第2話 エルフと宮廷魔術師

「その話、本当であろうな」


 文官からの報告を受けた若き王は、その太い眉を八の字に下げて、いかにも困ったという顔を作って言った。


「はい。間違いありません。通信兵が申すには、西の峠以外でも魔族の目撃情報があるとのことです」

「どうする、ジェラートよ」


 若き王は、王の左隣にいるエルフ族の女官であるジェラートに問いかけた。

 ジェラートは「それを私に聞きますか?」と言いたげな顔をしてちらりと若き王の方を見た後で口を開いた。


「魔族が姿を現したということは、かの者もよみがえったという可能性が高いかと思います」

「……封印が解けたというのか」

「はい。あの封印は300年間しか持ちませんので」


 ため息交じりにジェラートが言う。そのため息には「何度も申し上げましたよね」という意味が込められていた。

 魔王の封印は300年間で解けてしまう。それは、代々の王にジェラートが聞かせ続けてきた話であった。これは400年以上生きているエルフ族のジェラートだからできることであり、他の誰にも真似することはできない芸当である。ジェラートはこの物語を代々の王に語り継ぐために王宮に仕えているといってもいいくらいだ。

 300年前。魔王は、勇者チェーロによって封印された。魔王の封印に使われた伝説の剣は300年経つと朽ちてしまう。そして、伝説の剣が朽ちた時、魔王の封印は解けるのだった。

 そしていま、ちょうどあれから300年が過ぎたというわけだ。


「伝説の剣に関しては、ドワーフ族が新たなる剣の作成に成功したという報告を受けております」


 老文官は若き王に、そう伝える。


「そうか。では、あとは勇者だけか」

「そうなりますね」


 若き王の言葉にジェラートは相づちを打つと、座っていた椅子から立ち上がった。

 ジェラートは小柄であった。見た目は若いため、まだ小娘にも見えなくはない。銀色の長い髪を後ろで結ってまとめると、その横に長い耳がよく目立った。耳には小さな紅い宝石の入ったイヤリングをしており、見る角度によってはその宝石が蒼く見えたりする不思議なイヤリングだった。


「さて、陛下。勇者を迎えに行きましょうか」


 ジェラートの言葉に王は、少しだけ驚いた顔をしてみせた。

 あれは、ただのおとぎ話ではなかったのか。そう言いたげな顔である。


「ついでに、ドワーフの里に寄って、伝説の剣も受け取っておかなければなりませんね。これから忙しくなりますよ、陛下」


 ジェラートは笑っていた。その笑顔を見た若き王は、ジェラートのことを初めて美しいと思った。いつもは、小うるさいエルフとしか見ていなかったのだ。

 こうして、若き王は勇者を迎えに行く準備をすることとなった。

 通信兵は、また走って王宮を飛び出していった。次の伝令先はドワーフの里である。王が伝説の剣を取りに向かう。その指令を伝えるために走ったのだ。

 王が出発する。その知らせは王宮に仕える者たちを一斉に動かすこととなった。王の警備をする近衛兵たちはもちろんのこと、王の身の回りの世話をする女官たちなども、一緒に勇者のもとへと向かうこととなるのだ。王を乗せる馬車を管理する役の者もいれば、馬の世話をする者もいる。また、王が通る道がきちんと整備されているかの確認をする者もおり、そういった多くの人々が一斉に仕事に取り掛かることとなった。王が城を離れて移動をするということは、それだけでも大変なことなのだ。


 ジェラートは城下町のはずれにある小さな墓地にいた。

 そこには『大賢者アレグロ、ここに眠る』と刻まれていた墓標があり、ジェラートはその墓標を見下ろしていた。


「アレグロ、また旅に出ることになるよ。キミの教えを受け継いだ子たちと」


 ジェラートは墓標に向かって、そう話しかけた。

 大賢者アレグロは人間であり、宮廷魔術師であった。

 300年前の魔王討伐の際、たまたま勇者チェーロと同郷であったということから、チェーロの一向に加わったという人物であり、旅先で宮廷魔術師は飲むことを禁止されているアルコール飲料をガブガブ飲んだり、町の宿屋に若い女を連れ込んだりと破天荒なところのあった男だった。

 そんなアレグロも、魔王討伐が終わって帰ってきてみれば、大賢者の称号を与えられるような人物になっていた。アレグロは魔族のことをよく研究していたし、その研究内容を書物として多く残していた。そのおかげもあって、いまでも『アレグロの書』と呼ばれる魔法研究書は多くの宮廷魔術師たちに愛読されている。

 今回、旅を共にするのは、アレグロの直系の弟子とされている宮廷魔術師のひとりであった。アレグロが晩年作った魔術師アカデミーを主席で卒業し、宮廷魔術師として現在は王宮で魔術研究に勤しんでいるロンターノ。彼女は変わり者だと周りからは思われているようだが、ジェラートは彼女のことを優秀な宮廷魔術師だと見ていた。


「あ、ここにいたのですね、ジェラート様」


 声を掛けられて振り返ると、そこにはロンターノが立っていた。ロンターノは宮廷魔術師が着るフード付きのローブから旅用の服装に着替えていた。その格好は、黒のローブにつば付きの三角帽子というものであり、いかにも魔術師ですといった装いだった。


「ロンターノ、アレグロに挨拶をしておきなよ」

「はい。そのつもりで来ました」


 そういってロンターノは帽子を脱ぐと、アレグロの墓標に向かって目を閉じて祈りをささげた。


 アレグロの最期は、自宅のベッドで息を引き取った。人間としては長生きな方で、皺だらけの老人になっていた。最後の最後まで皮肉を言っていたアレグロは、家族と大勢の弟子たちに囲まれて亡くなっていった。

 人の死というものは、悲しい。ジェラートには、その感情があまりよくわからなかった。それは、人間よりもはるかに長生きをするエルフ族だからなのかもしれない。エルフ族は多くの人間の死を見届けなければならないため、いちいち悲しんではいられないのだ。ただ、アレグロが息を引き取った時、ジェラートは心にぽっかりと穴が開いてしまったような気持ちにさせられたことは確かだった。


「行きましょうか、ジェラート様。陛下の馬車が広場に用意してあります」

「わかった。でも、わたしたちは、馬車には乗らないよ」

「え、そうなんですか」

「いやだよ、あんなの。恥ずかしい」


 ジェラートは吐き捨てるように言うと、馬車が用意されているという広場とは逆の方向へと歩きはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る