第17話 夫婦、タンブラー

 僕たちだけの車内。

メンバーのおしゃべり合戦がはじまったかというと、ちょっと違う。

言い出しっぺが誰だったかは覚えていないが、本当に歌を歌うことになった。

山手プロの伝統曲『エピファニー』と『リーダー讃歌』だ。


 僕はカメラをセットして、そっとその場を離れたんだ。

みんなの歌への情熱の邪魔をしたくなかったってのもあるけど、

鉄道マニアの僕が、そこがグランクラスだってことを忘れたりはしないから。

車内販売員さんの来訪から、とことんガードするつもりだ。


 デッキに出た僕は、ノパソを開いて編集作業。

ユーチューバーの仕事は自転車操業。撮ったそばから編集は当たり前。

手はじめにこれまでの素材動画をひとりでざっくりとチェックする。

使える・使えないを分けていると、はじめに目に留まったのがさくら。

にぱっと口を大きく開けて、極限まで目を細めて「だーい好き!」と、

言いながらのフレームイン。上野観光でのひと幕。最高の笑顔だ。


 これは絶対に使え……ない。だって僕の二の腕が映り込んじゃってる。

単なる旅行企画ならいいけど、みんながアイドルだってことを忘れちゃダメ。

誤解を生むような動画は極力排除しないといけないんだ。

山手プロの正社員・田中さんが言ってたのを思い出す。

僕はさくらの最高の笑顔をボツにした。


 そのあとも、みんなのいい表情をいくつも見つけた。

最高の笑顔はどんどん更新されているのに、使えないものばかり。

理由は同様。僕、映り過ぎだろ!


 僕が映り込んでいないそこそこの表情の動画を繋ぎ合わせてみる。

そうやって出来上がったのは……。


「うーん、ありふれた動画だな。アイドル動画としてはどうかと思う」

「そーなんですよ。僕が映っているばかりに、ボツにした動画の多いこと!」


 って、僕、誰とはなしているんだ? この声って、まさかっ!

恐る恐る、顔を上げる。聞いたことのある声のする方を見る。

服装は車内販売員さんで間違いないけど、顔にはやはり見覚えがある。

レジェンド率いる『スィーツ』のメンバー、大門裕子さんだーっ!

なんで、こんなところにいるの?


「おいっ、どうしてこっちを使わないんだ? いい表情じゃないか」


 裕子さんは言いながらボツ動画を勝手に再生。


「いやっ、そっちのは全部、僕が映り込んでいるんですよ。裕子さん……」

「裕子? 私は裕子ではありません。通りすがりの車内販売員です」


 車内販売員が通りすがったらダメでしょう!


「絶対に、裕子……」

「……違います。車内販売員です!」


 食い気味に否定される。


「車内販売員さんなら、何か売ってくださいよ」


 通りすがられたら困る。

客室に侵入されて、みんなの歌を中断させたくはない。


「かちんこちんのアイスとりんごジュースがおすすめです。

 それから、この山手物産製の夫婦タンブラーでしょうか」


 山手物産というのは、山手プロの子会社。

Tシャツやジャージ、ブロマイドなどのグッズを一手に引き受けている。


「山手企画って、やっぱり裕……」

「……違いますよ。この制服は、どこからどう見ても車内販売員でしょう」


 もう、どっちでもいい。


「でも、どうしてタンブラーなんでしょうか?」

「あっ、そこ重要? しかたないですね。真実をお伝えします。

 正解は、山手物産が大量の在庫を抱えているからですよ、少年」


 少年って! 裕子さんが自虐的にマウントを取るときによく使う表現。


「在庫って?」

「そうそうそう。せめて半分の600個くらいは捌きたいわけですよ、旦那」


 今度は旦那! 裕子さんが甘えるときに使う表現と同じ。

車内販売員さんはそこまでで一度黙り込み、衣服を正す。

りんごジュースの缶を2個取り出す。


「って、違いますよ……そういう意味じゃありませんって」

「じゃあ、一体、どういう意味ですか?」


 車内販売員さんは1個を強引に僕に渡したあと、

もう1個をプシューッと開封、僕にも開封を促す。


 僕の開封を待って、車内販売員さんは端末を操作したあと、答えてくれる。


「かわいいアイドルとりんごジュースで『かんぱーい!』とか、

 したくないですか? したいですよねぇ。

 したくてしたくて、たまらないですよねぇ。

 たとえ、画面越しであったとしても、ね。

 でも、乾杯するには器が必要でしょう!」


 言い終わるや缶と缶をくっつけると、ジュースを口にする。

ゴクッ、ゴクッと飲む度に微かに動く首の筋肉に魅入ってしまう。

歳は大分上のお姉さんだけど、キュンッてしてしまう。


 車内販売員さんは、やっぱり大門裕子さんだって思う。

僕に笑顔と勇気と請求書を振り撒くアイドルだって思う。


「視聴者のみなさんが、みずほたちと乾杯したいってことですか?」

「そーゆーことです。で、概要欄にある山手プロの物販サイトをポチる。

 あとは、がっぽがっぽのうはうは人生を送るのみかと!」


 どうしようもないくらいの愛すべきクズどものひとりだって思う。


「なるほど、それが狙いなんですね。でも、そんなに上手くいくわけ……」

「……あるわ! あの子達ならこんな端金、直ぐに回収してくれるわ!」


 車内販売員さんは言いながら、品物と請求書を置いて、消えてしまった。


「かちんこちんのアイスとりんごジュースが7個、夫婦タンブラーが5個。

 ……総額6万3850円って、高過ぎないか」


 夫婦タンブラー、恐るべし。

___________________ここまでの経緯 3月16日その17

        ==(新幹線とき320号)===

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