第36話

「今日は仕事しなくていいからちゃんとしなさいよね」


 家を出る前に母さんが俺にそう言ってきた。

 そういえばだが、放課後のことで頭がいっぱいだったので母さんに今日は仕事を休みたいということを伝え忘れていたことを思い出した。


「いや、なんで知ってるんだ?」

「京香ちゃんから聞いたわよ。でも、一回帰ってちゃんと着替えてから行きなさいよ」

「う、うんわかったよ」

「あと、失礼のないようにね。ちゃんとするのよ、わかった?」

「わかったって」

 

 母さんのお節介ぶりはいつものことだが、それでもあまりに念を押されることに違和感はあった。


 なんで同級生と放課後に遊ぶだけのことでそこまで気を回してくるのか。

 まあ、それもこれも相手が音無だからだろうか。


 嫌われないようにちゃんとしろと。 

 つまりはそう言いたいのだろう。

 それは俺も同感だ。

 気遣いを無駄にしないように、何を着ていくか考えておかないとな。


「じゃあ行ってきます」


 音無と一緒に家を出た。


 いつものように二人で学校へ向かう。

 しかし今日は放課後のことを考えてしまい、言葉がでない。


「……」

「黒崎君、体調よくないの?」

「あ、いや。放課後、せっかく休みもらったから何着ていこうかなって」

「普通なら、スーツとか?」

「スーツ? いや、俺はスーツなんて」

「だよね。でも、ジャケットとかはある?」

「あるにはあるけど」

「じゃあそれにしよ? 私も、今日はオシャレしてくるから」


 心なしか嬉しそうな音無を見て、俺の心は踊る。

 俺の誘いを楽しみにしてくれているんだ。

 それに、普通改まって話があるなんて言えば告白されるかもって感じるだろうけど、この様子だと全然嫌そうじゃない。


 うん、いける。

 確信なんてないけど、後ろ向きになることもないはずだ。


 ああ、放課後が楽しみだ。

 どこでご飯食べようかな。 

 ファミレスもいいけど、今日はちょっと奮発して駅前のおしゃれなカフェに行こうかな。




 放課後、楽しみだなあ。

 うちの親も黒崎君と会うのを楽しみにしてくれてるし。


 流石に婚約の挨拶とは言っても高校生同士だからカジュアルな格好でいいよね。

 えへへ、なんか緊張してきちゃった。

 

 そうだ、ママに連絡しとかないと。

 ご飯食べる場所は……どうしようかな。


 別にファミレスとかでもいいけど、今日はせっかくだし。

 駅前のカフェ……も人が多いかなあ。


 パパにお願いして、奮発してもらっちゃお。


 個室のあるお寿司屋さん予約しといて、と。


 あー、本当に婚約するんだあ。


 放課後が待ち遠しいなあ。

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