第31話 2400、円

 新横浜駅の駅名標前での記念撮影のあと、切符を買う。

乗車券と熱海までの新幹線グリーン車指定席券。

サンライズ号の切符はまだ買っていない。

熱海駅で買うと決めているんだ。


 切符を見てみずほ。


「あんっ。どうして乗車券が要るのよ。週末パスがあるじゃない」

「週末パスはJR東日本の切符だから、東海道新幹線には使えないんだよ」


 詳しく説明すると、

JR東日本とJR東海が別の会社だということに、みずほは驚きを隠さない。

鉄道ファンにとっては常識であっても、一般の人には非常識のようだ。


「つまり、東京メトロと都営地下鉄みたいなものさ」

「あんっ。よく分からないわ。同じってことが言いたいの?」


 ダメだ、こりゃ。例えをみずほの興味の範囲に寄せる。


「アイドル業界に例えると、

 84系もはね系も、一般の人には区別がつきにくいのと同じだって」


 84系は、さざあやが所属する『万世84』を頂点とするグループ。

はね系は鱒氏プロデュースのユニット。はる・紀の2人は超人気者。

どちらもテレビや雑誌に引っ張り凧の、ハイレベルのアイドルだ。

零細事務所の山手プロとは大違い。


「あんっ。何言ってんのよ、バカ鉄。

 84系とはね系が同じなわけないでしょう!

 さざあやは超絶かわいいし、はる・紀はめっちゃかわいいわ!」


 いまいち、違いが分からない。


「いやっ、だから。JR東日本とJR東海も同じじゃないんだって。

 2つのライブに参戦するには、チケットが2枚要るだろう!」


「たしかに! 4月27日から29日の『はねっこドームドリーム』と、

 5月3日から6日の『84系だョ! 全員集合IN水道84ドーム』の、

 両方に参加するには、チケットが2枚必要ね。それと同じってこと」


 やっと伝わった。




 新幹線こだま号に乗車。

みんなは席を外す。ゆっくりしたところで、曲の割り振りについて考える。


「デビュー曲なだけに、ここは慎重にならなくては!」


 気合いを入れてみる。

と、聞き覚えのある声がする。でも、そんなの、おかしい。


「あら、今更そんなこと。大胆にキメた方がいいですよ、大胆に。お客様」


 なんで裕子さんがいるんだ?

東海道新幹線は車内販売を中止したはずなのに。


「どうして、ここに?」

「それはもちろん、お客様がいるからですよ、お客様」


 そんな、フリーダムな! また僕をカモにしようというのか?


「僕は何も買いませんけど。

 勝利の美ハーブティーとか、買いませんけど。

 とてもかたいアイスとかも、買いませんけど。

 裕子さんの商品は高いから、買いませんけど!」


 ぼったくられた記憶がよみがえる。


「あら、そうでしたか。それは残念です。

 折角、男性用の浴衣と水着を特別にご用意しておりますのに。

 タイムセール中ですよ!」


「要りません!」


 そんなの、荷物が重くなるだけ。旅は軽装に限るんだ。


「あら、そうなんですね。

 今ならこのお値段。99%引き、ですけど!」


 なんて破格な! 各1200円って、安過ぎる。

でも、怪しい。定価を高くして、割引率を引き上げているに違いない。

でも、破格だ……。


「いっ、要りませんって」

「分かりました。ここは引き下がりましょう。

 勝利の美ハーブティーのときのように、思い出作りはしないのですね。

 しかたありません。あっさり引き下がりますよ」


 そうしてください、お願いします!




 裕子さんがいなくなる。

誘惑に打ち勝った僕は仕事に取りかかるが、手につかない。

裕子さんとは別の理由で。別の、誘惑で。

5人そろってトイレかと思ったら、浴衣に着替えて戻ってきたんだ。


「じゃーん。鉄矢P、どぉ?」


 どうも何も、よくお似合いで! ジャージと違って、色気がマシマシだ。

だけど僕は、どーしても思ってしまう。寒くないのだろうか、と。


「やはり、温泉に浸かるとなれば、この格好が1番です。

 温泉ビギナーのさくらは知らないでしょうが、

 普段と違う服装に、世の男性はグッとくるものです。

 思う存分、鉄矢Pを虜にしてしまいなさい!」

「はぁーい! 中はもちろん、水着だし。はぁーい!」


 とっくに虜です! だってみんな、よく似合っている。

さくらやこだまのボディーラインを強調した着こなしは、今風でいい!

ありよりのあり!


 標準体型なひかりの和を全面に押し出した伝統美もいい。


「鉄矢P、いいんですよ。ウチたちで目の保養をしてもらって!」


 はい、そうさせていただきます! ごちそうさま! 


 やはり浴衣といえば、のぞみとみずほは外せない。

2人のやや寸胴な幼児体型が、浴衣の美しさを引き立てる。


「そんなにジロジロと見ないでください、鉄矢P」

「いいじゃないの、たまには。エロ鉄なんだから」


 はい。僕はエロ鉄です!

みんなのかわいい浴衣姿をこんなに間近に見られるなんて、

僕は、世界一幸せな男かもしれない。


「いー思い出になるーっ!」

「ほんと、ソレですよ」

「浴衣で温泉! 水着で温泉!」

「今日イチの、最高の思い出!」

「旅の記念!」


 うん、うん。ここは、天国かぁ!

と、思いながらも、やっぱり心のどこかに引っかかる。

寒くはないのだろうか、と。


「思い出といえば、勝利の美ハーブティーもよかったー」

「そうですね。多少、値が張ってもみんなお揃いって、サイコーです!」

「そう考えると、今度ばかりはお揃いとはいかないようですね」

「折角、私たちが水着に浴衣でも、鉄矢Pは安定のジャージ姿ですもんね」

「でも、まぁ。持ってないんじゃしかたないわよ、コレばっかりは」


 揃いの浴衣で街を歩き、水着のまま温泉に入る。

たしかにいい思い出になる。僕は、大きな勘違いをしていた。

荷物が重くなる? 旅は軽装に限る? 寒くはないだろうか?

そんなの、ほんの少しのガマンで何とかなるってもんだ!


 僕が浴衣に着替えたら、みんなとの思い出がより際立つ!

今直ぐに2400円を支払って、浴衣と水着をゲットするべきだーっ!


 僕が裕子さんの消えた方へと向かうなか、

新幹線こだま757号は、小田原駅に近付いていた。


___________________ここまでの経路 3月16日その31

新横浜 2045==(新幹線こだま757号)==

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