第32話 24万、円

 勝利の美ハーブティーは高い買い物だったのだろうか。

たしかに、飲み物で1杯1万2000円はとても高価だ。

けど、みんなで揃いだったからこそ、いい思い出になったんではないだろうか。


 裕子さんから買った浴衣に着替えた僕は、みんなのところへ戻る。


「鉄矢P!」……「鉄矢P!」


 みんなが歓喜のうちに僕を迎え入れてくれる。


「いやぁー、ちょうど浴衣売ってくれる人がいたんだよ。あははははっ」


 この旅をいい思い出ににするためだ。安い、安い、安い!


「あんっ。で、いくら払ったのよ、その浴衣に!」

「そうですよ。都合よく浴衣が売ってるわけないですし」

「きっとまた、ぼったくられたんでしょー!」

「あり得ない!」

「あり得ませんね」


 お察しの通りです。

僕が裕子さんに追いついたとき、タイムセールは終了していた。

浴衣も水着も定価に戻り、そのお値段は合計24万円にまで跳ね上がっていた。


「やっ、安いもんさ……」


 正直、高い買い物だと思う。

けど、みんなとの思い出は、何にとも代え難いのも事実じゃないか。


「で、おいくらだったわけ?」


 みずほに追求される。


「私たちには、知る権利があります!」

「そうですよ。旅の資金は動画収益で賄うんですから!」

「ウチたちの活躍があって、はじめて鉄矢Pは浴衣や水着が着れるんです」

「鉄矢P、一体、おいくら注ぎ込んだのー?」


 みんなの正論に、正直に答える。


「にっ、24万円です……」

「……はっ、くたばれ!」……「……はっ、くたばれ!」


 言葉のチョイス、発声だけでなく、絶句まで揃えて言われてしまう。

みんなとの思い出ほしさに、大金をはたいたなんて、恥ずかしい。

穴があったら入りたいよ!


「でも、まぁ。何にせよ、いいんじゃないの」

「そうですよ。思い出は多少、値がはるものです」

「ウチ、楽しい思い出になればそれでいいです」

「元が取れるように楽しみましょう!」

「わーい。みんなで揃いの浴衣姿ーっ。温泉ーっ!」


 みっ、みんな。ありがとう。本当に、ありがとう!

ガシッとみんなを抱きしめる。まではいかなくても、充実感があった。

みんなの心根の優しさに触れることができた。めっちゃ励まされた。


「……24万円……」……「……24万円……」


 だーかーらー、絶句でハモるの辞めてくれーっ!




 ガラリとした車内に小田原から別のお客さんが乗り込む。華奢な女性2人組。

1人は白、もう1人は水色のお揃いのミニ目のワンピがよく似合う。

春を先取りした、ファッションセンス抜群の2人だけど、ちょっと寒そう。

帽子やサングラスで素顔は見えないが、間違いない。2人は相当な美人さんだ。


 2人が旅慣れているとはとても思えない。

スマホを片手に持ったまま、とても大きな荷物を抱えている。

それぞれ、2人分はありそうだ。


 東海道新幹線は静寂が売りのひとつ。人によっては仕事場でもある。

2人が車内で仕事をはじめるとはとても思えないが、念のため。

みずほたちに、私語を慎むようにと伝える。


 静かな車内。

特にやることがなく、戯れにサンライズ号の予約ページを見る。

キラキラと光輝くシングルデラックスの表示が2つ! 

他にも、サンライズツインとシングルツイン、ノビノビ座席が1つずつ。

どの寝台が当たるのか。くじ引きを前にした今を楽しんでいる。と……。


(あっれーっ? どうなってんの、これーっ?)


 驚きのあまり画面を2度見・3度見するが、やはり間違いない。

思わず、叫びそうになってしまったほど。


 目に留まったのは予約画面。2人用個室寝台、サンライズツイン2枚だ。

誰もがうらやむ超絶レアチケットが、今ならあと2つ、予約可能!

ついでにシングルツインも1枚。これは要らないけれど。

誰かがキャンセルしたのだろうか。急用ができたとか?


 これはもう、普通に予約するしかないじゃん! しちゃったよ。

2枚予約、しちゃったよ。代わりにシングルツインとノビノビ座席をリリース。

多少、値ははるが、これでいい思い出になること、間違いなし!


(よしっ!)


 と、心の中で叫び、ガッツポーズをする。

こんなことで大声を出したら、別のお客さんに迷惑。

車内ではお静かに! が、東海道新幹線のお約束だ。


 刹那。静寂を突き破る叫び。


「あっれーっ! どーなってんの、これーっ!」


 吹奏楽家や応援団もびっくりの、かなりの声量。白ワンピのお客さんだ。

人の迷惑を省みないなんて、旅に慣れてないのだろう。

透き通るような声が台無しだ。


 直ぐ静かになる。水色ワンピのお客さんに口を塞がれているようだ。

何があったのか、気にしないことにする。

トラブルに巻き込まれないように。



 まもなく、熱海駅。トンネルに挟まれている立地で、

通過電車の巻き起こす風がとても強いのが名物の1つ。

のぞみ号が通過する度にところてん方式で突風が吹き荒ぶ。


 かつては、こだま号が到着する直前までホームに入れなくしてたほど。

安全第一の日本の高速鉄道の歴史の1ページを彩る。

結果、日本の常設鉄道ではじめてホームドアが設置された駅となった。

これも安全第一からくる発想だ。


 もう1つ、熱海駅ならではの事象がある。

こだま号の停車時間が極端に短いことだ。理由は待避線がないこと。

長く停まっていたのでは、のぞみ号が渋滞になってしまう。

そんな熱海駅の様子を是非とも映像に収めたい。


 到着前にデッキに行く。しばらくして美人のお客さん2人もやってくる。

スマホを片手に大きな荷物を抱えて、かなり慌てている様子だ。

やはり、何かあったんだろう。


 気になるけど、声をかけるわけにもいかないもどかしさのなか、

熱海第一トンネルを抜けた新幹線こだま757号は、熱海駅に到着する。


___________________ここまでの経路 3月16日その32

        ==(新幹線こだま757号)==2112熱海

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