第30話 温泉、ビギナー

 八王子からは横浜線に乗車。

ジャージ姿の僕たちは車内の風景に妙に馴染んでいる。

部活帰りの高校生となんら代わりないのだ。


 みんなかわいくてスタイルもいいから、ちょっと人の目をひきつけるけれど。

グリーン車に乗っている方がよほど違和感がある。


「ロッ、ロングシート!」


 も、よく馴染む。


「みずほ、さすがにここでダンスはムリだからね」

「分かってるわよ! 身体がちょっとうずくだけ」


 うずくんかーい。

兎に角『テオファニー』は封印する。




 車内の混雑のなか、話題は専らデビュー曲について。

シングルデラックス争奪戦については、誰も触れない。


「なんだか、すごいことになってます。

 起動しっぱなしにしてたら、いつのまにか20曲も完成してました」


 たしかにすごいことだ。

1曲作るにも、何日もかかるものだろうに。


「歌詞はどうなのです? 『ホメロスセネカKDMーα』の初仕事は?」

「それも完璧ですよ。早速、ボカロに歌わせてみます」


 そんなこともできちゃうんだ。のぞみは侮れない。


 10曲を厳選。全員で試聴する。

元気なラブソングあり、切ない失恋ソングあり、生活応援ソングあり。

なかには演歌や、盆踊りで盛り上がりそうな音頭もある。


「あんっ。いいじゃないの、浪花節。新鮮よ!」

「『ドドンパ、ドドンパ、よいよいよい!』って、わくわくするー」


 みずほもさくらもご機嫌だ!


「バリエーションが豊富で、聴いてて飽きることがないね」


 率直な感想も、のぞみとひかりにたしなめられる。


「何を呑気なこと言ってるんですか、鉄矢P」

「そうですよ。鉄矢Pには大事な仕事があるじゃないですか」


 僕の仕事? なんでしょうか。


「誰の持ち曲にするか、ですよ!」


 たしかに僕はP。誰にどの曲が相応しいのか、判断する立場だ。


 言われて考えてみる。

演歌を歌いこなせるメンバーは? 音頭の似合うメンバーは?

のぞみの透き通るような歌声なら、バッチリかもしれない。

歌声といえばさくら。けど、さくらの場合、ダンスで魅せるのもありだ。

ダンスに課題のあるこだまに任せてみてもいいかもしれない。

みずほやひかりだって、きっと歌いこなしてくれるだろう。

考えれば考えるほど、難解だ。




 みずほとのぞみに、熱海駅到着後の段取りをはなす。


「まずは、暴風の取材。そのあと切符を購入。

 直ぐにくじ引きで寝台を決めるよ。そのあとは……」

「……あんっ。まだやることがあんの?」

「ご飯なら、もう食べれないですよ。こだまじゃあるまいし」


 呑気なものだ。


「替えの服は最小限しかないだろう。こまめに洗濯しないと。

 それに、サンライズ号にはシャワーがあるけど2人分しか確保できてない」


 シングルデラックスに付随するシャワーカードだ。


「お風呂に入らなくっちゃいけないってことね」

「熱海でお風呂。それって、温泉ですか?」


 のぞみは察しがいい。


「その通り!」


 温泉だ。


「あっ、あんた。まさか混浴じゃないでしょうね」


 まさか! さすがにそれはない。

熱海には日帰り温泉が豊富。なかには夜間営業しているところもある。

僕は事前の調査で、そんな温泉を選んでいるんだ。


 混浴に反応したのがのぞみ。


「あっ、それ、いい。混浴、ありそうです……」


 あるの? って、あったところで、まずいだろう。


「……2件ヒットしました! 家族風呂のようです。

 広い方は、8人まで同時入浴可能です。水着着用可。

 1枠30分で、土台が2000円。プラス1人1000円です」


 はなしが、はやすぎる!

6人で30分8000円。いいお値段だ。


「いやっ。もっと安価な公衆浴場が……」

「……ありません!」


 いや、あるんですよーっ。

のぞみの即答、即応にも困ったが、みずほにも困った。


「あんっ。エロ鉄ったら、もうヨクジョウしてるの?」

「それは欲情ですって!」


 みずほ会心のボケに突っ込む僕に対して、

華麗にスルーしたのがのぞみ。新幹線のように突き進む。


「温泉、1枠予約しておきました! 楽しみですね」

「あー、そうなんだ。ありがとう」「あー、そうなんだ。ありがとう」


 こうして、僕たちは熱海の日帰り混浴温泉に行くことになった。

1枠30分と短いが、ゆっくり浸かれるなら、それでいい。




 大よろこびのさくら。


「ほんとーっ! 温泉に行けるのーっ。赤坂、うれしーっ!」


 こだまは不満げに見えるけど、言動が不一致だから油断できない。


「さくらは本当に温泉に入りたいのですか? あんな面倒はありませんよ」

「えーっ、そうなの? 実は赤坂、温泉のこと、何も知らないんだ」


 今度は不安そうなさくら。

松本駅前の公園で知り合った男の子には、まんまと騙された。

温泉に入らないと美人にはなれないだなんてことはないのに。


「さくらは温泉ビギナーなんですね」

「そうなんだー。温泉には入ったことがないの。入りたいの」


 さくらは昨日まで眠り姫だったのだから、しかたがない。

こだまが天を仰ぎながら言う。


「それでは楽しみだと思うのもムリからぬことです。

 あんなことやこんなことになるリスクを想像できないのですから」

「あんなことや……こんなこと。赤坂、急に不安になってきちゃった……」


「あぁ、かわいそうなさくら。温泉ビギナーなばかりに……。

 いいでしょう。温泉入浴の作法について、私がしっかり教えて差し上げます!」

「本当?」


「もちのろんです!」

「わーい。ありがとーっ!」


 誰か、こだまを止めてくれないか⁉︎


 大変なことになりそうな予感のなか、横浜線が新横浜駅に到着する。


___________________ここまでの経路 3月16日その30

八王子 1950=====(横浜線)======2037新横浜

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る