005 ステータス魔法なんて、常識じゃろ?

 クロスたちが丘陵の大木まで戻ってきた頃には、すっかり日が暮れて星がよく見える闇夜になっていた。

 見覚えのある星座も確認出来ず、人間の領域と同じ大陸にいるのかも怪しく感じる。


 大木の根元に空いたウロの前で、道中集めてきた薪を組んで魔法で火だねをつくる。

 クロスが火起こしの作業を行なっている間、生首のヘンリエッタは枯葉の布団の上に横になってその景色を眺めていた。

 ぱちぱちと生木のはぜる音が響き出す。


「うっ、クロスっ、ちょっと」


「ん? なんだ?」


「ゴホッ、けむい。場所を移動してくれ」


「あ、ああ」


 開けた丘陵はよく風向きが変わる。

 運悪く、ヘンリエッタは風下に掛かってしまったらしい。クロスも燻製生首を作るつもりはないので、薪をくべる手を止めて、彼女を移動させた。


「助かったのじゃ」


「おう」


 焚き火を始めたが、食料はない。行きも帰りも注意深く食べ物を探していたが、クロスの知識にある(修道院時代にサバイバル訓練で習った)可食植物は見つからなかった。気配は感じたが、野生動物を捕まえることもできなかった。できるのは魔法で水を出すことだけだ。


 そんなわけで、クロスは若干の空腹を感じつつ、揺れる灯火の横で土の地面に魔法陣を描いて行く。

 ガリガリと木の枝で刻みつけていくのは契約の魔法陣だ。これは手足のないヘンリエッタ用で、クロスは左手に出した己の魔法陣を描き写していた。


「よし、準備できたぞ」


 ヘンリエッタを魔法陣の上に転がして、クロスは命じた。


「その魔法陣を魔力でなぞってくれ」


「え、やじゃが?」


「は?」


 ぴくりと固まったクロスに、向けてややジト目で続ける。


「や、だって、これ服従契約の魔法陣じゃろ!」


「……」


 クロスは何かを堪える険しい表情でヘンリエッタを睨んでいた。

 ヘンリエッタが頭で震える。


「わ、分かっておるのじゃ。現状、我の方が立場が弱いのは重々承知しているのじゃ! でも、我は知識を、クロスは守護を。契約の条件は互いに利益のあることを差し出し合う、対等な関係での契約じゃろ? だから、服従契約の魔法では、場違いというか、何というか……」


 必死になって弁明する元魔王に対して、クロスはたっぷりとため息をついた。


「おい、ヘンリエッタ」


「はい!」


 そもそも首だけの我を服従しても……と震えながら説得の言葉を打ち出していた生首が跳ねて落ちて固まる。


「お前はこの契約魔法陣を一方的に破棄することはできるのか」


「……親なら可能じゃが……子からは難しい、です」


「そうか」


 クロスは星空を見上げて、しばらく考え込む。

 クロスの背中には使おうとした魔法陣と同じ刺青が刻まれている。修道院に入院するとき、信仰する神と教義を裏切らないことを誓う証として当時の司教に施されたものだ。

 修道院では、これを神聖な契約魔法として教えられる。

 真実は一体何に服従するように契約させられたのか。

 契約書はよく読めと言うことだ。


「たろう?」


 不審げに尋ねてくるポンコツに、クロスは口の端を歪ませて答える。


「いや、何でもない。人間の社会って本当にクソだなと思っただけだ」


「クロスも色々苦労しているんじゃな……我もーー」


「まて、自分語りはいいから、この魔法陣の構造がわかれば解説してくれ。お前が言う対等な契約魔法陣と謳うものを使って契約するなら、その魔法の内容が分かっていないと許容できないからな」


「え……あー」


 歯切れの悪い返事をした生首をクロスは持ち上げて、正対してみた。ヘンリエッタは視線をあさっての方にずらす。


「おい、対等な契約をしたいんだろう? なんでここで渋る?」


「いや、渋っているわけではないのじゃ……ただ、我にも魔法陣がどのように構成されているかわからんのじゃ」


「は? じゃあお前あれか、我は天才なので魔法陣の内容はわからないけど、何となく魔法の種類はわかるのじゃ〜、とかほざくつもりか?」


「や、その〜、そう言う訳ではなくてな? 何と言ったらいいか説明に困るのじゃ」


「……振ったら、いい弁明が出てくるか? お前が言ったこの契約魔法が服従契約だという主張も今、怪しくなっているからな?」


 冷たい風が二人の間を吹き抜けていく。時間が経てば経つほど、クロスの視線も冷たくなっていく。


「あ、あ、う〜。分かった。仕方ない。理解できるかわからないが説明してやろう。我が読めない魔法陣の効果がわかるのは、スキルを持っているからじゃ」


 クロスの表情がさらに険しくなった。


「そうか。スキルね。『魔法マスタリー』とかそんな感じか」


「え?」


「ん?」


 てんてんてん、と二人の間に妙な沈黙が落ちた。ポンコツ魔王が固まっている。もしかしたら、「スキルってなんだ?」と言う逆質問を期待していたのかもしれない。


「やたらと魔法の発動が早かったり、その首だけで生きながらえているのも、スキルの効果だったりするのか? そうだとしたら、なんて出鱈目だな、スキル」


「ちょ、ちょっと待つのじゃ、クロス。お主も、もしや?」


「あ? ……秘密にしても意味がないから言うが、竜に遭遇したとき、おれにもスキルらしきものが生えたと、いわれた。頭の中に声が響いて。身体能力が軒並み向上しているのも、スキルの効果だろうな、って感じだ」


 ヘンリエッタは酸っぱい者を食べたような、苦虫を噛み潰したような顔をして、たらっと額から冷や汗を流して尋ねる。


「……ちなみに、どんなスキルに目覚めたのか教えてくれたりわ」


「できないな。というか、そもそも声の洪水みたいで内容を認識しきれなかったから、どんなスキルが目覚めたのか、よくわかっていない。鑑定魔法がつかえれば判るかもしれないな。覚えておけば良かった」


「いや、クロス、鑑定魔法で自分のスキルを覧ることはできないのじゃ。鑑定魔法は世界の記録を閲覧する魔法じゃからな。じぶんのスキルを確認するには、ステータス魔法を使わないと。こんなの常識じゃろ?」


「何だ、そのいかにも『なろう小説』に出て来そうな魔法名は」


 クロスがそういうと、にわかにヘンリエッタはソワソワとし始めた。どことなく嬉しそうな感じだ。対面して十数時間だが、くるくると顔に出る表情が変わる、落ち着きのない本魔王に、クロスもうっすらとその正体を察した。


「な、なあクロス。 もしかしてじゃが、お主、転生者ではないか?」


 期待の眼差しでヘンリエッタはクロスの回答を待っている。まるで、飼い主が帰ってきて擦り寄るチワワのように、それはもうキラキラした視線をくたびれ顔のおっさんにむけてきた。


 前世のサラリーマン時代や今世の人生経験から、自分だけが特別だとは思わないクロスは、転生者がこの世界に自分だけだとは思っていなかった。

 しかし、人類に敵対するようなバカな真似を、現代の世界で生きたことのある人格で行えるとは、思いもよらないことだ。

 思考の埒外に置いていた、実例を目の前にして、クロスは、魔王討伐の旅で道中に寄った村の司祭から、思考は姿形、生活環境にたやすく誘引されて変容するから、生活に気をつけなさいと忠告を受けたのを思い出して、苦笑した。流されるままに生きてきた自分に、深く突き刺すような忠言だった。


 ソワソワしっぱなしで嬉しそうな生首を、クロスは地面の落ち葉クッションに寝かせてから応えた。


「そうだ、俺の前世は、日本で働くしがないサラリーマンだった。まあ、人並みにゲームをしていたから、お前の言うステータスも、スキルもすんなり理解できるってことだ」


 ヘンリエッタは目をキラっキラさせて、満面の笑顔で。


『まじ? 日本人?、ねえ、西暦何年生まれ? 前世どこ住みだった?』


 クロスは三十余年ぶりに聞いた日本語に金髪のギャルな女子高生を幻視して心臓が止まるかと思った。



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