第20話



 閉館のあと、控室で慌ただしく着替えてからホッピー通りの手前にあるマックに入ると、指示していた一階の窓際のカウンター席で夏季は待っていた。


「前に行ったパスタの店に行くの?」


 高校生のくせにコーヒーを飲んでいる夏季に私は訊いた。


「もっといい店に行こうよ。例えばお鍋の店とか」


 紙コップをダストボックスに捨てて夏季は言い、私より先にマックを出た。

 どちらが年上なのか分からないなと、私は苦笑いをして続いた。


 十月も半ばを過ぎて夜は少し肌寒くなってきたから、夏季の言う鍋料理もいいかなと思ったが、鍋といってもいろいろと種類がある。


「何鍋が食べたいのかな?」


「もつ鍋がいいな。それと焼き鳥」


 女子高生がリクエストをする料理の種類ではない。

 でも私は彼女の様々なイレギュラーな言動にはずいぶんと慣れてきたように思えた。


「じゃあ博多もつ鍋をウリにしているお店に行こうか。焼き鳥ももちろんあるしね」


「行こう。私の奢りね。今夜は素直に従ってね」


「はいはい」


 私たちはひさご通りにある博多串焼きともつ鍋の店に入った。

 店内は日曜日の夜ということで当然ごった返しの混み具合だった。


 前回のPinoの時もそうだったが、幸運にも奥のほうに設置された二人テーブル席が空いていた。


 私たちはもつ鍋二人前と串焼きを二本ずつ数種類、そして私は生ビールを注文し、夏季にはソフトドリンクをと思っていたら、「私はレモンサワーをお願いします」と間髪を入れずに言った。


 もう彼女の意向にはいちいち物言いをするのはやめておこう。


 女子高生とは思えない物怖じしない態度や、客観的には不幸にも思える家庭環境にありながらも明るく活発な人柄は賞賛に値すると思った。


 大手企業に今なお遺物のように残る社風や規定に耐えられず東京に逃げてきた私なんかに比べると、はるかに大きな人間ではないかとも思った。


「もつ鍋、好きなの。この油の多い丸いお肉、最高」


「ああ、丸腸ね。旨いよね」


 普通の女子高生が「丸腸が好き」なんて絶対に言わないだろうなと、私は再び苦笑いをして生ビールを飲みほした。


 夏季と一緒だとその言動に驚かされることが多いが、いつの間にか楽しむことができるようになっていた。


 私たちは料理を楽しみ、生ビールを三杯も飲み干し、夏季はレモンサワーを二杯飲んだ。


「例の件、もう少し待って。いろいろ他の方法を考えたりしてるから」


「ありがと。会えたらいいなって思ってるだけだから、重荷に思わないでね」


 マスターが何か知っている可能性があると夏季が言っていたので、今週あたりにブラっと入ってみよう。


 その結果、有効な手掛かりが得られなかったら、他の方法を私は一つだけ考えていた。でもそれはまだ夏季には言えない。


「今夜も帰ったら先にお風呂に入って、歯をきちんと磨くんだよ。酒臭かったらヤバいからね」


「うん、分かってる。大丈夫よ、お父さんだってオンナと飲んでヘロヘロなんだから」


 ヘロヘロという言葉が夏季から飛び出したことに、私は我慢できずに声をあげて笑った。


 お勘定をする際、夏季が赤い財布から一万円札を一枚取り出して私に手渡した。

 レジで私がそのお金で支払いを済ませた。


 心遣いのできる子なんだと、何だか夏季が大人の女性に思えたりもするのであった。


 国際通りを渡っていつものところまで送った。


「昨日別れ際に僕が言ったこと、聞こえたの?」


「えっ、何か言ったの?マンションに入っちゃったから聞こえなかったよ」


「じゃあいいよ。お風呂に先ず入るんだよ」


「分かってるよ。昨日何て言ってくれたの?大事なこと?」


 マンション前の通りには人はいなかった。私は夏季の片手を取って引き寄せ、抱きしめた。


 そして耳元で「好きだって言ったんだよ。じゃ、おやすみ」と言い、身体を離して背を向けた。


 国際通りのほうへ歩き始めたが背後から何も聞こえない。

 振り返ると夏季が顔を覆って泣いているようだった。私は慌てて駆け戻った。


「どうしたんだ?」


「嬉しいの。好きだなんて誰にも言われたことがなかったから」


 顔を覆っていた手を離すと涙で濡れていた。

 私は抱き寄せてキスをした。夏季の身体は震えていた。


「人が来るから帰りなさい。電話番号を教えて」


 身体を離して私は言った。


 夏季はバッグからスマホを取り出し、「この番号よ」と見せた。


「空電話をかけるから、あとで登録しておいて」


「ありがと。ようやくだね、嬉しい」


 そう言い残して、夏季は軽く手を振ってマンションのオートロックから消えた。


 私は彼女の「ようやくだね」の意味を考えながら国際通りを渡って人混みの中を歩いた。


 ようやくキスしたねなのか、ようやく電話番号を交換したねなのか、ビールの酔いでぼんやりと考えたが、そんなことはどちらでもよかった。


 私は少し疲れていたが、今夜は嬉しさが次第に大きく膨らんでいくのが分かった。

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