第14話


「ごめんなさい、明日もまた仕事なのに」


 隣に腰をおろすと、元気のない声で申し訳なさそうに夏季は言った。


 案外、素直で気配りをするいい子なのだ。


「仕事なんて土日だけのバイトだから、僕のことは気にしなくていいよ。それより相談って何かな?」


「片山さん、平日はお仕事していないの?」


「今はあそこの土日のバイトだけだよ。でも東京に出て来て半年ほどになるからね、そろそろ何かマトモな仕事を探さないとって思っているよ。僕のことより相談ってどんなこと?」


「土日だけの収入で生活するのって大変でしょ。前はどんなお仕事だったの?」


 夏季は私の質問に答えずに、相変わらず丁寧語とタメ口を混ぜてさらに訊いてきた。


「僕のことはいいから。何か困ったことでも起こったの?相談があるって言うから、今日は仕事が終わるまでずっと何だろうって心配してたんだよ」


 私は少し苛立ちながら言った。


「ごめんなさい」


 彼女は毎度のように急にしおらしくなったりする。

 しばらく彼女の言葉を待った。


 対岸のスカイツリーのイルミネーションがひと回りしたころに「お母さんと弟に会いたいんです」とポツンと言った。


 母と弟が出て行ったのは夏季の幼少時だと前に聞いた。


「そうだよな。当然だと思うよ」


 その記憶が間違いなければもう十年以上が経過する。


「これまでお父さんに言わなかったの?」


「何をですか?」


「何をって、お母さんと弟に会いたいって、お父さんにお願いしなかったの?」


「お父さん、離婚した時、絶対に夏季は離さないって言ったんだって。お母さんは逆に弟は絶対に連れて行くって引かなかったって。

 お母さんのことあまり覚えていないし、お父さんにはこれまでお金の不自由もなく育ててもらったから、お母さんに会いたいって言えないのよ」


 夏季はしばらく考え込んだような顔をしていたが、ゆっくりとした口調で事情を話した。


「ご両親が離婚した理由は何だったのかな?」


「知らない」


「お父さんの仕事は?」


「言いたくない」


「何故?」


「何故って・・・、恥ずかしいから」


 夏季はそれまで正面のスカイツリーのイルミネーションの方に向けていた視線を足元に落とし、そして黙った。


「職業に貴賎はないんだよ。キセンってつまり、どんな仕事でも大切なもので、卑しい仕事とか仕事による上下なんてないっていうことなんだ。

 僕のバイトにしても、大きなオフィスビルでIT関係の仕事をしている人に比べて、収入の大きな差はあっても、職業の上下はないってこと」


 私は自分を納得させるように頷きながら言った。


「オナホールを作ってるのよ」


 下に落としていた視線を正面に戻して夏季は言った。


「えっ?」


「お父さん、オナホールとかオトナのオモチャなんかを作ってるの」


「オナホールって何?」


「だから恥ずかしいって言ったのに」


 今度は私の顔に目を向けて、少し怒った表情で言うのだった。


 でも、いきなりオナホールを作っていると言われても、その仕事をすぐに理解出来るはずがない。


「オナホールって、あれかな?女性のその・・・何て言うか、大切なところを形造って、えっと・・・男性が」


「もういいよ、だいたい分かるでしょ」


「ああそうだね、ごめん」


 何で謝らなければいけないのかとも思ったが、夏季の父の仕事についてはこれ以上訊くのをやめた。


「お母さんの居場所とか、お父さんに訊き辛いんだね?」


「うん」


「でも、思い切って訊いてみてもいいんじゃないかな。弟と会いたいなとか言ってみるとか」


「そうなんだけど、タイミングがないのよ。平日は仕事に出てるし、土日はオンナが来てるから」


「お父さん、外で仕事してるの?」


「お友達か知り合いかは知らないんだけど、その人の作業場みたいなところで仕事をしているようなの」


「そうなんだ」


 私の言葉のあと、ふたりはまた黙った。


 気がつけばあたりはすっかり暗くなって、隅田川を屋形船が多くの観光客を乗せて流れていた。


 川向こうに目をやると、スカイツリーはいつも通り揺るぎなく光り輝いていた。


「何か手掛かりはないのかな?」


 沈黙が辛くて私は訊いてみた。


 私の言葉に対して夏季は「手掛かりですか?うーん」と唸っていたが、「マスターが何か知っているかも」と言った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る