第31話

「……」


 さっきまでアイスと睨めっこしていた俺は、更なる試練に直面している。


 今し方、音無が風呂から上がってリビングに戻ってきたわけだけど。


 なぜか広いリビングを窮屈に使うように俺の隣に座ると、シャンプーの爽やかな香りを振り撒いてくる。


 もちろん俺のいる位置が一番テレビが見やすいからなのだろうけど。

 なぜ、肩が当たるほどそばにくるのか。

 そして。


 なぜ、パジャマのボタンを上まで閉めないのか。

 今日は大して暑くない。

 むしろ夜は冷えるくらいだ。


 なのになぜ?

 ……誘ってきてる?

 いや、まさか。

 音無に限ってそんなはずはない。

 ここで勘違いしてうっかり手を出そうなんてことをしたらそれこそ嫌われてしまう。


 どうにかしないと。


「お、音無? あのさ、寒くない?」

「ううん、あったかい」

「そ、そう? でも湯冷めしたら風邪ひくかも」

「私が風邪ひいたら心配?」

「そ、そりゃそうだよ。だからほら、あったかくしないと」


 ざっくり開いた胸元が、正直目のやり場に困るというのが本音だけど。

 とにかく彼女の華奢ながらも女性らしい丸みを感じさせる柔らかそうなスタイルを隠すためにソファにかけてあった俺の上着を彼女の肩に被せた。


「あっ」

「ご、ごめんこんなので」

「ううん、大丈夫。あったかい」


 やはり寒かったのか、ぎゅっと上着を握りしめながら丸くなる音無は、そのままそっと目を閉じた。

 そして静かになった。


「お、音無? 寝たのか?」


 呼びかけたが、すやすやと寝息を立てていた。


 その瞬間、少しほっとして俺もソファに座る。


「はあ……これから毎日こうなのかな」


 彼女がうちに住むことになってまだ初日。

 これからずっとこんな日々が続くと思うと、また気が重くなる。


「……さすがに、このまま放ってはおけないよな」


 起こして部屋に連れて行くべきか否か。

 気持ちよさそうに眠る彼女を横目に俺はまた頭を抱えていた。



「……」

 

 寝たフリ。

 ちょっとだけ、彼の上着の温もりに浸っていたかったからなんだけど。


 黒崎君がオロオロしてるから、もうちょっと。

 もしかしたらこのままお姫様抱っことか、あるかも。


 このまま毛布かけてさよならなんて、そんな冷たい彼じゃないって知ってるから。


 ここで一夜を共にしてもいいし。

 お部屋に連れてってくれたらその時にでもよし。


 とにかく今日は寝かさない。

 これから毎日一緒だとわかっていても、抑えられない。


 早く。

 早く私を抱っこして。


 えへへ、その時にはだけた私の服も直して。


 いっぱい触って。


 

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