第2話


    二 廃人たちの鉄火場



 廃人と呼ぶのはいささか偏見が含まれているかも知れないが、見下しているわけではない。


 私のような社会からの逃亡者のような人間も含めて、世の中との勝負に苦戦した、或は負けた人たちが一発勝負をかけてやって来る鉄火場、そういう意味で好意的な気持ちを含んでの言葉である。


 今やインターネットを介して、パソコンやスマホのアプリを利用して、勝ち馬投票券を購入することが可能になり、わざわざ場外馬券売り場まで行く必要はない。


 馬好きが興じて馬券を買う人は、交通機関を利用して行ける範囲に競馬場があれば、場外馬券売り場よりも生の馬を見ることが出来るそちらへ向かうだろう。


 従って、場外馬券売り場に来るのは、ネットやスマホでの購入方法が分からない人たちや、近隣の競馬好きが多いのだろうし、高齢者が占める割合が高くなるのは当然である。


 四月末から五月初旬にかけての大型連休も明けると、競馬の話題は春のクラシックレースであるオークスやダービーとなる。


 この時期の混雑を乗り切ると、間もなく夏競馬となって場外馬券売り場も落ち着くらしい。


「片山君、もう仕事には慣れただろ?」


 岡本先輩が持ち場のフロアへ向かう途中に言った。


 彼は上場企業を定年まで勤めたあと、小遣い稼ぎでこのバイトに来ている。


「今週はトラブルがありませんようにって、いつも祈ってますよ」


 私は笑いながら答えた。


「老人ばっかりだからな、倒れたり喧嘩したりはよくあるよ。こればっかりは仕方がないな」


 岡本先輩は苦笑いして言った。


 午前9時10分になり、開場とともに館内にアグレッシブな音楽が流れはじめた。


 この日は日曜日に比べて入場者が少ない土曜日、担当するフロアにエスカレータで上がって来る客たちもまばらだ。


 これが日曜日や大レースが行われる日となると、エスカレータを駆け足で上がって来て、我先にと無料のシート席争奪戦が行われる。


「エスカレータを歩かないように願います!」と大声で叫んでもまったく聞く耳を持たない高齢者も多く、転倒事故が起きないかとヒヤヒヤものである。


 場外馬券売り場は六階建てで、マークカードに印をつけて機械で購入することが困難な高齢者のために、最上階のフロアにだけ対人窓口が設けられている。


 窓口の女性に口頭で伝えて馬券が購入できるので、必然的に六階フロアは高齢者で溢れかえるというわけである。



 春のいわゆるクラシックレースも殆ど終わり、夏競馬にプログラムが替わろうとしていたある土曜日の昼すぎのことだった。


 四階のフロアを端から端へとゆっくり見回っていると、投票券に記入するテーブルにもたれて、どう見ても二十歳に届いていない女の子が競馬新聞を片手にモニターを眺めていた。


 履き古したブルージーンズに白とオレンジ色のチェックのシャツ姿で、軽く化粧はしていたが口紅はつけておらず、顔全体にあどけなさが残っていた。


 私は近づいて声をかけた。


「お客様、失礼ですが二十歳になっていらっしゃいますか?」


 私が斜め後ろから声をかけると、彼女は一瞬ハッと驚いた表情で振り返った。


「二十歳になっていないと馬券を買っちゃダメなんですか?」


 少し不服そうな顔つきで彼女は言った。


「ダメですよ、二十歳を過ぎていても学生さんだったとしたら、それも違法なんです」


「いいじゃん、私の勝手だから」


「ダメ、退場願います」


 そんなやりとりを、同じ記入台にいた年配の男性が見ていて、「ニイちゃん、そんな硬いこと言わんでもいいだろうが」と苦笑いをしながら言った。


「いえいえ、決まりですからね。未成年者はダメなんです」


「だって、買ってないもん。新聞とかモニターとかを見てるだけだし」


 女の子も反論してきた。


「ホントかなぁ」


「買ってません。私、馬が好きなだけなんだから」


 そう言って私に背を向け、競馬新聞に視線を移した。


 私はいったんその場を離れ、遠目からときどき様子を見ることにした。


 ここの場外馬券売り場は六階建てで、各階の北端から南端までは距離にして百メートル程度である。


 投票券発売機がズラーっと並んでいる前をゆっくりと歩き、端まで行くと今度は客たちの後ろ側を反対方向へゆっくりと見廻る。


 これがいわゆる動哨警備というものである。


 私は勝ち馬投票券発売機と払い戻し支払い機の窓口の前を端から端までゆっくりと歩き、そしてフロアの後ろ側に回ってさっきの女の子がいた場所を窺った。


 だが、そこには彼女の姿はなかった。


 素直に注意を聞いて退館したのだろうか?




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