第15話 波打つ、鼓動

 越後湯沢駅を過ぎると車内はガラガラになる。

スキー客の多くが下車したからだ。


 僕のスマホが鳴る。電話のようだ。相手は社長。慌ててデッキに移動する。


「デビューの準備だ。曲、詞、振付、衣装、ステージの手配だ」


 一方的に言うだけ言って、電話を切るのが社長だ。

迫力に圧倒されながらも、改めて思う。僕はPなんだって。

ちょっと前の僕だったら、引き受けたことを心底嘆いていただろう。


 でも、今の僕は違う。全く迷いがない。

だって5人は、僕の動画作りに大いに貢献してくれる。

今まで知りたくてもしれなかった視聴者の反応を示してくれた。

その分のお返しは、僕なりにキッチリするって決めた。

だからもう、Pを引き受けたことを悔やんだりはしない!


 でも、曲や詞って、どうやって手配したらいい? さっぱり分かんない。

やる気にはなったんだけど、これからどうすればいいんだ。




 席に戻る。2人がけの窓側の席だ。

通路側にいるのはさくら。イヤホンで音楽を聴いている。ご機嫌そうだ。


「ちょっと、ごめん。通るよ、さくら」


 と、声をかけつつ、なるべく邪魔にならないように横切る。


「はい、はーい。どーぞ、どーぞ」


 さくらは言いながら脚を避けてくれたんだけど、そのときイヤホンが外れる。

そのままさくらの胸の谷間に吸い込まれていくのを目で追う。

そんなところにジャスト・イーンって、恥ずかし過ぎる。

顔が熱くなる。


「あららーっ。鉄矢P、イヤホン、取ってくれる?」


 「あいよっ」と、胸に手を突っ込みイヤホンを救出……

なんて、できるかーっ! いやっ、ムリだから。僕にはできませんから。


「さすがに、ムリだって……」

「えー、ケチー。拾ってくれないの? いい曲だよ。のぞみの曲」


 ケチでも、できません。拾えません。いい曲だとしてもムリなものはムリ!

だけどさくら、今、なんて言った?


「のぞみの曲、だって?」


 どういう意味? どんな曲?


「そーだよ。詞はないけれど、とてもいい曲だよ。落ち着くの。一緒に聞こう」

「聞きたい!」


 心の底から聴きたい。

いつもは女神のようなさくらが、小悪魔と化す。


「じゃあ、拾って。イヤホンを耳にあてて」

「いやっ、それは……」


 そのとき僕は、人はエロのみに生きると思った。ただエロのみに支えるんだ。

あるいは、スジャータと格闘するお釈迦様の相似形。

この大きな誘惑に抗えないとて、誰が僕を責められよう。

僕は、神様でも仏様でもないんだ。普通の高校生なんだ。


「そーそー。ググーッと手を突っ込んで、拾ってーっ!」


 僕は、精一杯に抗う。


「なるほど。さすがはさくら。勉強になるわ」

「ウチ、見てられない」

「あー、なるほどー。これがエロ鉄の所業ですねー、みずほ」

「あんっ? エロ鉄? って、えええーっ!」


 という周囲からの声にハッとする。

尖った尻尾を振っているさくらに、尖った角を生やしている高1トリオ。

そして、顔をお猿さんのように真っ赤に染めているみずほ。


 僕の右手はというと、さくらの落とし物を今にも拾わんとしている。

実に伸びやかに。


 これはまずい!


「いやっ、冗談だから。拾わないから、絶対……」


 言いながら、そーっと右手を引っ込める。我ながら言い訳がましい。


「赤坂、すごくドキドキしたよ」


 兎に角、僕がさくらのイヤホンを拾うことはなかった。




 全員でのぞみの曲を聴く。


「魂が高揚する。すごくご機嫌なメロディー!」

「はい。主旋律がとても神々しいですね」

「ウチ、絵を描くときにこの曲を聴きたい」

「でしょーっ! のぞみの曲、とってもいいんだよーっ!」


 みんな、かなり興奮している。


「あんまり言われると、恥ずかしいです。『テオファニー』といいます。

 母さんがよく聞かせてくれました。今では数少ない形見の1つです」


 のぞみがさらりと言う。形見ってことは、のぞみのお母さんは……。

僕の感想も、概ねみんなと同じ。とてもいいメロディーだと思う。

けど、引っかかることもある。みんながベース音を評価しないことだ。


 ドクンドクンと波打つ重低音は、まるで鼓動のようで心地いい。

どうしてみんなは、この秀逸なベース音に触れないんだろう。

聞こえていないんだろうか……。


 はっ、まさかっ!


 僕が使っているイヤホンは、さくらが落としたもの。

さくらが拾って僕に渡してくれたんだけど、その前は……。

さくらの胸に直接触れていたんだ。


 さくらの鼓動がイヤホンに移った?

そんなことって、ある? いやっ、あり得ない。


 でも、この秀逸なベース音を誰も評価していないのは、あまりにも不自然。

確かめないといけない。


「僕はメロディーも好きだけど、ドクンドクンと波打つベース音も好きだな」

「あっ、分かります⁉︎ 実はそれ、心音なんですよ!」


 心音、キターッ! 思ってたのとはちょっと違うようだけど。

のぞみ、どういうこと?


「あっ、そのままの意味ですよーっ。

 母が心音を加工してベースに乗せたって言ってました」


 そんなこと、できるんだ。そんなこと、するんだ。

のぞみのお母さんは、なんてアバンギャルドなんだ!


「よく、赤ちゃんが母親の心音を聴くと落ち着くって言うじゃないですか。

 この曲はメロディーの高揚を、鷹揚とした心音で支えているんです」


 のぞみは僕が思っている通りに、お母さんだ。


「いいわね。私たち、こんな曲でデビューしたいわ」


 みずほが言う。他の3人も首を縦に振る。たしかに『テオファニー』はいい曲。

でも、のぞみにとってはお母さんの形見。簡単には手放さないだろう。


「私もそうして頂きたいですが、1つだけ条件があります。それは……」




 のぞみが聴診器型のマイクを取り出して提示した条件に一同が驚愕するなか、

新幹線E7系が新潟駅に到着する。

___________________ここまでの経緯 3月16日その15

        ==(新幹線とき315号)===1217新潟

47都道府県庁所在地完全制覇まで、あと45

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る