かーくんとゆーちゃん

秋月真鳥

1.ゆーちゃんと僕

 佐藤さとうかえで、二十六歳。

 仕事は在宅のライター兼小説家。

 趣味はタロットカード。


 僕の趣味のタロットカードは叔母からもらったものだった。

 父と干支が一回り離れた叔母は、叔母というよりもちょっと年の離れた姉のようなもので、僕はずっと叔母を「ちぃちゃん」と呼んでいた。


 叔母の名前が千花ちかなのだ。


 小学生のときに祖父母の家である叔母の家に行ったときに、机の上に置いてあったのがタロットカードの入ったポーチ。

 タロットカードは普通は他人に触らせてはいけないらしいのだが、そんなことを知らない小学生の僕は、勝手に叔母のタロットカードを広げてじっくりと見ていた。


 小さな頃から体が大きくて、気は弱くていじめられていた僕にとって、タロットカードとの出会いは神秘的なものだった。


 美しく描かれた動物の絵柄に、タロットカードの意味。

 導かれるように机に置いてあったタロットカードの説明本を読んで僕はすっかり夢中になってしまった。


「ちぃちゃん、これちょうだい!」


 小学生の僕に言われた叔母は戸惑っているようだった。


「これは私にとっても大事なものだから」

「どうしても、これがいいんだ! ちょうだい!」


 何かを強く欲しがったことなんてない。

 僕が叔母におねだりするのは初めてだった。


「新しい同じタロットカードを買ってあげるのじゃダメかな?」

「これとおなじやつ? ポーチもついてる?」

「ポーチは伯母さんに作ってもらおう。それならいい?」


 叔母は僕のために自分が持っているのと全く同じタロットカードを注文して、買ってくれた。ポーチも大伯母が作ってくれて、赤地に青と黄色の縞の入ったポーチとお揃いのタロットクロスも準備して、タロットの簡単な読み方の説明本も添えて、叔母は完璧な状態で僕にくれた。


 逆位置という反対の絵柄で読むことのない、オラクルカードという信託の入った癒しを与えるカードということで、使い方は英語で書かれているし、よく分からなかったが、それでも僕はタロットカードに夢中になった。


 小さな頃からトランプが大好きで、トランプゲームの延長戦のように考えていたのかもしれない。


 そのタロットカードが今の生活を支えているとも言える。


 タロットカードを捲る。

 ソードの九。

 意味は、苦悶。

 あのときこうしていればという後悔を示すこともある。


 このカードが出るときには、周囲によくないものがいることが多いのだ。


 僕は、小さな頃からひとではないものが見えた。

 その助けとなるためにタロットカードを本能的に求めたのかもしれないと思うほどだ。


「場所はどこかな?」


 問いかけながらカードを捲ると、ソードの六。

 意味は、途上。

 帰路に就くなんて意味もある。


「帰り道なのか……まずいな」


 今日は編集さんとの打ち合わせがある。

 このパンデミックの世の中で、対面での打ち合わせは珍しいのだが、編集さんが一度僕に会っておきたいということで、僕は了承したのだった。


「お店は、やっぱりあそこにしておくか」


 僕はメッセージを入れる。

 メッセージの相手は、親友だ。


 不動寺ふどうじゆたか。僕と同じく二十六歳。

 僕の住んでいるマンションから少し離れた小料理屋で働いている。

 料理の腕前は抜群で、実のところ、僕は彼とシェアハウスすることを条件に、実家も祖父母の家も近いのに家を出ているのだった。


『今日の帰り、早上がりできる?』

『何かあるのか?』

『また出たんだよ、「苦悶」』


 寛にはこれで通じる。

 寛と僕は二十年以上の付き合いなのだ。


『分かった。話してみる』


 寛には申し訳ないが、暗い夜道をあのカードが出た後に一人で帰る自信は僕には全くなかった。


 お化けや幽霊の類が怖いのに、僕には見えてしまう。

 寛は全く怖いとは言わないのに、見えない。

 それが僕には不公平でならない。


 怖くない方が見えて、怖い方は見えなければいいのに。


 それでもタロットカードで事前に予測できるだけましだった。


 夕食の時間に小料理屋に行って編集さんと会う。

 二人きりの個室で会った編集さんは、小柄な女性だった。


「一度、メープル先生とは話をしておきたかったんですよね」


 僕は名前が佐藤楓、つまり砂糖楓と音が同じなので、ペンネームをメープルシュガーにしていた。そのせいなのか分からないが、ファンからは甘いもの好きの女性だと思われているようだ。


 自分でも自覚があるが、僕は女々しい。

 自分のことを「僕」と言っている辺りでご察しである。


 SNSでは「私」で通していて、叔母が作るアクセサリーや可愛いものが大好きで、小さな頃からきらきら光るストラップを作ってもらっていたので、そういうものの写真を載せていると、僕は勝手に可愛い女性の小説かということになっていた。


 実際には熊のように体の大きな男性なのだが。


「メープル先生の作品、女性に大人気なんですよ。切ない恋物語が繊細に書けているって評判です」

「そんなに飲んで大丈夫ですか? 鈴木さん」

「今日は飲みたい気分なんです」


 鈴木さんはビールを二杯飲んで、日本酒も飲んでいた。

 酔っぱらった鈴木さんをホテルまで送るべきかと考えたが、鈴木さんはきっぱりと断った。


「タクシーで帰れますので大丈夫ですよ。メープル先生との関係を勘繰られたら嫌ですからね」


 女性は大変だ。

 僕が全く女性にも男性にも興味がないと分かっていても、警戒する姿勢を見せなければいけない。

 出張のついでに会ってくれた編集の鈴木さんをタクシーに乗せて、僕は料理屋の中に入った。


 カウンター席に座ると、寛と目が合う。

 寛は大柄ではないが整った顔をしていて、美男子と言えるのだろう。


「もうちょっとで終わる。待ってろ」

「悪いな」

「これ。どうせ、緊張して何も食ってないんだろ」


 出されたのはほかほかのご飯で握られたおにぎりだった。海苔が巻かれていて、しっとりとした表面を掴んで食べると、中に僕の好物の明太子が入っている。


「美味しい。ありがとう」

「これもどうぞ。佐藤さん」


 店の女将さんが魚のあらの味噌汁も出してくれた。

 初対面の相手と会うと食事どころではなくなって、緊張してしまう僕のことをよく分かっている。


 僕はおにぎりと味噌汁を美味しくいただいた。


 店のお客はパンデミック以来減っていた。

 店の経営が厳しいのを知っているからこそ、僕は打ち合わせがあるときには必ずこの店を使う。


「帰るか、かーくん」

「うん、ゆーちゃん」


 寛は僕のことを「かーくん」と呼ぶ。僕は寛のことを「ゆーちゃん」と呼ぶ。それは、保育園のときから変わっていなかった。


 帰り道には桜の満開になる公園がある。

 公園の中を通って行けば近道になるのだが、その公園が問題だった。


「い、いる! ゆーちゃん!」

「どこだ、かーくん?」


 桜の下に苦しそうに呻いている人物がいる。

 その人物は真っ黒で、長い髪の女性のようだった。


『あのひとに会わせて……。あのひとは、どうして私を捨てたの!?』


 人間のものとは思えないおぞましい声が聞こえてくる。

 震えている僕に、寛は視線を向ける。


「どこだ?」

「そ、そこ! 木の下に蹲ってる!」

「ここか?」


 シャドーボクシングの容量で寛が虚空を殴り始める。しかし、見えていないのでなかなか当たらない。


「そっちじゃない。もうちょっと下!」

「ここか?」

「もうちょっと左!」


 指示をする僕と、シャドーボクシングをする寛で、スイカ割りのようになってしまっている。


 最終的には寛の拳は黒い塊に当たった。


『あぁぁぁ!?』


 叫び声をあげて黒い塊が消えていく。

 これで僕と寛ができることは終わった。


 この女性がなんで死んだかとか、どうしてここにいるのかとか、そういうのは警察が調べればいいことだ。


 一週間後、公園に亡くなった女性の持ち物が凶器と共に捨ててあって、男性が一人逮捕されたとか言うニュースが流れる頃には、僕はそのことをすっかり忘れていた。

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