010 VS荒ぶる双角獣

 双角獣、バイコーン。前世ではファンタジーゲームや物語に出てくる一角獣、ユニコーンに対して、裏位置の存在として認識されるモンスターであり、今世でも、同じように語られている幻獣だ。

 クロスがバイコーンを目の前にした時に思ったのは、そのデカさへの驚嘆だった。

 正面から見ると、軽自動車の三分の二ほどの横幅がある。頭を上げたときの体高も三メートルに届きそうだ。

一歩足を振り上げると筋肉が盛り上がり、振り下ろすと蹄が地面を火花と共に焼き踏み固め、分厚い鉄板を叩いたような音が鳴る。

 ゴゴンッ、という足音を立てる巨馬に対面して、クロスは動きを止めてその一投足を観察していた。


『……』


 ヘンリエッタはターゲットにされまいと、ぷるぷる震えながら口を閉じている。

 海水とは別の、額に浮いた冷や汗がクロスの顔を流れ落ちる。

 バイコーンは頭を振り一瞬姿勢を低くして、嘶きと共に前足を立ち上げた。着地と同時にクロスめがけて駆け出す。


「ちっ」


 彼我の距離は二十メートル程度しかなく、バイコーンの疾走は一瞬で詰まってしまう。

 クロスが、ヘンリエッタを据えた場所と逆方向に横っ飛びしたギリギリのところを、筋肉の塊が蒸気を吹きチラシながら通過していく。

 片手で砂地をついて側転したクロスが振り返ると、バイコーンはもうもうと水蒸気を上げながら、速度を落とさず浅瀬を疾走していた。

 旋回する巨体を見て、クロスは思考を巡らせる。

 森林の中は木々はバイコーンを避けていた。いや、空間自体が捻れて居たようにも見えたので、そういう効果のスキルを持っているのだろう。

 障害物が効かないこの魔獣から走って逃れるのは無理だと、クロスは覚悟を決めた。


 武器はない、この体ひとつであの魔獣を退ける方法を考えたが、何一つ思いつかない。逆立つたてがみは燃えていて、蹄も燃えている。つまりあの双角獣の体温は確実に五百度を超える。触れるだけでクロスは火傷を負う可能性があると言うことだ。

 しかし、素手で触れる以外の選択肢が……よく考えたらある。


 スキル、『力場操作』だ。


 『電磁気場や重力場を自在に操作することができる』という、前世では高校物理学も怪しいIT土方のエンジニアだったおっさんには扱いきれないスキルだが、自作PCをイジっていたおかげで知っていた熱伝導の仕組みを使って高温から体を護る事ができそうな予感がした。


 ものは試しだ。


 クロスは、浅瀬から砂浜に上陸したバイコーンが、大きく弧を描きながら再突進してくるのに相対して、ステータス画面を操作する。


 今有効にしているのはこの三つだ。

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SP:7/30

- 力場操作

 - コスト:10(-3)

- アクロバット

 - コスト:3 (-3)

- ステータス設定

- コスト:1(-3)

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 アクロバットスキルで双角獣の背後をとり、力場操作で電子の伝播を防いで熱を遮断する作戦だ。

 あとはマウントしながら、背骨をひたすらに殴る。


 そう決めた。


 覚悟したクロスに対して、バイコーンが速度をあげて突進してきた。いくら速度が乗っていても、多少左右の方向転換が効くだろう。

 巨体が迫っている。

 両脚に力を込める。

 目前までバイコーンがきた。


「……っ!?」


「――――ブルル!」


 クロスが斜め右横に躱そうとした瞬間、バイコーンが進路を合わせながらさらに加速してきた。

 移動のためにステップを踏んでいたクロスは内心で毒づきつつ、畳んでいた右足を突き伸ばし移動方向を強制的に相手の突進方向に矯正する。


 結果、正面衝突をすることになった。

 クロスは両手を突き出して、双角獣の巨体を受け止める。手のひらに意外に柔らかい毛皮の感触を感じた次の瞬間、衝撃が腕を通して体を貫いた。砂地に線を引きながら、さらに十メートル押し込まれていく。

 膝下まで海水に浸かりつつ、クロスは不安定な足下にさらに力を込めて、おそらく一トンを超える重量を一時だが押しとどめた。バイコーンに触れている手は、思惑通り「力場操作」で高熱をはじき返すことができていた。しかし、双角獣の四つ足が浸かった海水は沸騰して水蒸気を上げている。


「うぐぐぐっ」


「ブルル!」


『ガンバレっぇぇぇ! クッロッス!』


 馬の突進は、勢いを止めてしまえば恐ろしさが半減する。

 戦いは両者の筋力のみで、押し相撲の様相となった。バイコーンの押す力は、軽く見積もって人間の領域で使われていた軍用馬の二倍を越えそうだ。人間が力比べで敵う相手ではない。

 一人力対二馬力超の戦い。且つ、二本足で堪えるクロスに対して、相手は四本足で重心が非常に安定していた。軟弱な足場に立つクロスは波間の方へに徐々に押し込まれていく。膝上まで波が寄せるようになったところで、脚のこらえが効かなくなってきていた。

 このまま腰までうみに漬かれば、浮力で踏ん張りが利かなくなる。

 そうなれば、前足で蹴り飛ばされる可能性が高い。

 馬の前後は危険地帯。いくら高空から落下してもキズ一つつかない強靱性を手に入れたクロスであっても、無傷では済まない。

 そこで、つっかえ棒になっていた両手を大きく広げ、バイコーンの胸を抱き抱えるように持ち変えた。

 毛皮に指を立て、掴み込み万力で締め上げるように力を掛ける。おっさんの上半身の裏表に張り巡らされたあらゆる筋肉が、怒張して、皮下血管を弾けだしそうなほどに浮き上がらせた。


「ヒヒ~ッ!?」


 双角獣から悲鳴のような鳴き声が漏れた。肩を抱き潰される痛みなんて予想だにしなかっただろう。

 一瞬、相手がアクセルを緩めた隙に、クロスはザバザバと前進を仕掛けた。

 相手を押し込むのではなく、巨体の胴下に潜り込むように進んだクロスは、黒紫の毛皮に包まれた図太い骨と熱い筋肉の塊を筋力を振り絞ってリフトアップしていく。

 一トンの巨体が地面から浮いていく。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 雄叫びと共に完全に四つ足が地面から離れた時、クロスは一瞬沈み込んだ。

 溜めだ。

 馬体が左に振り回され、次の瞬間右斜め上へのスイングで放り投げられる。巨体がなだらかな放物線を描き、十メートルの高さから落下。海面に側面から叩き付けられた。

 爆発的な水しぶきが上がった。おそらく、瞬間的な高熱にさらされた海水によって水蒸気爆発が起こったのだ。

 クロスは衝撃波と熱風に耐えて、しばらく猛獣の沈んだ海面を見ていた。

 ぶくぶくと噴流のような泡が浮き上がっているが、バイコーンが海面に顔を出す気配はなかった。

 海水からあがり、暴風で砂に埋もれているヘンリエッタの元へ小走りで駆けていく。


「おい、逃げるぞ。……と、大丈夫か?」


『ぺっぺっ、ジャリジャリする……』


 かぶった砂を払い落として、クロスは再び林の中に入り、魔王城潜入でもつかった隠密魔法を発動した。

 無音で茂みの中を走って行く。


「とりあえず、山頂まで戻るぞ」



 

 クロスが戦闘地域からの離脱を目指して移動し、しばらくがたった頃、海水面の噴流が収まって馬体が海岸に上がってきた。魔力を操る魔獣たる双角獣の命を脅かすには二十メートル程度の水深と水蒸気爆発の衝撃は足りなかったようだ。

 しかし、クロスを襲っていたときの興奮はすっかり収まっていた。

 バイコーンは砂浜に這い上がり、濡れそぼった体を震わせて水気を払う。銀のたてがみも尾髪も海水で気持ち悪くなっているが、水系統の魔法は使えないので、洗いたければ縄張りの水辺まで戻らないといけない。

 しかし、バイコーンはクロスが砂浜に残した足跡の方向をみて、また別の方向をみて、悩んでいるようだった。

 しばらく首を右往左往させていた双角獣は、やがてクロスが去って行った方向に歩を向ける。

 その足取りは急ぐでもなく、しかし軽やかだった。




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