第32話

「……夜中だ」


 すやすや眠る音無を横目に動けないまま一時間ほどが経過した。


 まだこの状況の打開策は見つかっていない。

 

 放置して俺だけ部屋に戻るなんて選択肢はもとよりないが、かといってお姫様抱っこで彼女を運ぶ度胸なんてものもあるはずがなく。

 

 しかしこのまま二人揃ってリビングで就寝なんてことも、母さんに見つかったらなんと言われることやら。


 だから寝るわけにもいかない。

 そしてここを離れることもできない。


 なんとか起きてくれたらいいんだが。


「……仕方ない、か」


 一向に目覚める気配がないので、俺はここで決意した。


 彼女を部屋まで運ぼう。

 あれこれ考えていても、どうせ彼女は寝ているんだから何も覚えてはいない。


 もちろん覚えていないから何をしてもいいわけではないが、これは不可抗力だ。


 風邪を引かないために部屋まで連れていくために、仕方なく彼女に触れるだけ。


 そんな言い訳を頭の中で並べながら俺はそっと音無に手を伸ばす。


「……ごめんよ」


 そっと彼女の太ももの下に腕を回して、抱っこする。

 グッと力を込めたつもりだったが、思った以上に軽くてひょいっと持ち上がった音無は、反射的になのだろうけど俺の首に腕を回して抱きついてきた。


「お、おい……いや、寝てる、よな?」


 もちろん眠っていた。

 しかし彼女は俺を掴んで離さない。


 小さな音無の顔が、俺の頬の側による。

 吐息が、耳元で響く。


「……やばい。早いとこ部屋にいかないと」


 口から心臓が飛び出そうだ。

 息も苦しい。


 音無から顔を逸らしながらなんとか部屋まで上がり、俺は音無を抱えたままなんとか扉を開けて中に。


 そしてそっと彼女をベッドに降ろした時、ふと気づく。


「しまった、ここ俺の部屋だ」


 冷静でいられる状況ではなかったとはいえ、寝ている彼女を自分の部屋に連れ込むなんて。 

 なんてことしてるんだ俺は。


「ええと、音無の部屋は隣だったけど……」


 もう一度、彼女を抱き抱える覚悟は俺にはなかった。


 というより、あんな状態で俺が紳士でいられる自信がない。


 申し訳ないけど、音無はここで寝てもらって俺はリビングに行こう。


「それにしても、綺麗な寝顔だなあ」


 可愛いと美人のいいとこどりをしたような端正な顔立ち。

 でも普段は無愛想で少し怒ってるようにすら見える彼女はそれでも眠っていたら無邪気で愛らしい。


 真面目だし、猫が好きではしゃいじゃうようなところもあるし。


 不器用そうに見えて、実は仕事はテキパキこなすし。


 ほんと。


「そんな音無のことが俺、好きなんだ」


 もちろん寝ているから。

 だからこんな言葉がすんなり出てくる。


 次はちゃんと、彼女が起きてる時に言いたい。


 音無のやつ、どんな反応するのかな。


「おやすみ音無」


 俺は勝手に感傷に浸るようにしんみりしながら、部屋を出た。



「……黒崎君のバカ」


 ここまで無防備でいるんだから、押し倒してくれてよかったのに。

 部屋、出ていっちゃった。


 でも、また好きって言ってくれた。


 えへへ、大好き。


 今更そんなこと言わなくてもわかってるのに。

 でも、愛情表現してくれる男の人って一途って聞くし。


 黒崎君に言わせてばかりじゃ悪いかな。

 私も、定期的に好きを伝えないと。


「好き。好き好き、大好き。えへへ、いっぱい好きを伝えなきゃ」


 とりあえず彼の部屋でゴロリ。


 彼が戻ってくるのを待つ。


 戻ってこなかったら私の方から迎えにいかないとだし。


 はあ、幸せ。

 

 

 

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