第2話
「いらっしゃいませー、三名さまですか? そちらのお席どうぞー」
夕方の開店時間ギリギリに帰宅した俺は制服姿のままエプロンをかけて店に入った。
平日は開店してすぐは暇なことが多いのだけど、今日は早くから多くのお客さんで賑わっていて、俺はさっき音無と話した時間の余韻に浸る間もなく、バタバタと仕事をこなした。
そして気がつけば時刻は夜の九時前。
もうすぐ閉店の時間になり、お客さんもはけたので店の後片付けを始めると、母さんが俺のところにきた。
「お疲れ相馬」
「いやー、今日は疲れたよ母さん」
「あんたがいてくれて助かるわほんと。でも、もう一人くらいバイトほしいわねー。誰か友達でバイトしたい子とかいないの?」
「うーん、聞いてみてるけどみんな部活があるからさ。ほら、うちの学校って運動部強いだろ?」
「そうよねえ。それこそ、相馬が彼女でも作ってその子と二人で手伝ってくれたら将来安泰なんだけど」
「はいはい、頑張る頑張る。でも、期待しないでくれよ」
「そうねえ、私がパパと出会ったのも大学生の時だし気が早いかしらね」
母の由紀子と父の透が出会ったのは大学二年の飲み会の時で、高校こそ違えど互いに地元が同じで意気投合して云々かんぬんという話は何度も聞いた。
まあ、俺にもいつかそんな素敵な出会いがあればいいなとは思うけど、残念ながら今のところ浮いた話は一度もない。
彼氏彼女がいるやつはみんな、同じ部活だからとか、放課後に遊びに行くグループでとか、そんな理由で付き合ってる連中ばかり。
朝はギリギリまで寝ていて、放課後も土日も毎日店の手伝いに明け暮れる俺には彼女なんて夢のまた夢だ。
ほんと、バイトが見つかってくれたら嬉しいんだけどなあ。
「ま、そんなわけだから俺は先に風呂入っていい?」
「ええ、いいわよ。父さんと私は片付け終わったらちょっと出かけるから」
「はいはい。じゃあ、お先」
俺は店の二階にある自宅へ上がった。
父さんと母さんは店が終わると近くの居酒屋でご飯を食べてくることが多いので、俺は先に風呂を済ませて部屋に戻って勉強もそこそこに眠りにつく。
今日もそれは変わらない。
風呂に入りながら考えることだって、毎日同じことの繰り返しだなあとか、でもそれが一番幸せなことなのかなあとか、そんなおっさんくさいことばかり。
ただ、今日はやっぱり音無のことが頭をよぎった。
少しだけ話した程度だけど、周りが言うほど悪いやつに見えなかった。
それに、俺の名前も覚えてくれていた。
猫が好きだなんて、可愛い一面もあった。
「……音無のやつ、彼氏とかいるのかな」
やっぱり明日、少し声をかけてみよう。
別に悩んでることが何もなくて俺の勘違いだったらそれでいいんだし。
でももし、悩んでることがあれば俺も力になろう。
なんとなくそんな決意が固まったところで俺は、風呂を出て部屋に戻った。
◇
「おはよー」
「黒崎、今日もギリギリだな」
「昨日めっちゃ忙しくてさ。へとへとなんだよ」
朝。
始業ギリギリに教室に到着すると、数人のクラスメイトからいじられる。
まあ、いつもこんな感じだ。
クラスのみんなとは可もなく不可もなくって感じの仲。
一通り喋ってから席へ向かうと、先に音無が席についていた。
いつも通り静かに一人で本を読んでいる。
「……おはよう」
きっかけは些細なものからだと、思い切って挨拶をしてみた。
こんなおはよう一つでも、何か話してくれる切り口になるかもしれない。
「おはよう」
本に視線を向けたままだったが、音無が挨拶を返してくれた。
しかしその後はやはり無言。
俺も、それ以上何を話したらいいかわからずそのまま席について。
すぐに授業が始まった。
◇
「式場は……ここがいいかな。親への挨拶は……この店かな」
授業中。
また、音無が独り言を呟いていた。
しかし昨日とは内容が変わっていて、どうも結婚のことについて何か調べている様子だ。
やっぱり相手がいる、ということか。
それに、式場や、両家挨拶の店を探しているということはちゃんと結婚するということみたいだ。
そっか、よかったよかった。
まあ、若くして結婚なんて前途多難かもしれないけど、幸せになってくれ。
せっかく同じ趣味の人に出会えたのにもうすぐ会えなくなるかもしれないのは少し残念だけど、それもまあ仕方ないことだ。
「黒崎君」
勝手に納得していた俺に、後ろから音無が声をかけてきた。
授業中なのに何かあったのだろうか。
「……何?」
こっそり振り返りながら彼女を見る。
すると、授業中だというのにスマホを手に持った彼女はその画面を見せてきた。
「ここ、どう思う?」
「え? これって……」
向けられた画面には、海の見える教会が写っていた。
結婚式場?
いや、なんで俺に相談するんだ?
それに授業中だし。
「……いいんじゃないか」
先生の目を気にしながら、そっけなく一言そう返した。
ほんと、なんで俺に聞くんだよ。
彼氏とでも相談すればいいだろ。
「そっか。うん、ありがと」
少し苛立つ俺のことなど気にもせず、音無は満足したようにそう言った。
その時の幸せそうな顔に、俺はまた少し見惚れてしまいそうだったけど。
近いうちに誰かと結婚するかもしれない子に恋なんかしても仕方ないと。
すぐに前を向いて授業に集中した。
◇
「よう、黒崎。今日お前、音無となにか喋ってなかったか?」
昼休みに俺に声をかけてきたのはクラスメイトの高市誠。
バレー部のホープ。
身長は高一にして百九十を超えている化け物だ。
入学当初からやたらと俺に話しかけてくれる良いやつで、友人も多い。
「いや、挨拶程度だよ。昨日の帰りに偶然ばったり会ってさ」
「へー、どこで?」
「商店街のとこのペットショップだよ。そういや高市、音無と中学一緒だったよな? あいつ、彼氏いるの?」
「おいおい、まさか音無狙い? やばいとこいくなーお前」
「いや、違うって。実はさ」
あまり憶測で人のことを話すのは好きじゃないので、彼女が妊娠しているかもなんてことはもちろん言わなかったが。
授業中に結婚式場の写真を見せられたことについては高市に話した。
「てわけでさ。結婚でもするのかなって」
「んー、なんだろなそれ。でも、ないと思うけどな」
「そうなの?」
「高校違うんだけど、俺の仲の良い幼馴染が音無の親友でさ。昨日もそいつと話してたけどそんなこと言ってなかったからなあ。むしろあいつの心配してたというか、ちゃんと友達できたかなーとか言ってたくらいだし」
「なるほど」
「おおかた親戚とか兄弟とかの話なんじゃね? いくら音無の見た目が派手でも、高校一年生で子供作るようなやつじゃなさそうだし、何より男嫌い全開な音無がそんなことしないって」
「……だな」
高市の言う通りというか、俺は随分失礼なことを音無に思ってしまっていたようだ。
どこか見た目による偏見とかを持っていたのかもしれない。
あの大人しい彼女がそんなヤンチャなことするはずもない、か。
結局高市と話していると昼休みが半分潰れてしまい、慌てて購買に走って売れ残りのパンを食べて昼休みは終わった。
もちろんその間もずっと、音無は席についたまま。
持参した弁当を黙々と食べてからまた本を読む彼女はこのあと、放課後まで一言も発することはなかった。
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