012 晴れて福よ来い
すっかりと日が落ちて暗い森の中をクロスはゆっくりと進む。
その手には修行時代に食べられると教わったクルミに似たやつと、マイタケやシイタケに似た何かがあった。植生が謎だらけの森の中で見つけたそれらは、もしかしたら見た目と感触と匂いが同じなだけのそっくりさんで、毒を含んでいるかもしれないが、きっといまの体なら大丈夫だろう。
クロスは太い幹にふれながら、旅の始まりを思い出した。
村の教会で月に三度の休養日に子供達に簡単な読み書きを教えていた。春の終わり頃、村の狩人を伴って、成人まじかの教え子達と共に近くの森に山菜狩りの課外授業をするのが恒例となっていたが、生徒は普段から家庭の手伝いで農作業を行なっている子が大半だ。森に慣れない少年たちが森の幸を探すと、まあまあの頻度で毒草、毒キノコを拾ってくる。たまに忠告をろくに聞いていなかったお調子者などが、触れるだけで怪我をする類の猛毒キノコを摂ろうとしたりして大騒ぎになることもあった。当然、神聖魔法の治療術ですぐさま治療するので大事には至らない。
治療の後にそんな馬鹿を諌めていた己が、正体もわからぬ物を勘頼りに食することになろうとは、人生は全く何が起こるかわからないものだ。
スキルの超健康体に期待しよう。
「自分はいいとして、ヘンリエッタは、そもそも腹が減るのか?」
広場の中心に据え置きしてきた生首が、空腹を訴える様子はなかった。
そもそも、空く腹がないんだよなぁ、とクロスは天に僅かに見えた星空を見上げる。
あの断面の先に中毒を起こす仕組みが残っているのかは依然わからないので、絶対ではない。
自分がすこし食べてみて、大丈夫そうであればヘンリエッタにわければいいか、とおっさんは勝手に仮決定を下した。
考えてもわからないことを、ウジウジと考え続けるのは性分ではない。
判らない事は実戦して試すのが一番だ。
それよりもだ。
あとは、肉があればバランスが整うのに。
と、やたらと明るく見えるようになった目で周囲を見回していた。しかし、めぼしい小動物はネズミ一匹みあたらない。
気配もない。
もとは聖職者だったのに、勇者との旅を経た今では気配察知の感覚は本職斥候に劣らない程度に習熟している。しかも、つかえる魔法も魔を滅することより、サバイバル向きの初級魔法と、隠蔽系の補助魔法のみ。そして、経験というスキルは今のところ、ステータスに現れていない。
ゲームであればステータスに表示されていなければならないHPやMPなども含めて、落ち着いたら精査して行きたい所だ。
考え事をしているうちに、クロスは拠点に決めた謎の広場に辿り着いていた。
「おーい、帰った。今日の献立は謎キノコと木の実の包み焼きだぞ~。って」
そして、クロスは目にした光景を疑った。
食材採取に出発したとき、双角獣の監視を言いつけて、広場の中心に据えてきた生首が、なにやら光を放ちながら周囲に黒い稲妻を迸らせていたのだ。
よくわからないが、さらに光る生首を中心にして、台風のように渦巻き広がる強風までが発生している。
そんな、明らかな異常事態にクロスは、ヘンリエッタに向かって即座に駆け出した。
理由は後だ。
「ふぁーはっはっはっは! みなぎる、力がみなぎってくるのじゃ! これならばあと少し魔力が回復すれば体の復活ができ――あっ」
しかし、次の瞬間、クロスの体を稲妻が打った。一歩で時速四十キロを瞬発し、自動車以上の加速で動ける脚力を身につけても、稲妻、つまり電子が空気を割って物体の間を伝わる速度には到底敵わない。
前進しようとしたクロスの体が打ち付けられ、吹っ飛び、地面を転がる。せっかく集めたキノコと木の実は黒こげだ。
「我に近づくな人間! 我は魔王! この体を支配し、この世の全てを今度こそ滅ぼしてやる!」
背後から近づいたにもかかわらず、頭のおかしくなった生首はクロスの接近を認知していた。
後頭部に第三の目でも開眼したのだろうか。
首だけで生存している謎生物だから、ありえないことではない。
「お前、誰だ」
「ほう、あれを喰らって生きているか。なかなか頑丈だな人間。しかし! 何度も喰らって無事でいられるかな?」
ぱん、と空気の弾ける音が一つ。再度倒れ伏したクロスの体に向けて稲妻が走った。
地面が砕けて、表土が舞う。
「他愛もないな人間!」
広場の中心で魔王の生首が高笑いする。
それを打ち消すように、嗎が高らかに響いた。
土を抉る重量音が連続して、広場の西側が炎上して割れた。
●
足音を響かせながら、双角の魔馬は森を踏み潰し、焼き固め突き進む。
この森は敵だ。
普通であれば、木々は陽の親属たる神霊であるこの身を避け、行先に畏まる。しかし、この森の木々は太く根を張り、こちらの脚を絡め取ろうとするのだ。
双子角の一族に支配する女王である己でさえ、よほどの要がなければ、近づきたくもなかった。
しかし今、己を受け止め堕とした二つ脚の雄が、不穏な力に打たれて倒れている。
故に、双角の女王は気炎をあげ、走り出した。
この躯体を動かすのは怒りだ。
己が認めた雄に危害を加えられた。
ただでさえ、己の雄にくっついている魔の気をもつ雌に対して不満を募らせていたというのに、目の前で酷い仕打ち見せられては黙っていられなかったのだ。
罰せねば気が済まぬ。
この身に満ちる怒りを、四つの脚が推進力に変える。
女王は不埒な生首を蹴り飛ばすため、広場へと突貫した。
●
荒ぶったバイコーンが広場の中心に向かって突進していく様子をクロスはうつ伏せで視界にとらえていた。
バイコーンの巨体に黒い雷は一瞬で襲いかかり、しかし体に触れる直前で白い炎に焼かれて止まっているようだ。
普通の雷であれば、力場操作で電磁場を操作して当たらないようにすることができる。しかし、スキルの使用には、電磁場を隔離する明確なイメージが必要だった。スキルが覚醒してからまだ三日しか経っていないので、反射的にイメージを構築することはできていなかった。
だから、クロスは防御も何もなく、雷に打たれたのだ。順当に考えればそうなる。
しかし、体に痺れはない。
では、あの黒い雷はなんだったのか。
ステータス魔法で投影画面を呼び出したクロスは、自分の状態を確認した。
「なるほど。黒い雷なんかありえないと思ったが、さしづめ負の魔力の放出ってところか」
ステータス画面の左側、クロスの体を表示した箇所には、雷に打撃された腹部を指して。
『魔素多寡:循環炉負荷上昇率10%』
という注釈が指されていた。
雷に打たれることで、魔素が体に浸透したということだ。
パッシブスキル『聖魔循環炉』は説明によると聖素と魔素を循環させて魔力を増幅させるというものだ。
それに負荷がかかっているということは、浸透した魔素を消化しているのだろうか。
検証したい。
が、それどころじゃない。
クロスは両腕に力をいれて、身を浮かすとともに腰を上げ、右脚をふかく抱え込むように折りたたみ、クラウチングスタートの姿勢をとった。
前進の筋肉を連動して、芝に足跡を刻み、瞬発する。
一瞬の交錯だ。生首の背後に至ったクロスは、それをすくい上げるように拾った。
そのまま駈けぬける。
首が塚から離れると光と稲妻は消えた。
瞬く間にバイコーンが嘶きなが、生首のあった場所をその重量で蹂躙しながら通り過ぎた。
両者は広場の縁に届く前に方向転換をして、数歩円周に添いながら制動して、互いに正対する。
『な、なになになに!? どうなってるの!?』
緊迫した空気を割るように、クロスの腕の中でヘンリエッタが日本語で困惑の叫びをあげた。
「いや、おまえ、なんか復活しかけた魔王みたいな痛い言動してたけど、その様子だと憶えてないのか?」
バイコーンから視線を逸らさないまま問うたクロスに、ヘンリエッタは『え~と、えへへ、めんご』と言った。
クロスは前世からノリの軽い若い女が苦手だった。
それはまさにこんな奴だ。
『え、ちょっとまって。面戸くさそうな顔しないでよ! だって、ずっとおんなじ景色で、真っ暗だったから、眠くなっちゃうの仕方ないじゃん!?』
拗ねて口を尖らせるヘンリエッタにクロスは表情を引き締めた。もともと険しい顔がさらに修羅のようになり、ギャル魔王の喉から『ひっ』と悲鳴が漏れる。クロスは眉間を揉んだ。
そのとき、対極にいるバイコーンが動いた。
何を思ったのか、高い位置からこちらを見下していた頭をさげて、お辞儀をしたのだ。
その瞬間、クロスの頭の中に、例のシステムメッセージが響いた。
『個体名、双子角の女王からあなたに服従の契約申請が届きました。受理しますか?』
●
己の雄に抱きかかえられ、よくわからない言葉で矮小なコボルトのようにきゃんきゃん吠えるそれをみて、ずるいと思った。どうやら、己の雄にとって、あれは救うほど大事なものらしい。
攻撃されたのに踏み潰そうとした己からわざわざ護ったのだ。目の前を通り過ぎていった雄をみて、煮えたぎっていた怒りは途端に冷えて、逆に悲しみが体を貫いた。
己の雄だと思っていたあれは、己の雄では無かったのだ。体が震えて、耳が垂れた。
しかし、群れのだれも受け止められなかった女王の衝動を受け止め、鎮めたのはあの雄だ。おそらくあの雄以外には無理だ。北に住む竜なら受け止められるだろうが、そうなればこちらは性的でない意味で喰われることになるだろう。だから、無理だ。
では、どうすればあの首だけの化け物よりも、この雄の近くに居られるだろうかと、女王は考えた。
そして、大して逡巡することなく、決断した。
●
険しい顔で固まっていたクロスは、長めのため息をつき、ステータス画面を呼び出した。
ご丁寧にこれまでなかった通知のベルマークが画面右上に増えていて、開くように意識すると先ほどのアナウンスの文言と『受理』・『拒否』というボタンがついた別の画面が展開される。
「剣と魔法のファンタジーなのか?」
え、と抱えた生首が反応した。
しかし、説明するよりも早く、目の前に大量の通知画面が展開して埋め尽くされた。
「うわっ」
思わず手を振って画面を散らした。消しても消しても新たな通知画面が登場する。おそらく全て、最初に見たものと同じ内容の通知だ。
『なになに!?』
クロスは向こうで頭を下げたままの魔獣から、ただならぬ執着を感じて身ぶるいした。
一回拒否を押すと、新しい申請通知の勢いが増した。向こうで双角獣が垂れた頭をイヤイヤと横に振っていた。
「俺はこれから、とんでもない選択……いや、選択肢ないな」
『何! 何が起こっているの!? 一人で完結しないで説明してよ、クロス!』
クロスはため息とともに、恐る恐る通知のボタンを押した。
すると、四方八方を埋め尽くそうとしていた通知画面が一斉に閉じてなくなり、目の前に一つの入力画面が残った。
ーー荒なた従霊の信なる名を与えて下さい。
入力画面には、文字列入力位置を示す縦棒のカーソルと音声入力が可能なことを示すアイコンが明滅している。この場で何かを喋れば、それが入力されて名前が決定するということだろうか。
決定ボタンがない。
まさか、修正できない?
そう思考すると、隣にもう一つの画面が展開して、
『できません。覚悟決めて、命名してください』
と、書いてあった。
クロスは眉間を揉んだ。このシステムを設計した奴は、多分馬鹿だ。
『ねぇ、無視しないでよ!』
クロスは思う。なんか厄い。
勇者一行のお守りを押し付けられたところから、こうして敵だった首だけの魔王と共によくわからない土地で遭難して、よくわからない生物?に粘着されている。この二年くらい不幸続きだ。
故に、
『ハレテフククル』
これから幸が訪れることを名に込めた名が自然と口にでた。
動くお守りになったらいいな程度の気休めだ。なんせ何も根拠がない。しかし、そういうのも大事だ。前世の仕事でいったデータセンターには、サーバールームの一角に必ず安全祈願の社があった。自分もそういうのを何となく信じる人種だったな、と久しぶりに思い出した。
こちらの教会は、何というか、実利的な教義が多い宗教組織なのだ。
クロスの頭の中でファンファーレが鳴り響いた。
ーー従霊契約が完了しました。
ーー『従霊召喚』『従霊交信』スキルを解放します。
ーー解放が完了しました。
バイコーンが喜色に満ちた嗎をあげ、駆け足でこちらに近づいてくる。立て髪は燃え上がり、地を蹴る蹄も高らかな打撃音を鳴らしていた。
『え、ちょ、クロス! 突っ込んでくるーー!』
少し手前で速度を落としてこちらに接近してくると、ねじれて鋭い双の角が生えた頭を下げて、差し出してきた。
『て?』
「よしよし、撫でればいいのか? ハレテフククル」
ハレテフククルは嬉しそうに鼻を鳴らし、そして、流れる様な動作で近づいてクロスの抱えた生首に角を突き込んだ。
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