第003話 「地獄の拘束台」改定版

 僕が目を開くと、周囲の全てが停止したかのような錯覚が起こった。

 それ程までに動きが遅く見えている。

 これは『時の神眼』という仙術流派奥義の上位派生技だ。

 前から飛びかかってきた狼は、空中をゆっくりと飛んで来る。僕は首を捻って最小限の動きでこれを躱す。

 同時に背後から足を狙っていた狼を、軽く跳躍してこれも避けていく。後方に宙返りし、僕は緩やかな時の中で過たず着地をした。

 僕から見て全てが遅く、針の穴に糸を通すような精密な動作が出来るのだ。

 実際の速さでは高速の動作をする戦いが繰り広げられている。

 二匹の狼が休む暇を与えない勢いで次々と飛び掛かって来るけど、僕にはかすりもしない。

 ぐるぐると回転して、狼と踊る。

 屈み、四肢を曲げ、身体を捻り、足を折りたたむように跳躍。最小の動作で正確な回避をし続ける。

 時折カツッ!カツッ!と狼の牙が打ち鳴らされる音が聞こえた。噛みつこうとして外れた音だ。

 普通なら必ずどこか噛みつかれてしまうだろう。

 実際の時間では凄まじい速さでの攻防が続く。

 目の前の狼がほんの少しだけ隙を見せた。飛び掛かり方の角度が甘く、剣で切りつけ易い軌道を通る。

 僕の態勢は重心が低く整った瞬間で、反撃には絶好の状況であった。

 これを待っていたとばかりに僕は動いた。

 緩やかに流れる高速の世界で、剣を緩慢な動作で空中の狼に添え当てる。だけど正確に刃筋が立っていた。刃は滑らかに獲物を切り裂いて入っていく。

 時の早さが戻る。

 一瞬で、宙を舞っている狼が切り伏せられた。


「クォオン!」


 この時同時に背後から狼が飛び掛かってきていた。僕は紙一重で回避する。

 狼は勢いのまま転がっていった。

 起き上がった狼は急いで態勢を立て直す。低く構えて唸り声を上げた。

 しかし仲間の悲鳴を聞き、もう自分一匹になってしまった事を理解したようだった。

 数秒そうしていたが、狼は突然逃げ出した。利口な獣だ。勝ち目が無いと悟ったのだろう。

 こうなると四つ足の速さに人は追い付けない。


「逃がすか!」


 僕は足元の小石を拾い、投擲する為に力を込めた。腕に呪印が現れ、服の下でそれが輝く。

 魔眼が光る。僕はこの緩やかな世界での、超精密な動作を熟練している。

 投げ放たれた小石は過たず狼の尻に当たり、悲鳴が上がった。

 倒れた狼に駆けていく。剣を深々と突き刺さすと、それがとどめとなった。

 一息ついて、僕は過去を思い出す。 



□■□■□■□■□■□■□■□■



「ロジャー、もっと強くなりたいか?」


 師匠がそう問うたので僕はそれに応える。


「はい師匠。勿論ですが、どのような方法を採るかにもよります」


 師匠はムッとした。


「フン。ちょっと痛いかもしれんが短期間でとてつもなく──」

「この前のような方法は遠慮します」


 僕は若干食い気味にそう言った。こういうのは最初が肝心だ。拒否する意思を明確に示すんだ。


「・・・・・・効率が良い方法だぞ」

「危険な方法は嫌です」


 キッパリと断った。


「恐れていては手に入らないものもある」

「命あってのものです。死んでしまっては何の意味もありません」


 正論をかざし道理を説くんだ。

 僕は力や強引さでは師匠に勝てない。だが理屈の上では正義がある方が勝つ。

 師匠の蔵書を読んだらそう書いてあった。他にも本を読んで僕は勉強していたから、弁舌には多少自信がある。


「死にはしないさ大袈裟だな。ちょっと苦しむだけだ」

「嘘はいけません師匠。師匠が言う苦しいは、下手をすると本当に死にます」


 そう簡単に丸め込まれはしないぞ。貴方の薄っぺらなウソは見え透いている。

 この前のは本当に死ぬとこだった。

 あの日からだ。僕の髪は根元から真っ白いのが生えてきた。全部白髪になったんだ。禿げていたら最悪だった。もう二度とあんなのはやりたくない。


「利口になったなロジャー、随分と弁が立つじゃないか。ははは」

「・・・・・・必要に迫られてこうなっただけです。そんな立派な話じゃありませんよ」


 僕も合わせてはははと軽く笑った。

 今日はいけるかもしれない。理屈で師匠を打ち負かせそうだ。もしそうなれば、今日は正義が悪に打ち勝った記念すべき日になるだろう。


「いやいや立派なもんだ。ははは」


 笑いながらゆっくりと師匠が立ち上がり始めた。


「立派なんてそんな。あーちょっと足がしびれちゃいましたね。ははは」


 僕も立て膝の姿勢になる。飛び掛かられた時すぐ身を守れるようにする為だ。

 師匠は獰猛な肉食獣を思わせる猫背をしてから、睨め上げるように僕の方を見た。


「俺は理屈っぽいのはダメでな。押し問答をしていると何だか苛々してくるんだ」


 そう言ってはははと笑うが、もうその目は笑っていない。


「そうですか。お茶でも飲むと落ち着いて寛容になれるかもしれませんよ」


 僕はちゃぶ台の上にあったきゅうすを師匠の前にコトンと置いた。お茶は高級品だけど、師匠はお金を沢山持っているのでいつも飲んでいる。


「茶はいつも飲んでいるさ。だからこんなに優しく寛容なんじゃないか」

「寛容ならば弟子の意見も聞けるはずですね。さ、師匠。座って下さい」


 語るに落ちましたね師匠。これは一本取りましたよ。


「随分と小利口なクチを聞くようになったじゃねえか、ガキがッ!」


 あっ!キレた!


「ひっ!!」


 これはまずい。口で勝てても腕っぷしでは絶対に適わない。僕は瞬間的に飛び退った。

 とはいえ狭い室内では逃れようが無い。

 何とか逃げなきゃならない。戸口までの距離がとてつもなく遠く感じる。

 今や鬼の形相で立ちはだかる師匠の横をかいくぐって、脱出など到底不可能な事に思えた。

 これはもう背後の壁を破壊して逃げる方がまだ現実的だ。いやそんなの無茶だけど、まだそっちの方が可能性があるように思える。

 一瞬振り返ってそう考え、前を向くともうダメだった。

 頭部に重い衝撃を受けて僕の視界は真っ暗になった。


 ガタガタッ!ゴッ!ゴトン!


 何やら物音がして、僕は目が覚めた。どうやら気絶していたようだ。


「よぉーし、これがあれば何でもできるぜ」


 師匠が庵の外の納屋から、何かガタガタと運んできた。玄関の戸口ギリギリ一杯のサイズであるそれを強引に押し込んで室内に入れる。


「おっ、気が付いたか。前回はお前が暴れて呪印を描くのが大変だったからなあ。仕事の合間に良いもの見つけて、拾ってきたんだ」

 

 どう見ても拷問に使われる拘束台だよ!そんなのどこから持って来たの?!

 反射的に逃げ出そうとして気づいた。手足が縄で拘束されていて動けない!

 師匠は僕を抱え起こすと台に乗せ、四肢の拘束を一ヵ所ずつ外してはベルト式の固定具で台に固定していった。少しの隙も無い。脱出は不可能だった。


「さて、今日は全身を強化していくぜ」


 嫌だ・・・・・・!嫌だぁあああ!という僕の叫びは、猿轡を噛まされて消えた。



□■□■□■□■□■□■□■□■



「うっ!また嫌な事を思い出した」


 僕はまた首を振って痛ましい記憶を振り払った。

 あの時受けた身体強化の呪印のお陰で、小石を投げて狼を倒せた。だけどその代償は、僕の心に浅からぬ爪痕を残している。


 


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 仙術流派奥義『時の神眼』

 心眼展開中に目を開いて魔眼にマナを込め、込めたマナ次第で時の流れを主観的に遅くさせる。自己の意識のみ超高速の世界を見て思考する状態となる。周りの全ての動きは緩やかに見え、これにより精密な動作が可能。

 超高速の世界では空気すら重く、慣性が働くので動く事すら難しい。制御には相当の熟練が必要。要魔眼。


 仙術流派発勁初級技『当て菱』

 腕印にマナを込め、小石などを必殺の威力で投擲する。

 投擲物は通常時と比較して最大五倍ほどの力で飛ばされる為、制御は非常に難しい。要腕印。

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