第34話 可憐な、乙女
熱海駅構内。
みずほの提案で、僕がはる・紀の荷物を持つ。重い荷物、4人分はありそう。
仕事と思えば、大したことないけれど。
「へー、みんなは今、配信動画の撮影してるんだ」
「時代ね。私たちはネット動画なんて、滅多に出ないもの」
「当たり前ですよ。はる・紀様達はメジャーですもの!」
「うん、うん。山手プロとは格が違うよっ!」
勝手なことを。
8人で向かった先は、JR東海のみどりの窓口。切符を買うためだ。
「奇遇ですね。私たちも切符を買うんですよ、はるか様」
と、みずほが完全に信者の目をして言う。
はる・紀が、キリリとした表情で応じる。
「でも私たち、窓口では闘わないといけないの!」
「可憐な乙女の純情を賭けた闘いよ! 邪魔はしないでね」
邪魔どころか、僕としては関わりたくはない。
今度はどんなトラブルに巻き込まれるか、知れたもんじゃない。
新幹線の中で折角、手に入れたプラチナチケットの現物を、
一刻も早く入手して、はる・紀とはサヨナラしたい。
可憐な乙女の純情を賭けた闘いには、凄みを感じるけれど。
「頑張ってくださーい、紀子さん!」
今度はさくら。みずほと同じ目だ。
「もちのろん。絶対に奪い返してみせるわ!」
「プラチナチケットを再びこの手に!」
何だか、きな臭い。
はる・紀が窓口に顔を覗かせる。その間、僕たちは2人の荷物番。
駅員さんと2人の声が聞こえてくる。
「無理言わないでください」
「そんな、殺生な! 私たち、何も悪くないんです」
「たしかに予約してあったんですよ、ほら」
紀子さんが駅員さんにスマホを見せる。
「困りますよ、スクショなんて見せられても」
「そこを何とか、お願いですよ。後生です!」
「私たち、明日の朝までに岡山に行かなくっちゃいけないんです」
駅員さんは2人がはる・紀だって気付いていないようだ。
気付いたところで誇りある鉄道員の態度が変わるとは思えないけど。
「予約は機械が管理していますから」
「その機械がおかしいんですって!」
「ちょっと前までサンライズツインだったのに……」
んー、サンライズツイン?
「でも、今はシングルツインとノビノビ座席ですよね」
「そうなんですよ。何者かに奪われたんですよ!」
「可憐な乙女の純情と、サンライズツインのチケットが!」
やっぱり、そうだったのか。
2人がサンライズツインを予約。何らかの手違いでキャンセル。
直ぐに僕がサンライズツインを予約。他の2つを手放す。
それを今度ははる・紀が拾う。そして現在に至る。
こんなところだろう。
あーあ、サンライズツインなんか、予約するんじゃなかった。
そうすれば、少なくとも今のトラブルには巻き込まれずに済んだのに。
「知りません。予約画面の通りしかお譲りできません!」
「そうですか、駅員さん。そうまでおっしゃるのですね。しかたありませんね」
「可憐な乙女の純情とサンライズツインの切符。どっちが大事かといえば……」
ここだけは、凄みを感じる闘いだ!
はる・紀のメジャーアイドルとしてのプライド。しかと見届けよう。
「……間違いなく後者です」
ウソーん。そんな、いとも簡単に! この人たち、プライドはないの?
「えっ、いやっ……」
駅員さん、完全に困っている。かわいそうだって。
「可憐な乙女の純情、貰ってください。お願いします!」
「可憐な乙女の純情、貰ってください。お願いします!」
いやっ、そんな過激な発言、正統清純派アイドルのセリフじゃないよ。
横にいるみずほとさくらだって、信者の目から涙目になってる。
「はる・紀さんが劣勢よ。何とかしてあげて、鉄えもん!」
誰ですかーっ?
「せめて、可憐な乙女の純情は、鉄矢Pが貰ってあげて!」
なんてことを! さくら、意味が分かってないだろうけど。
しかたない。こうなったら、なるようになれってことだ!
清純派? 冗談じゃない。
はる・紀の正体は、世間知らずのお嬢様ってとこだろうに!
旅に慣れてないどころか、電車の乗り方も知らないんだから。
本当は関わりたくもない。一刻も早くサヨナラしたいんだ。
でも旅は道連れ世は情け。素早く予約した僕にも責任がある、かもしれない。
僕は、そっと窓口に近付き、はる・紀に言う。
「2人とも、切符を発行してもらったら、黙って僕に渡してください。
あとは、この僕が何とかしますから」
幸いにも、サンライズツインを入手したことは、まだ誰にも言ってない。
2人の切符を預かって、そっとすり替える。それで一件落着だ。
プラチナチケットは諦めないといけないが、この際はしかたない。
お2人にサンライズツインの切符を渡したら、トンヅラするんだ。
「やったーっ! 鉄矢くんが受け取ってくれるのね!」
「私たちの、可憐な乙女の純情!」
ちっ、がいます!
受け取るのはシングルツインとノビノビシートの切符だ。
「可憐な乙女の純情は兎に角、鉄オタの僕が旅を最高なものにしますよ!」
「ありがとう、鉄矢くん!」
「ありがとう、鉄矢くん!」
ちっ、近い近いっ! やわらかい。
はる・紀の屈託のない笑顔と大人の香りが滅法近いなか、
僕たちの熱海滞在記はまだ続くのだった。
___________________ここまでの経路 3月16日その34
====(熱海駅滞在中)====
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