十五話
「――説明を聞く限り、にわかには信じがたいことばかりだ」
岩の狭い穴の中……その地面に横たわる老人を見下ろして、ミカは俺から聞いた経緯と説明に硬い表情を浮かべた。
老人の驚くべき告白を聞いた俺は、すぐに城へ向かい、ミカにすべてを報告した。花を作った張本人の発見、しかも呪いで不死状態にあり、今も生きてる……そんな話をミカは終始怪しむ顔で聞いてた。まあそれが普通の反応だろう。その日はもう時間が遅かったため翌日訪れることになり、そして現在、狭い穴の中でミカは老人と会い、昨日とあまり変わらない様子を見せてる。ちなみに、地面に咲いてた花は、俺が根っこから掘って処分した。老人は食べなくても死なないらしいから、ここに咲かれてると害でしかない。これで葉を詰めて青臭さにもだえることもない。
「まさか、数百年も前の人間が生きているなど……それが、呪いによる影響……呪いがもたらす状態は一種類ではないのか?」
「わしが仕込んだ呪いは、様々な状態が無作為に現れるようにしてある……ある者は記憶を失い、ある者は歩けなくなるなど……花を食べた者によって、呪いの効果は千差万別なのだ」
横たわった老人はその姿勢のまま、目だけをミカに向けて言う。
「だが変わらず同じこともあるだろう。花を食べた者は、一年が経つ頃に死ぬ。しかしお前は食べたにもかかわらず生きている。それはなぜだ?」
「不死の呪いを受けたから、としか説明のしようがない……その辺りの論理は、わしにもわからないのだ。ただ、単純に考えれば、死と不死が競った結果、不死のほうが勝ったということなのだろう……」
「そのせいであんたは何百年も生きるはめになったってわけだ。……ミカ、この話が全部本当なら、呪いが解けない理由は明らかだ。花を作った張本人が、今もこうして生き続けてるからだよ」
「話を聞いても、まだ信じられないが……しかし、現状はそう考えるのが妥当なのだろうな……」
顎に手を当て、ミカが考え込んでると、老人は弱々しい視線を上げて言った。
「わしの作り出した兵器は、時を経た現在も、多くの者を苦しめているのだな……わしは、この命に、未練などありはしない……皆が呪いから、解放されるのであれば、喜んで差し出す意思がある」
「命を失っても、構わないというのか」
「むしろ、早くそうしてもらいたい……わしも、解放されたいのだ。この生き地獄から……」
動かない身体を横たわらせたまま、渇きや空腹、節々の痛みに耐え続けること数百年間……それがどれほどの地獄なのか、多分それはジイさん本人にしかわからないことだろう。想像しただけでも辛さはわかるが、それの何百倍っていう苦痛に襲われてきたに違いない。でなきゃ自ら死を望むなんてことしないだろう。
「私が手にかけても、いいのか……?」
「ああ……だが、それは絶対に無理なことだ。不死の呪いがかかっている限りは……誰も、わしを殺しはできない」
「本当に、どんな手段でもか?」
俺が聞くと、老人は一度、ゆっくり瞬きをしてから言った。
「この身体が、まだかろうじて動かせた頃……その時点でも、わしは相当な月日を生きていた。すでに自分が不死状態と自覚し、衰え、朽ちていく我が身を悲観して、自らに何度も刃を突き立てた……」
「死のうとしたのか……」
「胸や喉、血管を傷つけようとしたが……刃は浅く刻むだけで、それ以上深くは入らなかった。見えない壁でもあるように……呪いが、致命傷を防いでしまうのだ」
不思議なもんだな。呪いは人を殺すもののはずなのに、死にたがってるやつを助けるなんて。
「早く、この息を止めてほしい……が、呪いはそれさえも、許してくれない……お主らの手では、無理なのだ」
ジイさんの話に思わず溜息が漏れる――せっかく犯人を見つけて、しかも殺してくれって言ってるのに、それができない状態になってるとは……あと一歩だってのに。
「……そう言えば、まだお前の名を聞いていなかったな」
ミカがぼそりと聞いた。
「わしは、ユハニ・カルペランだ……」
「カルペラン……私は疑い深いのでな。この剣を突き立ててみてもいいか」
腰の剣に触れながらミカは真顔で言った。
「おい、ジイさんの話、そんなに信じられないのか?」
「そういうわけではないが、不死というものを私は知らない。だから実際にこの目で見て、信じられる話なのか判断したい。……どうだろうか」
「好きにするがいい。痛みに耐えることは、すでに慣れている……」
そう言うとジイさんは目を瞑る。不死の人間……確かにそんなやつ見たことも聞いたこともないし、本当に刃を防ぐのか気にはなるが……こんな近くで見るのは何だか怖くもあるな。
ミカは横向きに寝るジイさんの身体を仰向けに転がす。まるで重みのない紙細工のような全身が動かされると、流れる空気に乗ってわずかに埃が舞い上がった。長い時間動いてなかったんじゃ埃も積もるよな。改めてジイさんの苦しみを感じる。
剣を抜き、切っ先を下に向けて持ったミカは、それをジイさんの胸――心臓に標準を合わせて構える。
「……では、行くぞ」
ジイさんは返事もなく目を瞑ってる。それには構わずミカは垂直に剣を持ち上げ、そして次の瞬間、素早く胸に突き下ろした。うわ、痛え――直視できなかった俺は目を伏せたが、恐る恐る見てみる。剣はジイさんの胸に刺さってる……ように見えるが、突いた勢いの割にはそんなに深く刺さってない。
「……どういう、ことだ?」
ミカは呆然とした表情を浮かべ、突き立てた剣をなおも深く刺そうと力を入れてる。
「実感できただろう。これ以上深く刺せば、わしは死ぬが、呪いがそれを許さないのだ……わかったら、剣を抜いてくれ……慣れているとは言え、痛いものは痛い……」
ジイさんの言葉で諦めたミカはゆっくり剣を引き抜いて鞘に戻す。刺された胸には痛々しい傷があったが、流れる血は少ない。それだけ浅い傷だったんだろう。するとミカはおもむろに白いハンカチを取り出し、それをジイさんの傷に当てた。
「これが、不死の呪いの力なのか……」
「我ながら、厄介な物を作り出してしまったと、これまで何度も後悔している……だが、当時は軍の幹部から命令され、従う他なかったのだ……」
「なぜ呪いなのだ? 呪いでは死ぬまでに時間がかかる。それが猛毒であれば、すぐに死なせることができ、敵の数もたちまち減らせただろう」
「あれは内戦だった……つまり、敵は、昨日まで笑って話すこともあった、同族の民なのだ……それが、権力者の一存で、敵味方に分かたれ、戦わされた……そんな不幸な民を、わしは、残酷に殺すことが、できなかったのだ……」
仰向いてるジイさんの目がゆっくり開いて、薄暗い岩の天井を見つめる。
「だからわしは、死まで猶予のある呪いを使った……内戦終結後、わしが命を絶てば、呪いにかかった者は皆、元に戻り、死者も少なく済む……そう考えての兵器だったが、軍の連中は納得しなかった。敵をすぐに殺せない兵器など、役に立たないと……作り直しを命じられた」
同族を殺したくない……それであえて呪いを……自分が死ぬ覚悟を持ってまで、ジイさんはかつての仲間を殺したくなかったのか。
「だが、内戦は激しさを増し、わしの研究室は襲撃され……作り出した花は、そのどさくさで消失してしまった……わしは、襲撃から逃れ、生き延びたが、花はわしの知らぬところで、勝手に繁殖し……多くの者を呪いにかけてしまった。じわじわと苦しめながら……」
天井を見つめるジイさんは、虫の息のような溜息を吐く。
「即死を避けた兵器を作ったが、わしは、それ以上に残酷なものを、作ってしまったのかもしれない……自らが、その犠牲者になったことで、ようやく気付けた……何百年も、民に呪いを、与え続けるなど……死よりも、辛いことだ」
「……確かに、呪いにかかったまま生きるのは辛いだろうが、でもジイさんは呪いを選んでよかったと思うんだ」
そう言った俺をミカはねめつけてくる。
「死に追いやる呪いの、何がよかったというんだ」
「すぐに死なないところだよ。もしこれが猛毒だったら、花を食べた途端、皆死んでたはずだ。だが呪いはそうじゃない。一年ぐらいは生きていられるんだ。花を食べた人達は、その時間で自分達の死を先延ばしにできる方法を見つけて、そのおかげで子孫を残し、今も生き残ることができたんだ。……ジイさん、あんたの同族を殺したくないっていう気持ちは、ちゃんと助かることにつながってたんだよ」
揺れる瞳がこっちを見つめてくる。
「兵器の被害者達は……わしの、同族達は、生き残れているのか……?」
「ああ。その子孫がな。当時よりはかなり人数は少ないと思うが」
「そうか……無事に、生きているのか……」
「無事ではない」
ハンカチで傷口を押さえながらミカが低く言う。
「皆、呪いにかかり、花を食べ続けなければ生きられない状態でいる。しかもその呪いは我々王国人にも及んでいる。この由々しい問題を解決するため、私は呪いを解く命を受け、ここにいるのだ」
「あ、俺もそんな感じだ。訳あってこいつにこき使われててね」
「……そうだったのか。では、わしを見つけたのは、必然……」
街の店に入ったのも、そこの主人から男に話を聞いてくれって頼まれたのも、偶然だったと思うが。
「だがミカ、どうするんだ? ジイさんが本当に死なないんじゃ、呪いは永遠に解けないぞ」
血が止まったのか、傷口から手を離し、立ち上がったミカは、腕を組んで難しい顔を浮かべる。
「呪いは、かけた者が死ななければ解くことはできない。それが唯一の方法だと聞いている。他に術があるのかどうか……」
「唯一など、誰が言ったのだ……」
俺とミカはジイさんを見下ろす。仰向いた顔はそのままに、濁った目だけがこっちを見てくる。
「他の方法を知っているのか?」
「兵器に呪いを使うに当たり、呪術は詳しく学んだ……もちろん、解呪についても」
「本当かジイさん! で、どんな方法なんだ」
「古より伝わる方法だ……いくつか材料を集めなくてはならない……」
「材料? 何か作るのか?」
「そうではない。育てるのだ」
「一体、何を……」
首をかしげる俺達は見ず、ジイさんは正面の天井を見つめ続ける。
「待て、今思い出す…………まずは、聖水。それと、術者の身体の一部……さらに、巫女の血……そして、破呪の苗木だったはずだ」
「その、四つを集めて、どうするんだ?」
「苗木の根元に、他の三つを埋め、育てるのだ……」
「育てて、どうなる」
「木を中心に、その一帯が聖なる力で清められ……呪いが、解かれる」
「じゃあその方法だと、あんたが死ななくても呪いが解けるのか」
「そういうことだ……」
やっぱり殺さない方法もあったんだ。
「だが何で知られてないんだ? 人を殺すより大分健全な方法なのに」
「おそらく、時間を要するからだろう……木は、聖なる力が発揮されるまで、育てる必要がある……根を張り、枝葉を伸ばす……そこまで、最低でも、五年はかかるとされている」
「はあ? 五年も? その前に呪いで死ぬだろ」
「だから、皆、手っ取り早い方法を選び、こちらは使われず、忘れられてしまったのだろう……」
呪いを解くのに五年もかかるなんて、そりゃ誰だって術者を殺りに行くだろうよ。誰も木なんか育てなかった結果、こっちは忘れられて、一つしか方法がないと思わされてたわけか。
「五年か……長い時間だが、他に術がないのではやるしかないのだろうな」
「まあ、そうだな。始めるなら早いほうがいい……材料集めに行くか?」
「それだが……私は巫女の血に心当たりがない」
「教会とか修道院に行けばいるんじゃないのか?」
「貴様は巫女と修道女を一緒にしていないか? 巫女は神に仕える者で、祈祷や神託を告げる。対して修道女は神の教えに従い、修行を行いながら暮らす隠者だ。二つはまったく違うものだ」
「だがどっちも神様の側にいるんだ。似たようなもんだろ? 代わりにならないか?」
「修道女の血で代用し、木を育てたとしても、結果がわかるのは五年後だ。もしそこで呪いが解かれなければ、我々は五年という長い時間を無駄にすることになる。確信できていないことはするべきではない」
つまり、どう見ても巫女だって人を見つけないと、無意味に五年を過ごすことになるってことか……確かに、それは俺もごめんだな。
「巫女は、わしの時代でも、すでに姿を消していた……呪術が生まれた、古の時代には、おそらく多くいたのだろうが……現代に、古と似た暮らしをする街や村が、果たして存在するのか……」
俺達のような文化を持たず、独自の暮らしを続けてる集団なんて、まったく聞いたことが――あ、待てよ。俺は一つ知ってるじゃないか。しかも、世話になって、話したこともある。だがその中に巫女なんかいるんだろうか。神様を崇めてるような言動は見たことがないが……いや、そう言えば、森で花の匂いをたどって歩いてた時に、途中で妙なものを見かけたな。供え物がされた木の祭壇、らしきもの。あれはどう見ても祭壇にしか見えなかった。そうだとしたら、彼らは神様を信じ、祀ってるのかもしれない。そこに巫女がいてもおかしくないんじゃないか……?
「……一つ、心当たりがある」
振り向いたミカを見ながら俺は言った。
「先住民だ。彼らは自分達の神を持ってるかもしれない」
「根拠は」
「以前、森に入った時に見たんだよ。祭壇みたいなものが置いてあるのを。それに彼らは呪いのせいで文化を失ってる。その中で独自の神を信じてるなら、神託をする巫女がいる可能性もあるだろ」
「しかし、文化を失っているとは言え、元をたどれば我々と近かった可能性もある。巫女という概念があるのか怪しいものだ」
「わからないなら確かめに行けばいい」
「森へ行けば呪われる」
俺は頭を抱えそうになった。
「まだ言ってんのか? あんたもミンナと話してわかっただろ。先住民は呪いなんかかけられないんだ。俺達に危害を加える気もないって」
「あの女はそうかもしれないが、他の者も同じとは言えない」
「じゃあ、確かめに行かないって言うのか? それならあんたの心当たりを教えてくれ。そんなところがあるのか? え?」
そう言うとミカはこっちを睨んで押し黙った。
「ないんだろ? なら行くしかない。疑ってるとしてもだ」
「……わかった。だが貴様が言ったことだ。森へは貴様一人で行け」
「はいはい。最初からそのつもりだったよ。臆病なあんたは城で報告を待ってればいいさ」
ギロリと鋭い視線が刺さってくる。
「私を侮辱する気なら――」
「おっと、言い間違えた。賢明って言おうとしたんだよ。そのぐらい聞き流してくれ。それじゃ、ひとっ走り行って来る」
ミカの怒りの言葉をそれ以上浴びないよう、俺はさっさと穴から抜け出し、スレカンタの森へ向けて駆け出した。
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