第2話 沖にて

「持って行きたい人は、水中マスクをカヤックの中に入れるといいよ。フィンはゴムに挟んで。沖の方で海に降りてシュノーケル遊びしていいから」

川西さんが途中自分のショップに立ち寄ったのも、何点か貸し出し用にと、それらを持ち出してくれるためだった。


 私はダイビングの機材は宿に置いてきたが、ウェットスーツのつなぎの下をツアー中に着ていたかったのと、水中ブーツの持ち運びもあるから、小物は丸ごとメッシュバッグに入れたまま持ってきている。

 海ではウェットスーツの上も着込み、その上にライフジャケットを着用することにした。


「でも海の足つかないとこでカヤックから降りたら、自分の腕力だけ這い上がって乗り込めそうもないんですけど」

そう私が質問すると、


「大丈夫大丈夫。チンした場合も含めて、俺が乗せてあげるから」

と川西さんは言った。


 ふうん、そっか。

 沖のリーフ珊瑚礁でのシュノーケリング楽しそう!

 それならばと、早速カヤック内にシュノーケル付きマスクを積み込む。


 突如。

 「あれ? これ……私、無くすかもしれない……」

なぜかそんな思いが鮮明に。

 ぶわわっと、脳裏に強烈さをもって浮かぶ。


 私はとてもそそっかしい。

 ああ、沖で装着する時に手を滑らせたりしないよう気をつけないと! 

 自分に注意を促し、フィンをカヤック外のゴムバンドにぐいっと挟み込んだ。


 そして使い捨てコンタクトを外す。

 ど近眼の私の水中マスクにはガツンと度が入っているのだ。

 海上で取り外して捨てるわけにもいかないから、シーカヤックで景色が見えなくても、海は広くて他のカヤックにぶつかるわけもなし。

 ちょい沖でのスノーケルに、楽しみの照準を合わせる選択を私はした。


 みんなで海に漕ぎ出す。

 私たち一人旅チームは、青い海青い空の元、チャプチャプ浮かんで、和気あいあいとおしゃべりしたりして楽しんだ。

 

 そんな静かで波も風も穏やかな海に、突然。

 船体横、西の方から強く波が押し寄せた。

 沖から陸へではなく。


 え??!! なに??!!


 なすすべもなくモロに横波をくらって、私のカヤックはひっくり返る。


 海に投げ出されたのか、自分で抜け出たのか、記憶が定かではないが。

 水中に浮上し、カヤックに捕まって息を整え辺りを見渡すと。

 私同様、海に投げ出され中学生を、再びカヤックに乗せ助けようと、水に浸かって苦戦している川西さんがいた。

 

 視力は悪くてもざっくりと色と形はわかる。

 

 横波が次々に絶え間なく押し寄せてくる。

 高波ではないがカヤック初心者の私にとって、自力で水中からカヤックに這い上がる難易度がぐんと増す。

 一欠片ひとかけらも、一人で乗り込む方法を習っちゃいない。


 くっ! 人任せに丸投げせず、あん時コツぐらい聞いときゃ良かった。


 なんとか自分の力で必死で這い登るも、カヤック内の水抜きができてないから、すでに半沈没状態。

 案の定、次の波で容易たやすくくるりと、またすぐにひっくり返った。

 

 私よりも何メートルか陸寄りの東のほうにいた、ミカちゃんとシュウ。

 横波をまぬがれて、ちゃんとカヤックに乗ったままでおり、「大丈夫ーー?!」と不安そうに離れたところから、私へ大声で叫んだ。


「こっちは波がやばい!! 二人は早くそのまま戻って!! その先のOLも引き連れて!」


 彼らのいる場所はここほどの波が無いように思われる。

 少しの距離で差があるなんて、なんとも変則的でおかしな横波だ。


 水に浸かったカヤック内部先端にある、水中マスクに至っては取り出すすべもない。

 かろうじて海に浮いている私のシーカヤックが沈没する前に、せめてフィンを取り外さねば。


 ゴムバンドから取り外した瞬間。

 波にあおられ、フィンの片方が私の手を離れてしまった。

 海の底にゆらゆらと沈んでいくフィンを、ストップモーションを眺めるように。

 ただただ私は見送るしかなかった。

 

 あん時の予感が当たるなんて……

 しかも単なる私のうっかりミスを予言したものじゃないじゃん。

 こんなん、斜め上過ぎる!


 あとでカヤックから水を抜いて、川西さんが乗せてくれるかもしれない。

 万が一の望みをかけて、沈みゆく力と浮力を利用して、カヤックを縦に海に突き刺さすようにした。

 水面から三分の一ほど、にょきり船尾が立ちのぞく。

 それを後にして、少し沖に浮かぶ中学生と川西さんの方へ、私は泳ぎ向かった。


 波はさほどないが、思ったより進まなくて焦る。

 一応片足フィンは持ったまま。

 重いから思い切って捨てたほうがいいのかも……どっちが得策か今は分からない。


 合流し話を聞くと、川西さんのカヤックは壊れて、中学生の子のパニックを鎮めているうちに、二艇とも沈没。

 私のカヤックはと振り向くと、かなり私たちは沖に流されていて、ほぼほぼ沈没したようで突起がかろうじて見えると川西さんが言った。


 そしてもう一人。

 中学生の子のお母さんがカヤックに乗って近くに浮かんでいた。

 波をかぶった私たちより、東側にいて沈没は免れたものの、娘が心配でうろうろしているうちに逃げ遅れたとのこと。

 シュウたちに戻れと言ったあのタイミングを逃し、娘の側に居たいのはもちろんだが、どうやら自分一人で海を渡って帰るに帰れず、くっついているようだ。


 完璧に海の色が違う。

 もはや外海そとうみ

 ただ、まだリーフに近い。

 しかし全然陸地のほうに進んでる気がしない。

 沈没後どのくらい浮いていただろうか? 三十分以上は経ってる……一時間までは……


 陸に戻った彼らはちゃんと助けを呼んでくれてるんだろうか?

 助けの船の気配はまだない……


 川西さんが私に向かって口火を切る。

 

「このまま浮いていてもらちが明かない。

お母さんには戻るよう再三言っても無理だった。

もう蜂蜜さんしかいない。

お母さんとカヤックを乗り替わって、一人で海を漕いで渡って、助けを呼んできて欲しい。

凪いでいる今しかない。今度こそ俺が海上でちゃんと上に乗せる」


 え? ええええ!!!!

 わ、わたし??!!


 次の横波が来たら、初心者のお母さんの腕前じゃ、もちろん私の腕前でも、確かに沈没だ。

 パニックは今は収まって、静かに泣いて堪えている女の子。

 子供の手前かろうじて気を保って入るものの、オロオロするばかりのお母さん。


 でも、お母さんは今は無事にカヤックに乗ってるんだし……


「お願いします! 代わってください! お願いします! 私には無理です! 怖くできません! どうかこれに乗って助けを呼びに!」

海に浸かって浮いて、ただ助けを待つほうを彼女は選んだ。


「蜂蜜さん、夕方にもうすぐなってしまう。

体力を温存して岸へ行く波を待って捕まえて、それに乗って我々もリーフの中へと向うから。

でも君は、今すぐカヤックに乗って陸地を目指すんだ。そして助けを呼んできて欲しい。夜が来る前に。頼む!!」


 た、確かに。

 いつ来るか分からない助けを、みんなで夜に怯え漠然と浮かんで待つよりも。

 確実に助けを呼びに行くという。

 誰かに託す希望。

 今、必要なのはそれだ。


 でも、カヤックが途中でひっくり返って、海に投げ出されて、独りぼっちで漂わねばならなくなったら……

 どうせならみんなと固まって、このまま助けを待っているほうがどれだけ……


 ああ。

 空には夕方の気配。

 くっそ!!!!


「分かった! やってみる! カヤックに乗って絶対に。私、助けを呼んでくる」


 お母さんの乗ってたカヤックに、中に水を入れることなく、川西さんに手伝ってもらって無事乗り代わる。

 彼女は背が高いので、足の舵取りラダーのペダルには全く届かない。

 まさにこの腕だけにかかってる。


 水面に浮かぶ三人から、ありがとう! 頑張って! 無事の上陸を祈ってる! 助けを待ってるから! と、声援を受け。


「必ず海を渡り切って、助けを連れてくるから。

信じて待ってて。行ってきます!!」


 必ず生きて再び陸で会おうと約束し合う。


 そうして独り。

 シーカヤックに乗って、陸を目指して私は漕ぎ出した。




 


 

 



 





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