第8話 高崎、八起家

 僕とひかりの出会いは高崎駅、

在来線側からも新幹線側からも入れる便利な立ち喰い蕎麦店『八起家』の店先。

もちろん在来線側。『東京近郊大まわり乗車のグルメ旅』撮影中のことだから。


 僕は食券売機を前に悩んでいた。

月見蕎麦にするべきか、はたまたカレーライスにするべきか。

どちらも500円と金額が一緒なだけに、僕の悩みは深かった。

ひかりはそんなとき、僕にはなしかけてくれたんだ。


「お兄さん、蕎麦屋でカレーは邪道です。蕎麦になさるのがいいですよ」


 屈託のない笑顔に僕は納得した。


「なるほど、たしかにここは蕎麦屋だ。

 カレーが邪道かどうかは兎に角、蕎麦を食べることにしよう」


 こうして僕は決心し、月見蕎麦のボタンをポチッた。


「いいですね! そこで、1つお願いがあるのですが……」


 ひかりは一転、恥ずかしそうにモジモジしていた。

一体、何が言いたいんだろうか、気になった。

ひかりの笑顔に比べれば、何の価値もない作り笑顔を向けた。

ひかりは大きく深呼吸してから続けた。


「……写真を撮らせてほしいのです。お願いします!」


 それがどれほどの勇気のいる行為か、僕は知っていた。

ひかりが僕に言いながら差し出したものがあった。

僕はそれを手に取り、中を見た。


「なになに『文化祭 劇 歌 ダンス……』って、メモ帳?」

「あっ、間違いました。こっちです、こっち」


 ひかりは慌てて僕の手からメモ帳をひったくり、別のものに差し替えた。

そのときにはじめて見たんだ。ひかりの描いた絵を。

ひかりが僕に差し出したのは、スケッチブックだった。


 キラキラと輝く精巧なスケッチに、僕は思わずゴクリと唾を飲んだ。

特徴をよくとらえた、いい絵だって思った。


「かけ、わかめ、きつねにたぬきにかき揚げって、これ、全部蕎麦じゃん!」


 23種類。どれも上手で、どれも美味しそうだった。

ひかりは鼻の下を擦りながら、自慢げに言った。


「はい。お蕎麦をスケッチして、スタンプにしてるんですよ」

「それ、需要あるの?」


 つい、本音が出た。


「そこは抜かりないですよ。うどんバージョンもありますから!」


 ドヤ顔だった。そういう意味ではなかったんだけど。


「分かりました。その代わり、僕にもお願いがあるんですが」


 僕は動画への出演交渉をした。ひかりは快諾してくれた。

おかげで僕の動画は、バズることができたんだ。


 それからしばらくは絡むことのなかったひかりだけど、

昨日、新人アイドルとして僕の目の前に現れた。


 そして今日、一緒に旅をしている。

のぞみやこだまもだけど、不思議な縁を感じる。




 ひかりの地図とイラストの完成と同時に撮影開始。


「はいっ、はーいっ!

 ここで『今日、これまでの経路を説明しまーす』のコーナーでーす。

 スタートは東京の秋葉原ーっ。総武線で向かったのは千葉県の千葉駅。

 折り返しの総武快速線ではグリーン車に乗りました……」


 ひかりの説明にくどさはなく、むしろあっさり。

だけど地図やイラストが無言で補っている。

これなら、いい動画になるかもしれない!


「……いじょー『今日、これまでの経路を説明しまーす』のコーナーでした!」


 ひかりのチャレンジは大成功。根暗な鉄道マニアの僕にはできないこと!

ひかりの容姿と地図やイラストが、視聴者を画面に釘付けにするだろう。

なにより、初日にして1つの正解を導き出したのが大きい。


「ひかり、よく頑張ったね! すごくいい動画になりそうだよ!」

「ありがとう、鉄矢P。あと、みずほも!」

「あんっ、私?」


 みずほは自分では意識していなかったようだけど、ひかりが言うように、

地図にイラストを描いて画面に載せようというみずほの助言がなければ、

こんなに上手くいかなかっただろう。ひかりの成功はみずほのおかげといえる。


 刺激になったのか、他のみんなも次々にチャレンジ。

つたない説明ではあるが、身振りや手振りを交えて懸命に伝えようとする姿は、

さわやかそのもの。応援したくなる! みんなが一歩前進した気がする。




 常磐線快速に乗車している時間は約90分。

ひかりの成功で一歩前進したとはいえ、まだまだ練習が必要。

兎に角カメラをまわし続けて経験値を上げるのが得策。


 そんななか、みずほを中心にみんなが自主的に動き出す。


「会議よ、会議。作戦会議。このままじゃ私たち、全然ダメじゃない」


 いやっ、形にはなってきたから練習しようよ。

経験値、上げようよ。折角、ガラガラなのに。


 けど、自主性も大事。しばらくは会議の様子を見守ることにする。

素材動画品質向上委員会だ。発起人はみずほで議長はのぞみ。


「はーい。赤坂、得意なことをするのがいーと思いまーす!」

「たしかに。ウチは絵を描くのが得意で、それを利用したわ!」

「なるほど。私たちも何か得意なものを利用すればいいんですね」


 活発な議論がはじまるなか、常磐線は次の駅に向けて走っている。

___________________ここまでの経緯 3月16日その08

        =====(常磐線)======

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