第27話


 午後三時ごろになって、ようやく夏季は四階フロアのいつもの六番柱あたりに現れた。


 発売機の窓口の巡回をしながら遠まきに眺めていると、記入テーブルにいるマスターやヌリエモンから「おネエちゃん、今日は遅いじゃないか」とでも声をかけられている様子に見えた。


 夏季は笑いながらバッグから新聞を取り出して、近くのオッズモニターに目を向けていた。


 全く困ったものだが、今さらここに来るなとも言えなくなってしまったのは、私自身の曖昧な対応が原因である。


 万が一、どう見ても不審だからと、職員から詰問される事態になってしまうようなことがあれば、江田夏季とは友人なので、未成年と分かっていながら大目にみていたと潔く謝ろうと思った。


「今日は最終レースのあとは真っ直ぐ帰るんだよ」


 私は夏季に近づいて耳元で言った。


「分かってる。今日はすぐ帰るから心配しないで」と素直な言葉が返ってきた。


「あとでショートメールを送っておくから」


 母と弟の居所探しの件を伝えておきたかった。


「うん、分かった。でも片山さん、もっと電話とかメールしてよ。せっかくこの前電話番号を交換したのに」


 夏季は不服そうな表情で言った。


 私はスマートホンをあまり上手く使いこなせていないが、その便利な機能に頼ろうとも特に思わない。


 それはきっと、これまで親しい友人や仕事仲間などがいなかったことも影響していると考えられた。


 三十歳を少し過ぎた私は、同年代の男性に比べて機能的な暮らしから程遠い現状だと思った。


 最終レースが終わって、あちこちから笑い声とため息が飛び交う中、六番柱のあたりに行くと夏季の姿はすでになく、早々と返ったようだった。


 当たり馬券の払い戻しを終えた最後の客が退館するのを見届けてから、数ヶ所あるシャッターが一斉に閉まる。


 場外馬券売場の全ての業務が終了し、職員やスタッフから何処からともなくホッとしたため息が聞こえる。


 控え室に上がって着替えを終えるとすでに17時過ぎである。


 私は浅草寺を横切って、言問通りから隅田公園の土手沿いを歩いた。


 最近は土日のごとに夏季とこのあたりを歩いている気がして、この日の夜は南千住までの帰り道が何だか寂しかった。


 途中、リバーサイドスポーツセンターあたりの隅田川の対岸の夜景が綺麗で、思わず夏季にメールを送ってみた。


「今日は真っ直ぐ帰ってるかな?僕は今、隅田川沿いをゆっくり歩いて帰る途中。遠くから眺めるスカイツリーもすごく綺麗だよ」


 メールのあと、スマホカメラで撮った隅田川とスカイツリーの画像も送った。


 すると直ぐに返信が届いた。


「スカイツリーが綺麗だって口癖のように言うんだから、気分良くない~。私はどうなの?」


 メールは不満そうな内容だった。


 こんな言葉のやり取りを、昨夜会った時にも交わした気がした。


「夏季とスカイツリーとをなぜ比べられるんだ?スカイツリーなんてメじやないよ」


 ぎこちない文字打ちながら、私も直ぐに返信した。

 しかもハートマークを文尾に付けて送ってみた。


 その気になればメールやスマホの機能なんて、おそらく簡単に覚えてしまうだろうと思った。


 すると今度は電話が震えた。


「怒ってんのか?」と、私は電話に出て直ぐに訊いた。


「怒ってなんかいないけど、スカイツリーは綺麗だ素晴らしいとか何度も言い過ぎだよ。私には全然言ってくれないんだから。でもさっきのメールにハートマークがあったから許す」


 そう言ったあと夏季は「ちょっと気になることがあるんだけど」と言った。


「どうしたの?」


「うん、今さらなんだけど、私の誕生日にいつもお父さんが花束をプレゼントしてくれるのね」


「優しいお父さんじゃないか」


「そう思ってたんだけど、今日帰って来てリビングに入ったら綺麗なお花が生けてあったの。それで、お父さんはお花が好きなんだねって私が言ったら、この花はオンナが持って来たって言うの」


 私は夏季が何を言おうとしているのか分からなかったが、相槌を打って続きを待った。


「それでね、いつも私の誕生日にお花をくれるのはお父さんでしょ?って訊いたら、お花は母さんが送ってくるんだって言うの」


「どういうこと?」


「お花って近くのお花屋さんに行けば、全国のお店と繋がっていて、プレゼントを頼むと相手の人が住んでいる近くの花屋さんが届けてくれるのよ」


 今の時代は全国どこにでも花を送れるとは知っていたが、実際に夏季の母が彼女の誕生日に毎年送っていたとは驚きである。


 そして驚くばかりではなく、そうなれば送り主の住所など何らかの情報を、届けてくれた花屋に残っている可能性があると思った。


「夏季、すごい情報だと思うよ」


「誕生日のお花はお母さんからだってこと、これまで一度も言ってくれないから、お父さんからだとばっか思ってた」


 父は夏季が母に会いたいと言い出したりするのを避けるために、誕生日の花は自身が買ったものと思わせたのだろうと私は考えた。


 だから、花を届けてくれた花屋さんのことを父に訊いたりしない方がいいと思い、夏季には「お父さんにはきっと夏季言えない思いがあるんだよ。だから何も言わないようにね。ちょっと僕の方でいろいろ方法を考えてみるから」と言った。


「分かってる。お母さんと弟の居場所のことは片山さんに頼ってるから」


 いつものように夏季は素直に従うのであった。


「明日から取りかかろうと思うから、何かあったらメールをするよ」と私は言い、長電話はまずいからと夏季をたしなめて電話を切った。


 私はスカイツリーから目を離し、隅田川沿いの土手を降りてアパートへ急いだ。


 急いで帰って何から取りかかるかは具体的に分からなかったが、夏季への気持ちが私を急がせていた。

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