていい。

 僕が地方の大学に進学する事を知ったO牧師は、この教会で洗礼を受けてから旅立っていかないかという、どちらかというと餞別の意味あいが強かったのだと思う。


 別に洗礼を受けたからといって、何か生活が変わるわけではない。

 神社に行ってもいいし、葬式も仏教でいい。お墓参りだって全く問題ない(と、僕は勝手に思っている)

 実際、過去に洗礼式を何度も見た事があるけど、今は教会と縁遠い人も多い。


 とりあえず両親には相談した。大学進学を機に、お世話になっている教会の牧師から、洗礼を受けないかと誘われている、と。

 さすがに強い反対はなかった。それでも父は、できれば止めてほしいとはっきりと言った。

 長年ミッション系の学校に通わせたものの、まさか柔道やってる長男がクリスチャンになるとは、想像もしてなかったのだろう。お墓やら檀家やら、色々面倒な事が父の頭をよぎったからかもしれない。

 対照的に母と姉は僕のクリスチャンネームを勝手に付けて、なんか似合わなーいと言って盛り上がっていた。


* * *


 O牧師の自宅に招かれた僕は、奥さんのちょっと豪勢な手料理を戴きながら、O牧師と話していた。

 意外かもしれないが、教会以外でO牧師と話すのはこれが初めてだった。

 O牧師の好物がカズノコだと聞いて驚いたし、牧師の癖にしゅわしゅわした大人の飲み物をついでくれたのも、意外だった。

 奥さんと一緒に三人で、春から行く大学の話などをした後、O牧師はついに洗礼の話を切り出してきた。


 僕は覚悟を決めて、自分の思いを二人に伝えた。


 今まで僕が教会に通って感じていた事。

 キリスト教というものが、僕にとってどういう教えなのかという事。

 家族や友人、自分の将来の事。

 そして僕が、洗礼を受けない事を。


 拙い口調だった。

 僕はなんて思い上がりだったんだと、恥ずかしくなった。


 あれだけ上から目線で牧師を批評し、一人悦に入っていた僕の話は、ランキングの末席にも入れやしない。 

 自分の思ってる事、考えてる事を伝えるだけなのに、ユーモアどころか理路整然とすら語れていなかった。

 それでもO牧師と奥さんは、まるで教会の礼拝に参列している人達のように、僕の話を静かに聞いてくれた。

 これが最初で最後の、僕の説教だった。

 自己嫌悪の中なんとか思いを伝え終わった後、O牧師が言ってくれたこの一言を、僕は一生忘れない。


「よくそこまで自分で考えたね。立派だ」


 O牧師と奥さんは、本当に驚いた様子で、僕を褒め称えてくれた。泣くまいと我慢するだけで、僕はそれ以上何も喋れなくなってしまった。


 僕は自分を恥じた。

 洗礼を受けない事を伝えたら、O牧師の機嫌が悪くならないだろうか、怒鳴られたりしないだろうか。心のほんの片隅とはいえ、そんな事を考えていた自分を。

 その後はすっかり酔ってしまったO牧師と、プロ野球の話をした記憶がある。帰りは奥さんが運転する車で、駅まで送ってもらった。


* * *


 大学進学後、夏休みに帰省してO牧師の教会に顔を出した。

 久しぶりに会ったO牧師は、喉の病気に罹ったとの事で、マイクを使って説教をしていた。声量の増減が極端になった以外は、以前と変わらず素晴らしい説教だった。

 久しぶりにその説教を堪能していると、たまたまマイクが切れたようで、彼の肉声が一瞬だけ聞こえてきた。

 僕はぞっとした。

 彼の肉声は、驚くほど掠れた弱々しい声だったのだ。


 その後大学に戻った僕に、O牧師が喉の病気で入院したと、地元の友達から連絡があった。

 僕はお見舞いに行きたかったが、帰省できるタイミングがなかなか合わず、結局その日までお会いする事はできなかった。

 安らかな表情で棺に横たわる彼を見ていると、あの力強い説教が脳裏に蘇ってきて、僕の胸を締めつけた。



 喉の病に侵される前、僕が高校生の頃。

 もしO牧師がハリウッドにいたら、世界はひっくり返っていたと思う。

 並み居る名優、演者を蹴散らして、O牧師は伝説のボードビリアンになっていたはずだ。

 実力が違う、迫力が違う、でも彼の本当の魅力はそこじゃない。信仰心が違う。

 だからO牧師はきっと、どんな名プロデューサーの誘いだろうと断って、教会の壇上に上がり続けただろう。

 そこが彼の、牧師の居場所なのだ。

 そんな彼の説教を、多感な高校生の僕がハリウッドにも行かず聞けた事を、幸運に思い神に感謝している。


 もうあれからどれくらいの年月が経っているのだろう。

 あの頃、僕は牧師になりたかった。

 いくつも他になりたい職業はあったけれど、その夢は、

 僕の中で掛け値なしに、一番尊い夢だったと思っている。


<了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は牧師になりたかった トモユキ @tomoyuki2019

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画