六章 ハインリヒ殿下たちとの交流

1.お見送り

 クリスタちゃんのお誕生日のお茶会の終わりには、クリスタちゃんは庭に出て来た馬車に乗り込むお客様をお見送りした。

 一番最初に馬車に乗り込むのは、ノエル殿下だ。

 ノエル殿下は護衛と一緒に王都に帰られる。


「ノエル殿下、本日はいらっしゃってくださって、本当に嬉しかったです。詩集、大事に読ませていただきます」

「クリスタ嬢が十二歳になって学園でご一緒できる日をとても楽しみにしているのですよ」

「本当ですか!? そう言っていただけると嬉しいです」

「クリスタ嬢が学園に入学したら、学園で詩のサロンを開きましょう。主催はわたくしとクリスタ嬢ですよ。約束です」

「はい、ノエル殿下!」


 詩のサロン。

 それがどのようなものになるのかわたくしは怖かったが、ノエル殿下とクリスタちゃんは手を取り合って喜んでいる。

 ノエル殿下が馬車に乗って列車の駅まで向かうと、次はハインリヒ殿下とノルベルト殿下が馬車に乗る番になる。


「クリスタ嬢、次にお会いできるのは私の誕生日の式典ですね」

「ハインリヒ殿下とノルベルト殿下をお祝いに参りますわ」

「去年はクリスタ嬢が来ていなくて、ハインリヒはとてもやる気がなかったのですよ」

「ノルベルト兄上、そんなことをクリスタ嬢にばらさないでください」


 顔を赤くしているハインリヒ殿下に、ノルベルト殿下は愉快そうに笑っていた。ノルベルト殿下も年相応にこういう話をされるのだと知って意外に思ってしまう。ノルベルト殿下はハインリヒ殿下を支えるよき兄で、大人っぽい印象があったのだ。


「皆様がお祝いに来て下さっているのだからしゃんとしなさいと僕が言ったものです」

「ノルベルト兄上! もう、恥ずかしいです」


 顔を真っ赤にしているハインリヒ殿下にクリスタちゃんは目を輝かせている。


「わたくしがいないとハインリヒ殿下はやる気がなくなってしまうのですね」

「クリスタ嬢にはいつも格好いいところを見せなければいけないと思っています」

「ハインリヒ殿下はいつも格好いいですよ」


 初めて出会ったころには、ハインリヒ殿下はクリスタちゃんが気になりすぎて、髪飾りを奪うような悪戯をしてしまった。あの後クリスタちゃんはしばらくハインリヒ殿下を許さなかったが、今はこんなに仲睦まじくなっている。


「クリスタ嬢が学園に入学するころになったら、私も婚約者を決める時期が来ます。そのときには、婚約者にクリスタ嬢をお願いするつもりです」

「父上はきっと分かって下さると思います。ハインリヒとクリスタ嬢はとても仲がいいですし、ディッペル家はこの国で唯一の公爵家となりました。ディッペル家と王家が繋がりを強固にするのは大事なことです」


 クリスタちゃんとハインリヒ殿下の気持ちの問題だけでなく、クリスタちゃんがハインリヒ殿下と婚約するということは、バーデン家が降格されてこの国で唯一の公爵家になってしまったディッペル家と王家との繋がりを強固にするために必要なことだった。

 ディッペル家はバーデン家が降格されてからこの国で一番の貴族となっている。クリスタちゃんが王家に嫁げば、ディッペル家の地位も安定するだけでなく、王家の権力も安定する。


 政略結婚は甘い色恋だけでは成り立たないが、想い合っているハインリヒ殿下とクリスタちゃんが結ばれることで国益となるのであれば、それもまた推進すべきことなのだろう。


 クリスタちゃんとハインリヒ殿下は手を取り合って別れを惜しんでから、ハインリヒ殿下は馬車に乗り、ノルベルト殿下と一緒に国王陛下の別荘へ帰って行った。


 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下は普段は国王陛下の別荘に暮らしている。王妃殿下とユリアーナ殿下も国王陛下の別荘で暮らしていると聞く。

 夫婦としてというよりも、国を共に支えるパートナーとして和解した国王陛下と王妃殿下だが、王妃殿下が日ごろは国王陛下の別荘で別々に暮らすのは変わっていない様子だった。


「クリスタ様、お誕生日おめでとうございます。クリスタ様の成長をわたくしも見守ることができて嬉しく思っています」

「こんなに大きくなられて。私の屋敷で歌ってもらったのが遠い昔のように感じられます」

「キルヒマン侯爵夫妻、本日はお越しいただきありがとうございました」

「またクリスタ様とエリザベート様の演奏をお聞きしたいものです」

「本日はお招きいただきありがとうございました」


 キルヒマン侯爵夫妻を見送るときもクリスタちゃんはにこにこと嬉しそうな顔をしていた。

 キルヒマン侯爵夫妻はエクムント様にも声をかけていた。


「後少しであなたが辺境伯家に行くだなんて信じられません」

「辺境伯家に行っても、私は父上と母上の息子です」

「カサンドラ様は素晴らしい方です。カサンドラ様にしっかり学ぶのですよ」

「はい、父上」


 こんな風にキルヒマン侯爵夫妻がエクムント様に声をかけているのを聞いていると、エクムント様が辺境伯領に行く日が近付いているのだと実感せずにはいられない。

 エクムント様と婚約してからもうすぐ三年目になる。

 わたくしはまだ十歳で、エクムント様と結婚できるまでには八年もかかるのだと思うとその長さに気が遠くなる。

 物心ついたのが何歳だったのか分からないけれど、十年しか生きていないのに、残り八年なんて、あまりにも長い。今年の秋からはエクムント様とは離れて暮らさなければいけなくなると思うと、わたくしは一日一日を大事に過ごそうと決めていた。


 お茶会が終わって着替えて子ども部屋に行くと、ふーちゃんとまーちゃんはご機嫌が斜めだった。


「やーの! やー!」

「エリザベートお嬢様、クリスタお嬢様、お帰りなさいませ。フランツ様は、お二人がおられないので、お昼寝もほとんどしなくて、お茶の時間にも何も食べていないのです」

「びええええええ!」

「マリア様も泣いてばかりで、離乳食とミルクは完食なさいましたが、全然寝てくださらないのです」


 ヘルマンさんもレギーナも疲れている顔をしていた。

 わたくしはクリスタちゃんと顔を見合わせる。


「わたくしがふーちゃんとお茶をします。クリスタちゃんは、まーちゃんを抱っこして寝かせてください」

「分かりましたわ、お姉様。まーちゃん、ねぇねですよ」


 クリスタちゃんがまーちゃんを抱っこするとまーちゃんはやっと泣き止んだ。まーちゃんのためにクリスタちゃんは子守唄を歌っている。

 わたくしは子ども部屋のソファに座って、ふーちゃんを膝の上に抱き上げた。いやいやになっていたふーちゃんは、わたくしに抱っこされると大人しくなる。


「なんて美味しそうなサンドイッチとケーキ。わたくしが食べてしまおうかしら」

「やー! ふーの!」

「ミルクティーもあるわ! 飲んでしまおうかしら!」

「ふーの! ふーの!」


 芝居がかった声でわたくしが言えば、ふーちゃんは急いでサンドイッチとケーキを食べてミルクティーを飲む。

 お腹がいっぱいになるとふーちゃんの頭がぐらぐらし始めていた。


 わたくしがふーちゃんをベビーベッドに寝かせると、ふーちゃんは暴れて泣き出す。


「ねんね、やー! やー!」

「ふーちゃんの好きな絵本を読んであげましょうね。ほら、列車が走りますよ」

「ちゅっぽ! ぽっぽ! ぽっぽ!」


 絵本を読み出すとふーちゃんは大人しくなって、そのうちに眠ってしまった。まーちゃんもクリスタちゃんの子守歌で眠ってしまって、ベビーベッドに寝かされていた。


「エリザベートお嬢様、クリスタお嬢様、ありがとうございました」

「フランツ様もマリア様も、エリザベートお嬢様とクリスタお嬢様が大好きなようで、いないと不安になってしまうのです」

「わたくしの可愛い弟と妹です。いつでもこれくらいは致しますわ」

「ふーちゃんとまーちゃんが休めてよかったです」


 わたくしとクリスタちゃんが言えば、ヘルマンさんとレギーナがもう一度お礼を言ってから、レギーナがいそいそと部屋の外に出て行った。

 レギーナが何をしているのか気になったわたくしがドアの方を見ていると、ヘルマンさんが説明してくれる。


「普段は交代で食事をとるのですが、今日はこんな状況で食事をとる時間もなかったのです」

「レギーナは食事に行ったのですね。ヘルマンさんはいいのですか?」

「レギーナが戻ってきてから食事に行きます」


 乳母は大変な仕事で、こんな時間まで食事がずれ込んでしまうことがあるのか。

 外はすっかりと夕暮れになっているが、ヘルマンさんとレギーナは今から昼食を食べるのだ。

 使用人は使用人用の食堂で食事をするのだが、ヘルマンさんはふーちゃんの食事についていなければいけないので、いつも食事の時間がずれ込んでいるのだろうとは思っていた。


「ヘルマンさん、いつもありがとうございます」

「エリザベートお嬢様こそ、いつも助けてくださってありがとうございます」


 お礼を言えばヘルマンさんは微笑んで答えてくれた。

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