十四話
「……どうすりゃいいんだろな……」
俺は手元で開いた分厚い本の中身に目を落としながら、思わず心の声を呟いてた。
「あー、駄目だ……どうしたって頭に入って来ない……」
ページには小さな文字で、俺には理解できない小難しい文章が長々と書かれてる。読み始めた最初こそ一文字ずつ追ってどうにか理解しようと努力してたんだが、二、三ページぐらいまで読み進めたところで、俺の脳みそは限界を迎えて理解することを放棄した。やっぱり俺じゃ無理だ。こんな難しい本、頭のいいやつしか理解できないんだよ。こういう勉強が苦手だったから盗みを仕事にしたっていうのに、大人になっても読まないといけないとはな……。
一ヶ月の釈放期間は、もうすでに二週間が過ぎてる。俺はとりあえず呪いの情報を探して街中を歩き回った。呪術師や呪いを知る専門家がいると聞けばすぐに話を聞きに行った。怪しまれて門前払いされることもあったが、運よく話を聞けても、常識の範囲内の話しか出てこず、呪いを解く別の方法は皆知らないと首を振るだけだった。
あらかた話を聞き終えた俺が次に来たのが、本屋と資料館だ。まず街の本屋で呪いに関する本を探したが、どれもこれも架空の物語のようで、真面目に書かれたものは見当たらなかった。数軒回ってみたが、詳細を書いた本はどの店にもなかった。やっぱり本屋は大衆向けなんだろう。呪いを詳しく知りたいなんて客は、後にも先にも俺しかいなさそうだ。
そうして次に来たのが、ここ資料館だ。街の文化や歴史の資料を集め、誰でも閲覧できるようにしてる場所で、その多くは住民からの寄付品らしい。だから読み終えたり捨てるはずだった本もたくさん寄付されてて、大きな本棚にはギュウギュウに本が詰まってる。無造作に詰められたそんな本から俺は呪いに関するものを探し出そうと毎日通い、そして何冊か見つけたんだが、それが専門的すぎてまったく理解できない代物だった。一冊目は半ばまで目を通して諦め、二冊目は二十ページ辺りまで頑張ったが、頭痛を感じて諦め、そして三冊目を開いた現在……読む努力はしたものの、限界に達した脳みそが拒否反応を出してしまい、これ以上読める気がしない。まずいな。このまま本を読み続けたところで、理解なんてできないし、内容も入って来ないし、変なアレルギーでも引き起こしそうだ。本当に、冗談じゃなく。
「……あっ、やば、時間か」
ふと見た柱時計は午後一時三十分になろうとしてた。俺は本を閉じて元の場所に戻してから小走りで資料館を出た。
毎日、午後二時までに城へ顔を出すのがミカとの取り決めだ。それができなければ俺は逃亡したとみなされてしまう。だからこうして街と城を往復する日々でもある。おかげでいい運動にはなってる。それ以上に面倒くさいが。
長い道を歩き、大きな城の姿が見えてくると、その手前にミカの姿も見えてくる。やつは時間が近くなるとわざわざ城の外に出て待ってくれてる。その理由を聞いたら、賊の貴様を何度も城内へ入れるわけにはいかないだと。だったら城じゃなく別の場所に呼び出せっての。通うほうの苦労も考えてくれ。
「……よし。今日も時間通りだ」
懐中時計を片手に、到着した俺を見てミカは言う。
「こっちの進展はない。そっちは?」
「昨日と変わらずだ。……すでに二週間が過ぎ、残りは一週間と少し……最後まで無駄な時間を過ごしそうだな」
「そんなの、最後の日までわからないだろ」
「だが二週間、何も進展はないのだろう? そこにどんな期待を見い出せる」
「どんなって……まだ調べてる最中だよ」
フッとミカは笑うように息を吐く。
「諦めるのも大事な決断だ。その勇気が湧いたらすぐに私に言え」
「余計なお世話だよ。そっちこそ、真面目に犯人の特定しろよな」
「言われるまでもないことだ。……また明日、遅れずに来い」
そう言い捨ててミカはさっさと城のほうへ帰って行った。その背中を一睨みしてから俺も来た道を引き返す。
とぼとぼと歩く地面を見下ろしながら、俺は何度も溜息を吐いた。自分でもよくわかってるんだ。調べても期待や希望はまったく見つからない。おそらくこの先も……。過ぎた二週間で何の手応えも感じられなかった。その中に必要な情報があったとしても、学のない俺が見つけようとすれば、それは砂粒ほど見えづらく、すくいにくいものだろう。
視線を上げ、近付いて来る街並みを眺める。そのさらに奥の景色を見れば、遠くに少しかすんだスレカンタの森の一端がのぞいてる。今思えば、ミンナから話を聞くためとは言え、何で先住民を助けるなんて約束をしてしまったのか。そして俺はそれを破らず守ろうとしてる。正直、彼らがどうなろうと関係ない気はする。王国との交流はなく、個人的にも特に深い思い入れなんてないし、律儀に約束を守る筋合いもない。ミカが森を焼いて犯人が死ねば、それが一番楽な方法には違いない。俺とヘンリクが解放され、手っ取り早く自由の身になりたいならミカに従うべきだろう。だが心の半分はそれをためらってる。縁もゆかりもない先住民を見捨てるのは簡単だが、本当にそれでいいのかと。俺は彼らの暮らしを垣間見た。ミンナからは呪いから逃れられない現状を聞かされた。彼らの真実を知ったから関係があるとは言わない。だけど知ってしまったから無視もできないんだ。これは同情、なんだろうか。それともただ大きな罪を負いたくないだけか……いやどっちだっていい。もっと単純に考えればいいんだ。先住民を皆殺しなんて胸くそ悪いことはしたくない。勇気を出して話してくれたミンナから笑顔を奪うようなことはできない。だから俺は調べるんだ。期待は極薄だが、諦めるには早い。最後の日まで粘りに粘って全力を注ぐ……それは時間の無駄なんかじゃない。少なくとも俺にとっては。
しばし立ち止まり、俺は両手で頬を軽く叩く。
「気合い入れろ。時間は残り少ないんだ……」
心に小さな火を灯して再び歩き出す。どうにもできなくても、あがけば道が開けることもある。とにかく諦めないことだ。
とは言え、現状は厳しい。呪いについて何一つ目新しいことを調べられてない。と言うか、手掛かりになるかもしれない本を見つけても、その内容を理解できないんじゃ前へ進みようがない。まずはこれをどうにかしないとな。
「本が読めて、俺より学のあるやつか……」
入った街の通りを歩きながら記憶を探って歩く。盗賊仲間や知り合いは結構いるが、所詮社会から外れた人間だ。知識、教養を持ったやつがいるとは思えない。そんなやつはそもそも盗賊なんかに落ちぶれはしないだろうから。だが、まれにそんなやつもいたりする。俺には思い浮かばない賢い方法で誰かが盗みを成功させたなんて話を昔聞いたこともある。盗賊仲間とは言っても、お互い本名や素性は明かさず、浅い付き合いしかしないから、深く聞けば案外、学のあるやつもいたりしてな……。
ふと気付くと、俺の足は無意識に通い慣れた店の前で止まってた。街の盗賊達の憩いの場……ここに来ると酒が恋しくなるから、自由の身になるまでは近付かないようにしてたんだが……学のあるやつ探さなきゃいけないからな。入らないわけにはいかないよな。あの本を理解できるやつがいるかもしれないんだ。仕方ないよな、一杯ぐらい……それ以上は絶対に飲まない。今は仕事中なんだ。休憩で寄るんじゃない――自分にそう言い聞かせて、俺は見慣れた店の扉をくぐった。
一歩入ると、少し埃っぽい空気と共に、喉の渇きを覚えさせる酒の匂いが俺を出迎えた。ああ、たまらない――
「いつもの、一杯」
カウンターへ直進した俺は、その奥に立つ顔馴染みの主人に酒を注文した。
「……おう、久しぶりだな。無事だったのか」
こっちを見ながらコップに酒を注ぐ主人は、驚く表情を見せつつも冷静な口調で言う。そりゃ驚きはするよな。ここで俺とヘンリクはミカに連行されたんだから。
「まあな。無事って言っていいかわからないが、ヘンリクも一応生き残ってるよ。牢の中でだがな」
「何でお前だけここにいる? あいつは弟子だろ? 見捨てたのか」
「人聞きの悪いこと言うなよ。いろいろ事情があってさ。今俺だけ釈放されてんだ」
出されたコップをつかみ、俺は酒をグビッと飲んだ。喉を潤して流れて行くこの久しぶりの感覚……最高に美味い。
「ふうん、それで? 早速ここの酒を味わいに来たってか?」
「酒はついでだ。これでも一応仕事中でな。……他のやつらはまだ来そうにないな」
俺は振り返り、店内の様子を見渡す。昼下がりの時間帯、テーブル席はガラガラで、客は堅気と思われる男性客二人が静かに飲んでるだけだ。盗賊仲間が集まり始めるのは夕方頃からだ。そこで情報収集してから仕事へ向かうやつもいれば、朝まで騒いで飲み明かすやつもいる。
「誰かに用事か?」
「まあ、そんな感じだ。しばらく待たせてもらうよ」
「構わないが……それならあいつに声かけてやってくれないか」
そう言って主人が目を向けた先を俺は追う。店の片隅、テーブルの陰に隠れるようにしてその姿はあった。床に座り込んだままビクともしない男――気配がなさすぎて気付かなかったな。
「……寝てるのか?」
「さあな。だが最近、ずっとあんな調子なんだ。注文しときながら酒や料理はわずかしか口にしないし、それなのになぜか毎日ここへは来る。心配したやつらが話を聞いたらしいが、どうやら病気なんじゃないかってことだ」
「病気? 大丈夫なのか?」
「大丈夫とは思えないな。日に日に痩せていってるからな。そのうち自力で歩けなくなりそうだ。そうなる前に医者に診てもらうよう説得してくれないか」
「医者は嫌だとか、駄々でもこねてるのか?」
「それに近いかもな。自分は病気じゃないと言い張って動かないんだよ。しかしなあ、そう言われても、あの痩せ方は病的だ。死んだ後で医者に診せても意味がないからな……」
困り顔で主人は座り込んだ男を見つめる。何だか厄介そうなやつだが、ここで息を引き取られても気分が悪い。盗賊仲間を待ってるだけじゃ俺も暇だし、話を聞くぐらいしてみるか――酒を一口飲んでから、俺はテーブルの陰にいる男に近付いた。
「よお、調子はどうだ」
薄汚い格好の男は壁に寄りかかって座ってる。声をかけると頭がゆっくり持ち上がり、顔がこっちを見上げてきた。
「……悪く、ない……」
力の抜けたか細い声が答えた。冗談を言える気力はまだ残ってるらしい。見えた顔は俺の知らない顔だ。まだ若そうだが、その肌は張りも艶もなく、頬はわかりやすくこけてる。確かに病的な見た目だな。
「調子いいなら、何でこんなところでじっとしてる?」
「腹が減り過ぎて、動けない……」
「なら食べればいいだろ。金がないのか?」
聞くと男は表情を歪めて言う。
「金ならあるさ……でも、食べられなくて……」
「? ……どういうことだ?」
俺が首をかしげると、男は再び顔を伏せ、うなだれる。
「俺だって、わかんねえよ……パンでもスープでも、好物のステーキでも、口に入れただけで吐き出しちまうぐらい、まずいんだ……いつも食べてた物なのに……」
「味を感じないってことか?」
「違う……全部が全部、まずく感じるんだ……水だけは、かろうじて飲めるけど……」
味覚がおかしくなった、っていうことだろうか。だとしたらやっぱり医者に診てもらうべきだろう。
「きっと病気だ。じっとしてたって仕方ないだろ。早く医者のところへ――」
「これは病気じゃない。そのうち、元に……」
「何を根拠に病気じゃないと思うんだ? ここに通って料理注文しても食べられてないんだろ? 元に戻る前に餓死するぞ」
「多分、花のせいなんだ……だから、そのうち元通りになる」
「……花?」
俺には聞き捨てならない言葉に、すぐさま問い返す。
「花って何だ。何かあったのか」
「しびれとか、眠りを引き起こす植物があるって、聞くだろ? 俺が食ったのも、そういう類のやつだったんだよ。数日すればベロも普通に――」
「待て。食ったって……花を、食べたのか?」
「ああ……食う気なんてなかったけど……何でか無性に、食いたくなっちまって……」
嫌な想像しか浮かばない。俺は男の傍らにかがんで、その顔をのぞき込んで聞いた。
「お前、スレカンタの森に入ったのか?」
聞いた俺を男は怪訝な目で見てくる。
「スレカンタ……? あそこはやばいところだろ? 入るわけない」
「じゃあ花はどこで食べたんだ」
「街から南へ、ずっと行った……岩山のあるほうだよ」
森とはまったく違う方向……そんなところに花が?
「俺、家がなくてさ……仕事で盗った物を、隠せる場所を探して、岩山のほうまで行ったんだ……そうしたら、いい匂いがして……」
やっぱり、そうなのか――
「匂いの元を、探したら……花が、咲いてた。それ見たら、食いたくてしょうがなくて……一つ、食っちまった」
「ちなみに、その花はどんな花だった」
「え……どんな花、だったかな……とにかく夢中で食ってたから……ああ、白い花、だった気がする」
俺は確信するしかなかった。食べずにはいられない、いい匂いのする白い花――間違いない。先住民が育ててるあの植物兵器の花だ。つまりこの男は、花を食べて呪われたことになる。味覚がおかしいのは、その呪いの影響か? 何にせよ、聞いた以上は花をどうにかしないと。王国に呪いが広がったら洒落にならない。
「花が咲いてる場所、詳しく教えてくれないか」
「いいけど……行くのか? だったら気を付けろよ……死にかけの、ジイさんがいるから」
「ジイさん?」
「花の側で、倒れるように寝てたんだ……最初は、死体だと思った。でも俺が花を食うと、ギョロっと目が動いて……それは食べるなってしゃべって……驚いてすぐ逃げ帰った。でも、もうくたばってるかもな……今にも死にそうだったから」
花の側で寝る老人……そいつも花を食べた呪いで動けなくなったんだろうか。それとも――あれこれ考えるより、まずは行ってみるしかないな。
俺は男から花の咲く場所を教えてもらい、早速向かった。時間が残り少ない中、予定外のことをするべきじゃないのはわかってるが、あの花が森以外にもあると聞いて放っておくことはできない。不意打ちのように、あの匂いを嗅いで、また俺が花を食べたくならないとは言い切れないからな。根っこから掘り返して燃やさないと安心できやしない。しかし、他の場所にも花が咲いてるなんて大変なことだぞ。ミンナに伝えておいたほうがいいかな……。
遠くの空に夕暮れの気配が見え始めた頃、俺は男に教えられた場所にようやく到着した。短い雑草の生えた大地に大小の岩がひしめき合うように転がってる。その隙間を埋めて草木が控え目に茂ってる――そんな景色が見渡す一帯に広がってる場所だ。こんなほうまであまり来たことがないから、何だか物珍しくも感じてしまう。あちこちにある岩の隙間や陰は、確かに何かを隠すにはいい場所かもしれない。もっと早くに知ってれば、俺も仕事で使ってたかもな。
それらを横目に俺はさらに進む。男によれば、花の咲いてた場所の手前には、大きな水溜まりがあったという。干上がってなければ今もあるはずというが――
「……これか?」
広く浅い窪みの底に、わずかながら泥水が溜まってる。ここに水を入れれば、男の言うように大きな水溜まりになりそうだが……ここで合ってるのか?
「……!」
その時、俺の鼻は敏感に反応した。どこからか漂って来るこの匂い……すでに知ってる危険な匂いだ。
「どこだ……」
緩やかな風に乗って流れてくる匂い……その方向をおおよそつかんだ俺は、匂いを吸い込み過ぎる前に茂った葉をもぎ取り、丸めて鼻の中に詰めた。くぅ、青臭い……だがこれで理性は保てる。
見当をつけたほうへ、俺は岩に沿って探して歩く。花はこの周辺に必ずあるはずだ。岩の裏側、草木の奥まで目を凝らす。そうしてかき分けた茂みの先を見て、俺は足を止めた。
「……見つけた!」
大きな岩と岩が支え合うように立ち、そこにできた暗く狭い穴の先に、可憐な白い花は咲いてた。森で見た花畑とは違い、光を受けないここの花は輝きがなく、数も三輪しかない。これだけならすぐに処分できそうだ。俺は身体を横にして狭い穴に背中をこすりながら入る。
「!」
穴の中は見た目よりも広く、大人なら三、四人ぐらいは座れる空間があった。そんな空間の半分を占拠して、地面には長い白髪頭の老人が横たわってた。これが話してたジイさんか……確かに、この見た目は死んでるようにしか見えないな。ぼろ切れとしか言えない服、その下に見える手足は骨と皮だけのように痩せ細り、肌も血色はなく、黒ずんでる。横向きの顔をのぞくと、髪と同じように白いひげも伸び放題で、深いしわが刻まれた皮膚の、その下の頭蓋骨の形がわかりそうなほど、頬骨やら眼球やらがくっきりと浮かび上がってる。もうどこにも肉なんて付いてなさそうだ。何も食べられない人間ってのは、皆こういう姿になるんだろうな……。
これで生きてるとは思えないが、一応確認しておくべきか――俺は動かない老人の首に手を伸ばし、その脈を確かめようとした。
「……出て行け」
触れる寸前、突然老人の目が開いてこっちを見上げ、かすれた声を出した。驚いて思わずひっくり返りそうになったが、どうにかこらえてその場に留まった。……男の話通り、本当に生きてるとは。
「……出て行け」
動かない俺に老人はまた言った。その声はひどくかすれて、注意して聞かないと聞き取れないほど痛々しい声だ。
「ジイさん、あんた何者だ……?」
濁った瞳がじっと見つめてくる。
「知って、どうする」
「いや、もしかして、この花を食べたんじゃないかと思ってさ……」
言って俺は足下に咲く花を示した。
「……その花を、知っているのか」
「まあな。食べたら呪われる花……ジイさんは食べたのか?」
「ああ……昔に」
やっぱり食べてたか……。
「そのせいで、そんな身体に?」
「そうだ……」
「じゃあ花を定期的に食べる必要があるな……最近はいつ食べた?」
「わしに、その必要はない」
「だが食べないと一年以内に呪いで死ぬぞ。この世に未練がなきゃ、そりゃ必要はないが」
俺を見つめる目が細まる。
「……お主、花について、なぜそこまで詳しいのだ」
「やらされてる仕事の中で知ったんだ。これ、大昔の植物兵器だったんだと。これのせいで今も呪いにかかって苦しんでる人がいるんだ。それをどうにか助けたいと思って……そんなことはまあいい。それよりジイさん、本当に食べなくていいのか? 死ぬ覚悟がもうできてるのか」
「……その必要もない。わしは、死なないのだ」
「死なないって……どういう意味だ?」
「言葉通り……わしの命は、永遠に失われず、生き続ける」
……骸骨みたいに痩せ細ってるからな。脳みその栄養不足のせいだろう。
「辛さを想像で紛らわせるのもいいが、しっかり現実も見ないと――」
「呪いの影響だ」
「……え?」
老人の視線が俺の足下の花に向く。
「花の呪いで、わしは、不死に……死ねない身体となったのだ」
不死――その言葉を何度も頭で繰り返して、どうにか理解した俺は、横たわる老人を唖然と見下ろした。
「……冗談だろ? そんなことって、あるのか?」
「わしが、証拠だ。試しに、首を絞めたり、心臓を突き刺してみても構わない。そうすれば、より信じられるだろう……」
まじで言ってるのか……?
「だが、あんた……こう言っちゃ悪いが、今にも死にそうに見えるが。身体を動かせないようだし、骨が見えるほどのひどい痩せ方だ」
「不死でも、身体は年老いて行く。とうに生きる限界を超えているのだ。しかし呪いは、そんな身体を朽ちさせず、生きるのに最低限の状態を維持させ、わしを生かし続けている……」
身体は死のうとしてるのに、呪いがそれを許さないってわけか……長生きはいいもんだと思ってたが、このジイさんの状態はむごいな。
「息ある限り、喉は渇き、空腹を覚え、全身の節々は痛む……もう、長いこと、この生き地獄を味わっている」
老人は何もかも諦めたように濁った目を伏せた。
「いつからこんなことに……花はどのぐらい前に食べたんだ?」
「どのぐらい、だろうか……おそらく、何百年という時をさかのぼった頃だろう……」
「何百年……!」
それじゃあ、もしかしてこのジイさん――
「大昔の国の、内戦時代の人間なのか?」
「内戦か……あれは、どんなに時が経とうとも、忘れることはできない」
信じられないが、そうなんだろう。この人は先住民の同族で祖先に当たる人……そこから、気が遠くなるほどの時間を、この人はここでひっそりと過ごしてたのか。苦しみながら、孤独に……。
「あんたも、内戦の被害者ってわけか」
これに老人は視線を上げて見てきた。
「被害者など、おこがましい……自業自得だ」
「何がだよ。あんたも花の匂いに惑わされて食べちまったんだろ?」
「その通りだが、花の存在も特性も知っていた者が、食べてしまったのだ……自業自得と言わず何と言う」
「……特性を、知ってた? だが内戦時の民はそんなこと知らなかったんじゃ……」
「ああ……民は何も知らなかった……知っていたのは、花を生み出した、わしだけだ」
その言葉に、俺は思わず息を呑んで聞いた。
「ちょっ……今、何て言った……?」
老人の弱々しい眼差しがこっちを見上げる。
「そこの花は、わしが作り出したものだ……兵器として」
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