第4話 山手プロの、眠り姫

 さくらとの出会いは1年半前。

『東京近郊大まわり乗車のグルメ旅』の撮影直後で、バイトの初日。

重い荷物を数回運ぶと、社長が打ち上げに行くと言い出した。


「焼肉だーっ。クズどもを先に行かせてある。急がないと食いっぱぐれるぞ!」

「はいっ」……「はいっ」


 クズどもというのは、所属アイドルのこと。

社長のおごりとなれば遠慮を知らない。店の肉が無くなるまで貪りつく。


 バイト仲間が一目散に店へと移動するなか、僕はちょっと違和感を覚えた。

この事務所にはまだ1人、残っていた。ずっとうつ伏せに眠っている女の子だ。

それがさくら。僕は気になってしまい、声をかけずにはいられなかった。


「君も一緒にどう? なんか、焼肉をご馳走してもらえるみたいだよ」


 それまでずっとうつ伏せに眠ってたさくらが、むくりと起き上がった。

その一瞬に見たさくらは、どんなに高名な彫刻家にも表現できないだろう。

絵画でもダメ。言葉でなんか到底表せない可憐さだった。

アイドルとはいえ、こんなにかわいい子が本当にいるなんて!


 さくらは眠たそうな大きな瞳をとろんと垂らして言った。


「ムリなの。赤坂、まだ働いていないから、打ち上げに行くのはムリなの」


 どうしてさくらのようなかわいい子が、こんな零細芸能プロにいるんだろう。

そんな強烈な疑問を僕に抱かせつつ、さくらはまた深い眠りに落ちていった。

気になってしかたがないが、本人にその気がないなら無理強いはできない。

その日、僕はさくらを置き去りにして、打ち上げ会場へと向かった。




 山手プロは零細だが女性地下アイドル専門の芸能プロ。女子率が高い。

それもとびきりの美少女だったり、美人さんだったり、スタイル抜群だったり。

学校ではちょっと見かけないほど顔面偏差値の高い女性ばかり。

なかにはテレビや雑誌でちょくちょく見かける人もいる。美人天国だ!


 だけど、美しさのあまり僕が緊張するということは全くなかった。

客観的には美人だと分かるが、僕がドキドキすることはなかった。

あの日に見たさくらの残像の方が、何十倍も勝っていたからだ。

起きて活動しているそこら辺のアイドルより、

ずっと眠っているさくらの方が余程気になった。


 中学時代は何度もお世話になった、水着グラビアでお馴染みの、

セクシー系アイドル『デイージ』の上野つばささんも例外ではなかった。

このときの僕は、どうしようもないくらい

さくらのことで頭の中がいっぱいだった。


「あっ、鉄矢くん。洗濯? だったらこれも、しくよろだよ」


 言いながら洗濯物を1枚2枚と僕の首に巻きつけるつばささん。

当時のつばささんは山手プロの稼ぎ頭。事務所をあげてゴリ推し中。

チヤホヤしてあげるべきで、無碍にするなんてことは絶対に許されない。

洗濯物を首に巻かれたら、すこぶるよろこぶべき。


 けど僕は無造作にそれらをつかみ、洗濯籠に突っ込んだ。


「はい、はい。分かりました、つばささん。ちゃんと洗っときますよ」

「なんですか、そのローテンション。

 私が直前まで着てたウェアを授かっておきながら!

 匂いを嗅ぐなり、肌に擦り付けるなり、いやらしいリアクションしないの?」


 つばささんは不満げだけど、僕には困惑しかなかった。

首に巻かれているのがさくらのだったら、もっと興奮したんだろうか。

なんてことを考えるほど、冷静だった。


「いや、そういうのって嫌がるでしょ、普通。社長に怒られるし」

「もちろん嫌がるよ。でも同時に『まだいける!』って実感が湧くのよ。

 田中Pなんて、飛びまわってよろこんでくれるんだから。

 社長も、身近なところにファンを抱えろって言ってるし!」


 つばささんは言いながら前屈みになり、上目遣いに僕の顔を覗いてきた。

昨日発売の青年誌の巻頭グラビアと同じポーズ、同じアングルだ。

大きく開いた襟元から胸の谷間がはっきり見えたのも同じ。

違うのは、つばささんの胸がシャツの中でまだ暴れていること。

一瞬を切り取った写真では、そうはならん!


 高1だった僕にはさすがに刺激が強過ぎる。咄嗟に目を逸らす。


「そっ、そんなことしなくても大丈夫ですって。

 つばささん、うちの学校の男子に大人気ですから」

「私が聞きたいのは、学校での評判じゃないよ。鉄矢くん自身の感想だよ。

 どう? こんな子と恋人になりたいって思うでしょう?」


 言いながら、トドメとばかりに僕に抱きついてくるつばささん。

こうまでされると、はっきりと巻頭グラビアとの違いが浮き彫りになった。

シャンプーの匂いも、肌を刺激する肉感も、雑誌では味わえないものばかり。


 僕は、変な悲鳴をあげて身体のバランスを崩し、そのまま尻もちをついた。


「はぁう! ちょ、ちょっと。やめてくださいよ、つばささんってば」


 つばささんは、僕を見下ろし、ある1点に全集中した。


「うんっ。私もまだまだ戦えるわ! ありがとう、鉄矢くん」


 なんだか、負けた気分になった僕は「いやっ、今のは反則ですって」と、

つばささんの視線の先を両手で覆い隠しながら、精一杯の負け惜しみ。


「それもそうね。童貞の鉄矢くん相手じゃねぇ。

 でも、鉄矢くんが卒業したら、そのあと2人で、今の続きをしようね。

 そしたらきっと、私のすごさが鉄矢くんにも分かるんだから!


 あっ、それから私の洗濯物、ちゃんと手でもみ洗いーっ。しくよろだよ」


 つばささんは、言い残してどこかへ行ってしまった。

洗濯物をよく見たら、水着だった。気安く童貞に託すんじゃないっ!

さっきは知らずに素手で掴んじゃったじゃん。


 そんなことがあった日も、さくらはずっと寝息をたてて眠ってた。

僕はそんなさくらをずっと気にかけていたんだ。




 バイトを辞めると決めたときに唯一の心残りだったのがさくらだった。

あの笑顔をもう1度だけでいいから、拝みたいと思っていた。


 それくらい、さくらは僕にとって生粋のアイドルだった。

作り物ではないホンモノのアイドル、信仰を集める偶像。

赤坂さくらが、鉄道にしか興味のない僕を少しずつ狂わせた。


 まさか、『充電』なんていう過激な手段で覚醒し、

一緒に旅行することになるとは思ってもいなかった。




 そんなことを考えていると、僕たちを乗せた次の電車が船橋駅を出発する。

___________________ここまでの経路 3月16日その04

船橋  0600=(東武アーバンパークライン)=

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