第22話


 「船木」の営業時間は平日のみ、昼のランチタイムが十一時から十四時、夜は十七時から二十二時半と書かれていた。


 土日に店を開けたほうが観光客の流れ込みもあるだろうが、マスターが土日は場外馬券売り場に来るからなのか、一見客を特に求めていないからなのか、それは分からない。


 夏季の両親のことについてマスターは時々生ビールを飲みながら、昔を思い出すような表情で淡々と、そして少しずつ語った。


 店内にはカウンター席に男性客が二人いるだけであった。


「あの子の母親はうちの店を手伝ってくれてたんだよ」


「えっ、お母さんがですか?」


 私の席のひとつ置いて隣の席の男性が、私の言葉に反応してこちらを向いた。


 私はマスターからの予測もしなかった言葉に驚いて、無意識のうちに少し声が大きくなっていたようだった。


「いや、母親がという言い方はおかしいな。つまり、ずっと昔のことなんだが、大学生だった時にバイトで働いてもらっていたんだよ。もう二十年以上も昔のことなんだ」


「そうだったんですか。彼女のお父さんがここの常連さんだったとさっき仰ってましたよね。すると、この店でおふたりが知り合ったということですか?」


 夏季が前に「マスターが何か知っているかも」と言っていたが、何か知っているどころの騒ぎではなさそうである。


 私はマスターの次の言葉を待った。三本目のビールが空になった。


 閉店時刻までまだ一時間あまりあるので、もう一本ビールを頼んだ。


 午後九時半を過ぎて、新たに客が三人入って来て、奥の座敷席に通された。


「そういうことなんだよ。この店にバイトに来て半年ほど経ってから、いつの間にか奴が手をつけやがったってことさ」


 マスターは生ビールを飲みながら、苦笑いをして言った。


「じゃあ、あの子はこの店が縁で結婚したご両親と暮らしているんですよね。何で場外馬券売り場なんかにひとりでやってくるんだろう?しかも高校生なのに」


 私は何も知らないフリをして、わざとらしく独り言のように呟いた。


「それがね、あの子が生まれて、その次に男の子が生まれたあと、しばらくしてから離婚したんだよ。

 いろいろ揉めたようだけど、結局母親は下の子を連れてイナカに帰ったのさ。だからあの子は奴とふたり暮らしなんだ」とマスターが言った。


 その時、座敷客からの注文を女性スタッフがマスターに伝えに来た。


「もう少しゆっくりしていきなよ。ちょっとまた奥に入るから」


 そう言って、マスターは暖簾の向こうに消えた。


 夏季の母親が弟を連れてイナカに帰ったと聞いたからには、そこが何処なのかを何としても聞き得て帰りたい。


 四本目のビールはさすがにグラスが進まない。


 私は茄子の一本漬けをひと切れ口に運んでは、チビチビとビールを流し込んだ。


 十数分経って、マスターが両方の手に料理を持って出てきた。


 女性スタッフにそれを手渡して、カウンターの向かいで刺身を切りながら「あの子の親父、今はおとなしくなったが、昔はちょっとしたヤンチャ者でな、離婚は仕方がなかったんだよ」と言った。


「ヤンチャ者・・・ですか?」


「一時期は組事務所に出入りしていたしね、もちろん今は足を洗っているが、定職に就こうとしなかったし、愛想を尽かされたんだよ」


 座敷席の客への刺身の盛り合わせを女性に渡してから、マスターは「まぁそんな事情があってね、あの子は可哀想な子なんだ。片山さん、これからも場外馬券売り場に来るのは大目にみてやってよ」と言った。


「今日お聞きしたことは絶対に口外しません。いろいろ話が聞けてよかったです。あの子、競馬が好きなんですね。

 大穴当てて配当金を身体の前でペラペラ振りながら喜んでたから、二度ばかり注意しましたよ」


 私の言葉にマスターは、「あははは~、そうだな、無邪気でいいよ」と言って大笑いをした。


 私は頃合いをみてさりげなく「ところで、あの子のお母さんのイナカって何処なんですか?」と訊いた。


 マスターは二杯目の生ビールを飲んでいて、閉店時間も近く、私の問いかけを特に気にする様子もなく「宮津さ。京都の日本海側の、ホラ、天の橋立で有名なところだよ」と言った。

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