2.僕とゆーちゃんとの出会い
寛と出会ったのは、保育園のとき。
三歳児クラスに上がったすぐの僕は、先生が外遊びをするというので、階段を降りてクラスから靴箱に行っていた。
本当は外遊びはしたくなかった。
クラスで本を読んでおきたかったけれど、普段ならば選ばせてくれるのに、その日はインフルエンザで先生が少なかったのだ。クラスで子どもを見ている先生がいないので、仕方なく担任の先生は全員を外遊びに連れて行った。
人数がぎりぎりだったので、先生もその日は忙しかったのだろう。
靴箱で靴を履くのを躊躇っている僕には構っていられなかった。
『可愛い子だね? 我が遊んでやろうか?』
そのときに声をかけて来た得体のしれない生き物。
着物を着ているが、僕には人間ではないことはすぐに分かっていた。
この声が聞こえることに気付かれてはいけない。
逃げなければいけないのに、全然靴が履けなくて、怖くて震えてしまう。
気が付けば下半身はびっしょりとお漏らしで濡れていた。
濡れた下半身では外に遊びに行けないし、靴をはいたら靴まで濡れてしまう。
どうすれば分からなくて、一人泣いていたときに、寛がやってきた。
「これ、つかえよ」
「い、いいの?」
寛はずっと僕が靴箱から動いていないことも、漏らしてしまったことも気付いていたようだ。
身体を拭くための雑巾と、自分の替えのパンツを差し出して来た。
身体を拭いてパンツだけでも替えたら、先生のところに行ける。
「ありがと! かー、かえで」
「おれ、ゆたか」
その日から寛は僕のヒーローになった。
寛とは小学校も、中学校も、高校も同じだった。
引っ込み思案の僕が上手く何も言えないでいると、寛は前に出て話をしてくれた。
「寛くんは楓くんの通訳だね」
そんなことを言われたこともあった。
僕がはっきりとひとではないものを見られると自覚したのは、小学生で叔母にタロットカードをもらった後だった。
叔母からもらったタロットカードを混ぜて捲っていくと、時々現れるカードがある。それがひとではないものを表していると気付いたのだ。
タロットカードでお告げのようなものが出た日には、警戒して帰っていたのだが、それを聡い寛は気付いてくれた。
「なんか、かーくん、今日、おかしくない?」
「き、気のせい……ぎゃー!?」
誤魔化そうとしたところで、ひとではない何かに首筋を舐められて僕は叫び声をあげた。
『なんて美味しそうな子ども。食べてしまいたいわ』
やばい!
食べられてしまう!?
慌てた僕に寛が落ち着いて話を聞く。
「かーくん、何があったんだ?」
「僕の首を、変なのがなめたー!」
落ち着いて説明なんてできるわけがない。
号泣しながら訴えると、寛は不思議そうな顔をしている。
「かーくんの首、どうにもなってないぞ?」
「怖いよ! ゆーちゃん、僕、食べられちゃう!」
何も見えていないのに、寛は僕の話を信じてくれた。
「この辺か? かーくんを食おうとしてる悪い奴はここか!?」
小さな拳を振り回して寛が虚空を殴ると、その一発が気味の悪い舌を出しているやつに当たった。
『ぎゃああああ!?』
舌を出しているやつは、殴られて退散していく。
「ゆーちゃんがなぐったら、逃げて行った」
「本当か?」
「怖かった……怖かったよ、ゆーちゃん」
泣いている僕を公園に連れて行ってくれて、寛はじっくりと話を聞いた。
泣きながらなので途切れ途切れで、よく分からない話を、寛は辛抱強く繋ぎ合わせてくれた。
「つまり、かーくんには、人間じゃないものが見えてて、ずっとそれが怖かったんだな。でも、どうすることもできなかったということか」
「ゆーちゃんがなぐったら、逃げて行ったよ」
「俺はなぐった感触もないんだけどな」
不思議がっているけれど、寛は男らしかった。
「そんなに怖いなら、かーくんのためにシャドーボクシングやってやるくらい、平気だよ。次からは、俺に言えよな」
それ以来、寛は僕が見えるものが見えないのに、僕を守るために戦ってくれるようになった。
高校を卒業して、寛は料理の専門学校に、僕は文系の大学に進んだ。
その間交流がなかったかといえば、そうではない。
むしろ、交流はあった。
兄弟が多くて、寂しがりな僕を心配して、寛の専門学校と僕の大学が近いこともあって、両親は僕と寛をシェアハウスで一緒に暮らさせたのだ。
家賃は半分で、広い部屋を使えて、お互いに生活を監視し合える。
「かーくん、ご飯ちゃんと食べろよ」
「作るの面倒くさいんだよ」
「もう、仕方ないな。チャーハン作るけど、食う?」
世話焼きの寛と、面倒くさがりの僕は、寛に負担が大きかったかもしれないけれど、寛が専門学校を卒業しても、僕が大学を卒業しても、シェアハウスは続いていた。
寛と僕には共通点があったのだ。
「俺、恋愛をしないタイプだったみたいなんだ」
寛が専門学校時代に告白されたこと。
「女の子と付き合ってみたけど、なんか違うって思ったし、男とも違うし。それで、調べてみたら、アセクシャルっていうのがあるらしいんだ」
誰も恋愛対象にしなくて、性欲もない。
そういうタイプの人間をアセクシャルというらしい。
僕にも心当たりがあった。
恋愛をする周囲の人間の話がどこか遠くて、理解ができないのだ。
恋物語なら感情移入できるが、実際の恋愛となると生々しくてとても受け入れられない。
「多分、僕もそれだと思う」
「かーくんもか!?」
僕の答えに寛は驚いていた。
「それなら、かーくんと老人ホームまでずっと一緒でもいいかもな」
俺たち親友だもんな。
寛が笑う。
僕はその笑顔に安堵していた。
これから先寛が誰かと恋愛をしてしまったら、僕とは離れてしまって、シェアハウスも崩壊する。
それをずっと怖がっていたのに、寛は恋愛をしない人種だった。
僕もそうなのでお互いに何も構えることはない。
「ゆーちゃん、僕のために一生シャドーボクシングしてくれるの?」
「年とってもできるように鍛えないといけないな」
僕の問いかけに対する寛の答えは非常に真面目なものだった。
切ない恋愛物語を書いている僕が、熊のような大男で、アセクシャルだということは読者には隠しておかなければいけない。
大学在学中にデビューした僕は、SNSの写真でスイーツや叔母の作ったきらきらのチャームを投稿していたので、完璧に女性と思われていた。
小説の大賞を取って、編集の鈴木さんにご挨拶したときには、ものすごく驚かれたものだった。
僕が書いているのは、いわゆる女性向けのロマンス小説で、ファンタジーの中で令嬢と格好いい王族や貴族が出会って恋をするというよくある奴だ。
現代ものの恋愛も書いている。
女性向けのロマンス小説を書いているのが熊のような大男だと知られるのはイメージダウンになるかもしれないということで、僕は姿をメディアに見せるようなことはなかった。
「かーくんの新刊、書店に並んでたぞ」
「チェックしてくれたんだ」
昼間はライターの仕事を在宅でやっている僕に、出勤して帰って来た寛がエコバッグから料理を取り出しながら話してくれる。
女性向けのロマンス小説で、表紙もいかにも可愛い女の子が描かれているのに、新刊が出ると寛は必ずチェックしてくれる。
「布教用と、読む用と、二冊買って来たから、サインしてくれ」
「献本を上げたのに!?」
「書店で買う方がいいんだろ? よく分からんけど」
女性向けのロマンス小説を、「ちょっとご都合主義すぎないか?」とか「この女、惚れっぽすぎないか」とかツッコミを入れつつも、寛はきっちりと読んで感想をくれる。
その感想が「よく分からんかったが、売れるといいな」であっても、僕は自分が認められたようで嬉しくなる。
「装飾品に魔法をかけて、それが砕けることによって身を守る描写は斬新でよかったな」
小料理屋から持って帰って来た晩ご飯を二人で食べて、新刊を読んでいる寛が感想をくれる。感想を聞きながら、僕は食べるのが遅いので、まだ食べていたが、食べるのが早い寛はさっさと食べて読んでいる。
食べ終わったら、僕が食器を洗う。
それが僕と寛の分担だった。
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