002 騒がしい生首な美女と一緒

「おい、起きろバカ! っっこの~何で我がこんな目に」


 クロスが目を覚ますと、そこは巨大な木々の間にぽっかりと空いたクレーターで、傾斜に引っかかっていた。周囲は薄暗いが、クレーターを囲む枝葉の隙間からキラキラとわずかばかりに射している。日が出て間もない時間のようだった。


「……うあぁ!?」


跳ね上がって早まった呼吸を無理やりに押さえこむ。驚くと呼吸が浅くなり、過呼吸になるのは前世から変わらない癖だ。長い期間を掛けてそうならないように訓練してきたが、これはしょうがないと自分に言い聞かせた。

 呼吸を落ち着かせて、観察する。

 壊れかけた鎖帷子が、クレーターから飛び出た木の根に引っかかってぶら下がっている状態だった。薄暗いが辺りの様子は明確に視認できる。


「貴様! ちゃんと抱えろ! 落としたら承知しないからなっ」


 胸元を見ると、角が鎖帷子に引っかかった女の生首があった。


「なんだこれ!?」


「これとは失敬な!」


 両耳の上から、若干捻れ気味の角が生えた美女の生首は歯をむき出しにして吠え散らかしはじめた。相当にお怒りらしい。わいのわいのとまくし立てられたが、前世の知識からクロスは一つの疑問が。


「……なんで生首が喋れるんだ?」


「そんなことは、どうでもいいじゃろ? 間抜けか! それより、早く抱えろ! そして安全な場所に隠れるのだ!」


 どうやらこの角付き、生首のくせに転げ落ちるのは嫌らしい。クロスは一瞬だけ、この生首をはたき落としてやろうと思ったが、見た感じ泥に汚れていても美人な顔を叩くのは気がひけてやめた。

 おっさんなので美人には弱いのだ。首から下があればなぁとクロスはこっそり思った。


「ていっても、どうすれば、降りれ――――る!?」


 バキッと、おっさんと生首を左支える根から嫌な音がした。

 ずるりと落ちて、止まる。

 背中側にある土砂の斜面に片手を伸ばそうとするが肩が後ろに回らない。恐る恐る足を前後に開いてその反動を使っても、背後の手掛かりには届かない。動けばグラグラと揺れて、クロスはヒヤリと背筋に冷たい汗をかいた。斜面から突き出ている木の根が折れたり、背中の鎖帷子の根掛りがはずれてしまったら落下してしまう。

 クロスから見て、地面まで目測で5、6メートル程度、前世の建造物基準で三階から飛び降りた時の高さだ。クレーターの底にはクッションになる茂みもなく、下手をすれば足や骨盤、最悪背骨まで骨折しかねない高さだ。

 残念ながら、前生でも今生でも、まともな受け身の訓練は受けていない。


「おい、何をしている?」


「やめろ、急かすな、考えているんだ」


「そんな悠長なことをしている暇はないと言っているだろ、言葉がわからないのか? このままここでじっとしていれば、いずれ凶悪な魔獣が襲ってくるんだぞ」


「うるさいな! ここから落ちて動けなくなればどのみち助からないだろうが!」


「は?」


「今引っ掛かっている木の根は割と太いし、覚悟を決めて反動を使って斜面に飛び付くしかないのか……」


「おいお前、これほどのクレーターを作っても傷ひとつ負っていない化け物のくせに、この程度の高さから落下しただけで怪我をするとか思ってるのか?」


「は?」


 生首の言うことがにわかに信じがたくてフリーズしていると、バキッと頭の上から嫌な音が鳴った。内臓が持ち上がる落下感にクロスは喉の奥から引きつった音が出た。

 落下する。

 落ちた。

 一秒も経たず、足の裏から衝撃がきた。

 足首痛、とクロスは思った。

 滑るように斜面を下って行き、直ぐに底までおりてきた。


 止まる。


「あー……」


「ぷふっ、はずかしい奴、あんなに騒いでいたくせに」


「なんだ生首のくせに!」


「貴様どものせいじゃろうが!」


「角が生えた喋る生首なんか知らん!」


「わ、何をする!?」


 クロスは生首女を持ち上げて投げ捨てようと構えた。そして下げた。


「お? なんだ貴様」


「武士の情け……」


「なんだそれは?」


 かつて日本ではどんなに極悪な罪人でも、斬首した後の首は丁重に扱ったらしい。……あれ、丁寧にするのは体の方だっけ? うろ覚えだった。

 とにかく、やっぱり美人の顔を投げ捨てるのはなんだか気がひけるクロスだった。


「まあいい、今すぐここから離れるのじゃ!」


「離れるのじゃ! てなぁ、降りたら今度はこの崖を登らないといけないんだぞ。簡単に言うな。それよりもだ。なんでお前は首だけで生きているんだ。魔族でも首を切られたら死ぬだろ、何でだ。魔王だからか」


 うっすらと予想はついていた。最後の記憶にあるのは、魔王の魔法から勇者達を守る為に、神聖魔法で防御しながら敵に組み付いた時だ。おぼろげながら勇者が魔王の首を切断した様子は認識していた。


「我は不死族だからな! この世に魔力がある限り、この命が輪廻の期限以外で滅びることはないわ! なっはっはっは!」


 ない胸を張っているような快活な声で説明された。元気な生首だ。本当に。

 クロスがため息をついた瞬間、地面が揺れた。


「地震か!?」


「違うわ、バカ! だから言ったのだ! 早く隠れろと!」


 クレーターの外の木々がざわざわと揺れて、同時に轟音を運んできた。


「気づかれたぞ!」


 強い風が吹く。

 日の光が何か大きな者に遮られた。陰の主は宙に留まり、ゆうに五メートルを超える翼で空を撃つ、巨大で凶悪なトカゲだった。赤黒い顎が大きく開く。


「ガアアアア!」


 咆哮にクロスは身をすくめる。


「おい、生首魔王! あれもお前達の生み出した魔物か!?」


「ちがう! あんなものが使役できるなら、とうに人間の国を滅ぼしておるわ!」


「じゃあ、なんなんだ!」


「魔獣じゃ!」


 現在の人間族の認識では、「魔物」とは魔王と魔族が生み出して使役している、主に人型の魔法生物だ。倒すと核を残して魔力になって跡形もなく消滅する。時に強力な兵器として、あの強大な生物と似た非人型の魔物が確認されていた。しかし、頭上のそれは噂に聴いていた魔物とは比べものにならないほど強靱で、猛々しい。

 クロスは前世の知識から「赤竜」と呼んだ。竜、人類の勝てない絶対的な架空の存在。それを認識した瞬間に、クロスは背筋に震えが走る。怯えか、畏れか、名前の付けられない感覚だった。

 クロスは身構える。

 赤竜が、羽ばたきをやめ数十メートルの高さからダイブするようにクレータの中に着地する。

 土煙が巻き上がり、さらにそれを咆哮が吹き飛ばした。


「やばい、死んだぞお主。我は死なんが」


「死んで堪るか」


 着地した竜は、姿勢を高くしてクロス達を睥睨していた。


「ヴルルル……」


 縦長にキレた金の瞳とまっすぐ目が合った。探るような視線。クロスも同じような目をしていた。


 テレレン♪

 クロスの頭の中にそんな場違いな音が鳴った。

 続いて、「認証が完了しました。女神の加護が解放されます」と流暢な合成音声がなった。


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