第3話

男は重い荷物を持たされ歩かされている。

入れ墨は森の中で狩りをして過ごしており、その獲った獲物を解体したものを男は持たされている。

重い。今までこんな重労働をしたことがなかった。

入れ墨は日に数十キロも移動しながら狩りをしているようだ。森の中にはいくつも入れ墨の狩り場があるらしく、あるところでは待ち伏せして弓矢で獣を射殺し、またあるところでは罠にかかった獣を槍で突いた。

もう何日もこの様な暮らしを繰り返えしている。男は裸足だ、足の裏は豆だらけで、足跡には血が滲んでいた。

逃げたい。男は心からそう願ったが、毎日繰り返される労働と暴力に、体は荷物を持つ以外のことをする体力を残していないようであった。

食事も満足行くものを食べていない。日に二度、入れ墨からなんの肉かわからない臭い干し肉と水を与えられるだけだ。

ここは地獄だろうか。自殺なんかしたから俺は地獄に落ちたのだろうか。

男は何度も自問自答するが、答えなどはないようだった。

唯一わかることが、ここは日本ではなく、また、男が生きた時代でもないということだった。

これほど歩いてもなんの文明的なものにも出会わないなど、現代社会ではありえないことだ。

そしてあの月、夜空に浮かぶふたつの月。ここは地球なのだろうか。それすら疑わしかった。

入れ墨は言葉を話さない。男は最初入れ墨とのコミュニケーションを試みた。

不当な扱いを受けていることに腹は立つが、とにかくこの状況から脱したかったからだ。

しかし、入れ墨は男の言葉の意味を解さないようだ。

それは外国人と話しているような通じなさではなく、まるで動物に話しかけているような取り付く島のなさであった。

そもそも入れ墨は言語を持っているのだろうか。

少なくともこれまでは雄たけびと奇声のような声しか聞いたことがない。

今日も入れ墨は狩り場を探し森をさまよっている。

男はそれになんとかついていくが、もう限界であった。

もう入れ墨についていきたくない。たとえ折檻を受けても、もう動きたくない。殺すなら殺せ。どうせ生きていたいわけではないんだ。

男はそう思うとだんだん入れ墨から遅れて歩くようになり、やがて全てが億劫になり、体を地面に投げ出した。

背負っていた荷物も解け、男と一緒に崩れ落ちる。

「ウオウオー」

その異変に気がついた入れ墨が怒号をあげた。

入れ墨は男に向かい、何度も起き上がるようにジェスチャーで促したが、もう男は動かない。やがて、しびれを切らしたのか、ダッと地面を蹴り男に向かって一直線に飛びかかってきた。

ああ、そうだろうな。早く殺してくれ。もうどうでもいい。

男はもう全てが鬱陶しかった。早く終わりにしてほしい。それが本音だ。

しかし地面を蹴る音は数歩で止み、静けさが急に辺りを包んだ。

男は訝しく思い入れ墨の方を見ると、入れ墨は全身を緊張させ、何かを探っているようだった。

やがて、男にもガシャガシャと金属がぶつかり合う音が聞こえ始めた。

入れ墨は戦闘態勢に入り、大木を背にして弓矢を構える。

金属音は男と入れ墨を取り囲むように数を増やし、最後は目に見える形となって姿を現した。

金属だ、金属の鎧兜を身に着けた集団だ。6、7人はいるだろうか。

西洋のプレートアーマーとも違うようだ。薄青色の鉄板は人体の急所部分にだけ取り付けられており、他の部分は黒ずんだ鎖帷子で覆われている。腰や肩には鉄板を貼り付けた皮か分厚い布地のようなものが貼り付けられていて、兜は親指をくり抜いたような形をしており、丁字に空いた穴からはうっすら目鼻立ちが覗けた。

男はこの事態が自分にとって幸か不幸なのかがわからない。少なくともこの武装集団と入れ墨は敵対しているようだった。

「ウオウオウオー」

入れ墨が雄叫びをあげ、集団を威嚇する。

すると集団は手にした剣と盾を叩き合わせ、大きな金属音をたててその威嚇に応じた。

じり、じり、と集団は包囲を狭める。

やがてその緊張に耐えかねたのか、入れ墨は鎧兜の一人に矢を放った。

ギンッと甲高い音がし、矢は鎧兜の盾に突き刺さる。

貫通こそしないが、薄い金属なら穴を穿ってしまう、恐ろしい威力だ。

しかし、入れ墨の抵抗もそれまでであった。

弓矢は結局盾に阻まれ鎧兜達はどんどん距離を詰めてくる。

そして最後は戦意喪失した入れ墨が弓矢と槍を捨て、命乞いをするように膝をついて諸手を挙げた。

するとすかさず鎧兜達は盾を使って入れ墨を殴打し始める。

目を覆わんばかりの凄惨なリンチが続き、男はそれを呆然と見ていた。

「ソーイ」

しばらくすると鎧兜の中でも一際大きな一人が号令のような声を上げ、殴打は終わった。

鎧兜達の隙間からはガタガタと震える入れ墨が見えた。

これは、もしかして俺は助かったのか。

男の胸にかすかな希望が宿る。

すると鎧兜のリーダーと思しき号令を上げた一人が男の方へ振り向き、聞き取れない言葉を使って周りに指示を出し始めた。

助かった、文明人だ。道具も進化しているものだし、会話で組織行動している。

自分は助かるに違いない、男がそう確信しかけた時、鎧兜の一人が入れ墨を担いで男の前に投げ捨てた。

なんだ、どういう意図なんだ。

男は再び不安になる。

それは入れ墨も同じようで、彼は指示を仰ぐかのように卑屈な視線を鎧兜たちに向けた。

それを見た鎧兜のリーダーが、急に腰を振り始め、卑猥な動きをする。

周りの鎧兜達もそれに倣い、真似をして卑猥な腰つきをし始めた。

男には全く意味が分からなかったが、入れ墨は何かを察したらしく、さっと毛皮を脱ぐと、傷だらけの裸体を晒した。

嫌な予感がする。嫌なことが起きる。

男はそう直感したが、果たして入れ墨は毎晩男に対してそうしているように、男に飛びつき覆いかぶさった。

それを指差し鎧兜達がゲラゲラと笑う。

入れ墨は卑屈な笑いを浮かべながら一生懸命男に対して腰を振り始めた。

ああ、やはりここは地獄だ。助けなどない。

全てを理解した男は再び絶望の縁に転げ落ち、無感情になった目で息を荒くする入れ墨を見ていた。

すると、ズブっと鈍い音がして、入れ墨の首からニョキッと金属の突起が生えてきた。

それは剣だ。剣が抜かれると血しぶきが男を赤く染める。

数秒して、入れ墨を支えていた手からガクッと力が抜け、倒れかかった体が男に密着した。

生暖かい血が男の顔に止めどなく滴り落ちてくる。

鎧兜達は相変わらずそれを見ながらゲラゲラ笑っていた。

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