九話

 何も見えない夜の道を、馬に乗ってかがり火を掲げたミカと二人の兵士に囲まれながら、俺はラーデン城へ向かって歩き続けた。数時間後には空が白み始め、遠くに城が見えてくる。ミカが言った通り、城に着く頃には夜が明けて、街はすっかり眠りから覚めて朝を迎えてた。


 城門にやって来ると、ミカは馬を降りて中へ入る。俺は兵士二人に脇を固められてその後に続く。すれ違う衛兵達が俺を見て怪訝な表情を浮かべてる。処刑されず、まだ生きてたのかとでも言いたそうな顔だ。そんなやつらを横目にミカは二階への階段を上り、廊下を突き進んで小さな扉の前で止まった。


「貴様はここで待っていろ」


 扉を開けて中へ入るよう促してくる。見ると中には使われてない家具や掃除用具、城内の備品なんかがいくつも置かれてた。


「……ここ、物置部屋か?」


「牢でもよかったが、許可や説明をする時間が面倒だ。だから貴様はここで大人しく待っていろ」


「まあ、牢よりはいいかもしれないが……」


 俺は部屋を見回しながら中へ入った。大して広くもないここは普段人の出入りが少ないんだろう。空気が埃っぽい。


「これ、外してくれよ」


 俺は枷を突き出して言った。


「妃殿下のために働いている時以外の場で外すわけにはいかない。城内ではなおさらだ」


「俺をここに閉じ込めるんだろ? 外したところで何も悪さはできないよ」


「だろうな。こちらも妃殿下とのお話は一時間もかからないだろう。その程度の時間、我慢していろ」


 まったく、思いやりも何もない、ケチな野郎だ。


「わかったよ……じゃあ、話のほう、頼むぞ。花のことは必ず聞けよ」


「言われなくてもわかっている。うるさいやつめ」


 王妃に確認したいのは、あの花を見て、匂いを嗅いだか。そして花に触れるなり何かしたのかだ。その辺りがはっきりわかれば、花と呪いの関係もわかるはずだ。先住民の女の話は本当なのか嘘なのか、判明するだろう。


 ミカは俺に向けたしかめっ面を戻すと、二人の兵士に向いて言う。


「ではこいつをしばらく見ていてくれ」


 わかりましたと二人の兵士の返事を聞いてミカは廊下の先へ向かう。それを見送ると残った兵士は物置部屋の扉を閉め、俺を中に閉じ込めた。薄暗い内側から扉越しに耳を当てると、すぐ側に二人の気配があった。腹減ったなとか、徹夜は辛いとか、私語を交わしてるのが聞こえた。俺も腹減ったし、正直眠い。あいつが戻るまで寝てようか――そう思ったが、ミカが本当に話を聞き出してくれるのか、どうも気がかりで寝る気になれない。あいつは先住民の女を犯人と決め付けてたからな。面倒くさがって適当に聞き終え、俺を納得させようとする恐れもある。盗賊の身分じゃ王妃に会えないのはわかるが、やっぱり俺が直接聞きたいところだ。あいつもそうだが、俺もまだミカのことは信用してないってわけだ。どうにか話を聞きに行けないものかな……。


 扉の向こうには兵士二人が立ってる。鍵はかけられてないが、不意を突いて出てもすぐに捕まるだろう。抜け出すならそれ以外の場所――薄暗い部屋内を眺めて、俺は古いクローゼットに隠れた窓を見つけた。出るならあそこしかなさそうだ。


 物を動かすには両手が自由じゃなきゃいけない。俺はベルトの裏に隠してあった鍵開け用の針金を取り出し、手首を限界まで曲げて枷の鍵穴に差し込んだ。感覚を頼りに動かしてると、カチリと鳴って枷は手首からすんなりと外れた。この程度、俺にとっちゃ朝飯前だ。


 自由になった両手を軽く回し、俺はクローゼットを動かしにかかる。外の兵士に音が聞こえないよう、ゆっくり、慎重に引きずり移動させる。中身が空のせいか、思ったほど重くなく、隠れてた窓はすぐにあらわになった。長方形のガラス窓。差し込む陽光がガラスや窓枠に溜まった埃を照らし出す。こんなに積もってるんじゃ埃っぽいはずだ。俺は小さな取っ手に手をかけ、窓を開けた。その途端、埃は風で舞い散り、城外へ流されて行く。入って来た新鮮な空気を吸い込み、俺は窓から頭を出した。


「ふむ、なるほど……」


 上下左右の様子を確認し、王妃の部屋までの行き方を模索する。ここは二階で、行きたいのは三階。記憶してる城内の各部屋の位置からすると、王妃の部屋はそれほど遠くないはずだ。問題はそこまでどう上るか……。城壁を見ると、石造りの壁には若干の隙間があり、装飾を施された箇所には出っ張りもある。鉤縄を持ってない今は、それらを伝ってよじ登るしかなさそうだ。真下を見ると、歩哨が歩く通路が見える。手が滑って最悪落ちても、これなら死ぬ高さじゃない。まあ大怪我はするかもしれないが。とにかく行ってみるか――窓の縁に足をかけ、俺は身体の向きを変えて城壁に手をかける。


「……行けそうだな」


 壁の出っ張りを伝いながら確信できた。これなら普通の民家をよじ登るのと大差ない。だが鉤縄で上る時より体力を消耗する。なので近くの窓の縁で止まり、休みを取りつつ、三階の部屋を目指して上り続ける。やがて見覚えのある窓が見えてきた。あそこじゃ俺がミカに縄を切られて落とされたんだったな……そんなところに上ってまた戻って来るとは、何とも不思議な感じだ。


 かつて落とされた窓の縁に手をかけ、俺は中の様子をこっそりうかがう。しかし窓には半分カーテンが引かれてた。でもこれはこっちの姿を隠すには好都合な状況だ。俺は窓の縁に腰かけ、カーテンで身を隠しながら部屋をのぞき見る。ガラスの向こうの寝室には人影がなく静まり返ってる。ということは王妃は隣の部屋か? 侵入する気はなかったが、話が聞けないんじゃ入らないわけには行かない――窓に手をかけ、俺はそっと開けて中に忍び込んだ。


「見つかったら、今度こそやばいだろうな……」


 そうわかってても、あいつがしっかり話を聞いてるのか確認しておかないと。そうしたらすぐに戻ればいい――王妃のベッドを通り過ぎ、俺は寝室の扉の前まで行った。そこに耳を当て、隣の部屋の様子を探ってみる。


「――だから、もう話したことじゃない」


「ですから、今一度、お話し願いたく――」


「何を話せというの? 私は全部話したわよ」


 ミカと少女の話し声がする……子供ということは、王妃か。今まさに聞いてる最中のようだ。


「呪いをかけられた状況を、より細かくお教え願えませんか?」


「それも話したわ。覚えていないの?」


「もちろん覚えております。ですが、妃殿下が仰られたのは、先住民の女に声をかけられたとだけで……その他には何かございませんでしたか?」


「話しかけられて追い出された。それだけよ」


「他には?」


「それだけって言っているでしょ! しつこいわよ」


「申し訳ございません。けれど妃殿下が我々に仰り忘れていることがあるのではと思い――」


「ないわよ。全部言ったわ」


「では、追い出されたというのは具体的にどのように――」


「大体わかるでしょ? 出て行けって言われて追い出されたの」


「呪文らしき言葉をかけられては……」


「わからないわよ。先住民の言葉ってすごく訛っているし、その中のどれかが呪文だったのかもしれないわね」


 口調からして、王妃は話をするのをやけに嫌がってる感じだな。機嫌でも悪いのか? もっと協力的に話してくれないもんか。ミカも早く花の話をしてくれ。王妃の機嫌をこれ以上損ねると口を開いてくれなくなりそうだ。


「その呪文だったかもしれない言葉とは、どのような――」


「そんなことまで覚えているわけがないでしょ! こちらは驚いて逃げるのに必死だったのだから」


「それは、そうですね。失礼いたしました」


「もう! 話を聞きたいというから朝食を切り上げて来たというのに、なぜ同じ話をまたしなければいけないの? こんなこと、何度も話したくないわ。私が呪われてしまった話なのよ?」


「お辛いことをお聞きしてしまい、大変恐縮しております。ですが妃殿下をこのような目に遭わせた犯人を特定するためにはお話をおうかがいしなければならず、どうか今一度……」


「犯人の特徴も伝えたはずでしょ? それだけでは見つけられないというの?」


「それについては、すでに見つけております」


「それなら、早く始末すればいいだけじゃない。何をまごついているの?」


「先住民の命を奪うことですので、犯人であるという、より正確な証拠が必要であると考えまして……」


 バン、と何か硬いものを叩く大きな音が響いた。


「犯人の命と、私の身と、あなたはどっちが大事だというの!」


「そ、それはもちろん、妃殿下の御身でございます。ですが、先住民とは言え、命が関わっていることですので、念には念を入れたいと――」


「犯人を見つけておいて、まだ不十分だというの? あなたがこうして立ち止まっている間にも、かけられた呪いがいつ私を殺すかわからないのよ? 毎日不安にさいなまれているというのに、いつまでこんな思いをさせるつもりなの!」


「申し訳ございません。できるだけ早い問題解決を――」


「そう言うのなら、今すぐ犯人を始末して、この呪いを解きなさいよ! それまで戻って来ないで!」


「承知、いたしました……あの、最後に一つお聞きしたいことがございまして、妃殿下はあの森で花をご覧になっては……」


 やっと聞いてくれたか。王妃はどんな反応を――


「私は今すぐ始末して来てと言ったの。聞こえているなら行きなさいよ!」


「……失礼いたしました。ただちに、向かいます」


 そこで二人の会話は聞こえなくなった――心配した通りだ。ミカのやつ、王妃の態度に畏縮してまともに聞きやしない。これじゃ詳しく聞いたなんて言えるか。一番重要なことをなおざりにしやがって……。王妃も王妃だ。何だあの態度。てめえのために働いてる相手に横柄な口ききやがって。あんな女に俺とヘンリクの自由がかかってると思うと腹が立ってくる。……やっぱりミカじゃ駄目だ。俺が直接聞くしかない――意を決して俺は隣の部屋へつながる扉を開いた。


「おい、ミカ! 頼んだことぐらい守れないのか」


 突然現れた俺に、踵を返してたミカは仰天した顔で振り向き、ソファーに座ってた子供姿の王妃はポカンと口を開けてこっちを見た。


「なっ……き、貴様、どうやって……!」


「ステンヴァル、この者は誰なの? なぜ私の寝室から……」


「俺はあんたのために身体を張ってる者だよ」


 そう言って王妃に近付こうとすると、すぐにミカが立ち塞がった。


「貴様は妃殿下に近付いていい人間ではない! 離れろ!」


 怒鳴るミカをねめつけて俺は言った。


「あんたが頼んだ通りに聞いてくれれば、こんなことしなくてもよかったんだ」


「貴様、話を盗み聞いていたのか?」


「ああ。あんたと同じように、俺もあんたを信用してないんでね。そうして来たら心配が的中だ。王妃に遠慮するあんたじゃ役に立たなそうだから、代わりに俺が聞く」


「ねえステンヴァル、この者は一体誰だと聞いているの!」


 困惑した王妃がミカに強く聞く。


「あ、その、この男は……」


「なあ王妃様、少し質問に答えてくれ」


 話しかけると、王妃は強張った表情をこっちに向けた。


「おい! 勝手な真似をするな!」


 ミカは俺の肩を押して遠ざけようとするが、それに抵抗しながらさらに続けた。


「森の側を通ったって言うが、その時に花を見つけなかったか? すごく綺麗な――」


「ステンヴァル! 早くどうにかして。……名乗りもせず、いきなりやって来て話しかけるなんて無礼な」


「じゃあ名乗ればいいのか? 俺はヨハンネス・サーリネン、街で盗み働きをしてたが、最近こいつに捕まった」


「……は? と、盗賊、なの? どういうことなの、ステンヴァル」


 王妃の恐怖に揺れる視線がミカを見つめる。


「妃殿下、これには理由がございまして――」


「俺は弟子を人質にとられた上、こいつに言われて王妃様に呪いをかけた犯人を殺す仕事を任されてる。だからそれに関してどうしても聞きたいことがあるんだ」


「盗賊に、仕事を任せているの……?」


「これは、犯した罪の償いのためで、万が一の犠牲を避けるためでもあって……」


「そう。これを果たせば俺達は解放されるんだ。だから決して悪いことじゃない。……質問の続き、いいか?」


 王妃は不安そうに見るだけで何も答えなかったが、俺は構わず聞いた。


「七色に変わる花を見なかったか? 香水のようないい匂いがする花だ」


「花……なんて、見ていないわ……」


 小さな声で言うと、王妃はなぜか目を伏せた。その動きに俺はピンとくる――わかりやすく嘘をついてるな。


「ステンヴァル、早くこの者を連れ出し――」


「質問に答えてくれればすぐに出て行くよ。……本当に見てないのか?」


「見ていないわよ。そんな変な花……」


「変……? 何で変だと思う?」


「え……だ、だって、色が変わる花なんて、変だわ……」


「変と言う前に、俺は綺麗だと思ったが。ただ、花の匂いを嗅いだ後は妙な花に思えたよ。……王妃様、あんたもあの匂いを嗅いだから、変な花だっていう印象を持ったんだろ」


「ち、違うわ。私だって最初は綺麗な花だと――」


 そこまで言って王妃は言葉を途切れさせた。嘘をつくほどボロが出るな。


「最初は、か。まるでその目で見たような言いぶりだが」


「そ、そうではなくて……ステンヴァル! 突っ立ってないで、この者を連れて行きなさいよ!」


 俺を遠ざけようとしてたミカだが、王妃の様子でもうその気はなくなったらしく、俺と並んで王妃に向き直った。


「妃殿下、質問にお答え願います。実際に花をご覧になられたのですか?」


「何で、あなたまで……」


「私もお聞きしようとしていたことなのです。妃殿下、お教えください」


「見たんだろ? 森の中に咲いてる花を。正直に言ってくれ」


 俺達二人に言われて、どうしようもできなくなった王妃は、半分怒ったように言った。


「……ええ、森で見たわ。あの変な花を」


「匂いも嗅いだんだな」


 少女の顔の王妃は上目遣いでこっちを睨むように見る。


「そうよ。香りも嗅いだわ。で、でも、それだけよ。それ以上のことは……」


 俺は首をかしげた。


「……それ以上? あんたはそれ以上に何をしようとしたんだ? それとも、何かしたのか?」


 ギクリとした表情がすぐに伏せられる――わかりやすい相手は楽で助かる。


「隠さずに言ってくれ。あんたは何をしたんだ」


「何も、何もしていないわ……」


「そういう顔には見えない。あの匂いを嗅いで、あんたも思考力を奪われたんじゃないのか?」


 これに王妃はハッとした目を向けてきた。


「もしかして、あなたも、同じように……?」


「ああ。匂いを嗅ぎ続けてたら、花のことしか考えられなくなってた。自分の意思なんかどっかに行って、自然と花に引き寄せられたよ」


「私も、そんな感じだったわ……それで、どうしたの?」


「無性に花をかじりたくなったが、その寸前で先住民に止められて、そこでやっと頭が元に戻った。あの花はやばいって、それでわかった」


「あなたは、止められたのね……」


 呟いた王妃は引きつった表情で瞬きを繰り返した。


「……もしかして、あんたは、止められなかったのか?」


 俺とミカをちらちら見やると、王妃は両手で顔を覆った。


「妃殿下、仰ってください。花を、口にされたのですか?」


 ミカが穏やかな口調で聞くと、顔を覆った王妃は小さく頷いた。


「……だって、私は止められなかったの。花を食べたくて食べたくて、自分を抑えられなかったのよ」

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