七話

「んだども、何でこんたどごろに来だんだ?」


「アホなやづなんだべ。木さ上ってだって言うし」


「そいだばアホなんでねぐ、バガなんでねが?」


「おお、そうだな。バガだ、バガだ」


「そんたのえがら、はえぐ戻れって。見世物でねんだぞ」


「わがったがら、そんたに手で押すなよ」


「そうしたら面倒ど見張り、頼むぞ。まなぐ離すんでねぞ」


「任せでおげ。ちゃんと見るがら」


 三人の男がワイワイ話しながら家を出て行くと、残った見張りの男が俺に顔を向ける。


「……どうだ? 足の痛みは」


 四十前後と思われる赤髪の図体のでかい男は、ぶっきらぼうな口調で寝転がる俺に聞いてきた。


「少し、和らいだ……」


「塗り薬効いだみでゃだな。歩げるが?」


「いや、そこまでは……」


 これに男は小さな溜息を漏らす。


「そうが……王国人はこんたどごろにいだら駄目だ。痛みが引いだらすぐに出で行げ。えな?」


「あ、ああ……」


「そいだば、それまで休んでろ」


 そう言うと男は俺から離れ、入り口近くの椅子に座って腕を組む。そして鋭い視線で俺を眺める――見張り、ってことか。こんなに見られると居心地悪いな……いや、初めて来た先住民の家なんだから、居心地悪いのは当然なんだが。


 今から三十分ほど前――足をねんざした俺は、先住民の少年を前にして死を覚悟した。いつ呪いをかけられてもおかしくない状況だった。逃げるに逃げられず、その時を待つしかなかった。だが動けない俺を前にして、なぜか少年のほうが逃げて行った。石を投げるでもなく、呪いをかけるでもなく、慌てたように集落のほうへ消えてしまったのだ。残された俺は唖然としたが、見逃してくれたのなら這ってでも逃げるべきかと思ったが、少年はそうしたわけじゃなかったんだと、すぐにわかった。


 大勢の足音と気配を感じると思うと、再び現れた少年は数人の大人達を引き連れて来た。そりゃそうか。侵入者を見つけたんだから誰か大人に知らせるのが普通だ。警戒をあらわにする男達を見て、俺は今度こそ終わりを覚悟した。呪い殺される――そう怯えながらじっとしてる他なかった。この人数相手じゃ抵抗も無駄でしかない。


「怪我してらんでねが?」


 誰かがそう発した言葉に、俺は思わず顔を上げた。やっぱり聞き取れる。訛りはきついが、俺にも通じる言葉だった。つまり先住民は王国の人間と基本同じ言語で話すんだとわかった。意思疎通をはかれる――本当にわずかだが、小さな点のような光に手を伸ばしてみようと、俺は話しかけてみた。


「そ、そうなんだよ。足を痛めちまって、歩けそうにないから、できたら森の外まで――」


「歩げねのが? そりゃ困ったなあ」


「王国人だぞ、こさいられんのはなあ」


「んだども、放ったらがすのは可哀想でねが?」


「んだ、具合見で治してけれねが」


 森の外まで運んでもらえれば十分だったんだが、彼らは俺の怪我を治すことで意見がまとまったようで、近付いて来るとねんざした足の様子を確認し、図体の一番でかい赤髪の男が俺をおんぶする形で集落へ運び始めた。その間俺は一言も発せず、なすがままになってた。恐怖もあったが、この状況が理解できなかった。彼らは森に近付いた人間は片っ端から呪い殺してるやつらじゃないのか。それで王妃は現に呪われたんだ。だが近付く以上に森に入った俺を見つけても、彼らは呪いの「の」の字すら言わないし、素振りも見せない。それどころか怪我を手当てしようとするなんて……俺は騙されてるのか? 今は安心させといて、集落に入ったら態度を豹変させるのか? それは十分あり得ることだ。着いたところで、俺は最後を迎えるのかもしれない――そう思ったんだが、その予想は外れた。


 原始的な小さな家に運ばれると、木の土台と草で編んだ敷布のベッドに寝かされた俺は、そこで怪我の手当てを受けた。ねんざして腫れた足首にネバネバした軟膏を塗られ、その上に細長い葉を幾重にも巻かれた。おそらく包帯の代わりだろう。手当てを受ける王国人がよほど珍しいのか、家には他の老若男女が何人も出入りし、俺の姿を見て、へえーとかほおーとか言っては戻って行った。見世物じゃないってのに。だがその誰もに俺への敵がい心は感じられなかった。かと言って歓迎もしてくれてないが、少なくとも呪い殺してやろうという意思はどこにも感じない。正直、戸惑ってる。これってどういう状況なのか、まだ理解できないまま今に至ってる。


 ベッドで黙って休んでる間に、家の小さな窓の外はすっかり暗くなってた。赤髪の男が油皿に灯した火で室内はほんのりと明るいが、外の景色は漆黒の闇に包まれて何も見えない。一晩、こんなところで過ごすのか……不安しかない。ねんざしたことだけが悔やまれる。


 その足首のねんざの様子を確かめようと、俺は巻かれた葉を少しめくって具合を見てみた。謎の軟膏がヌチャッと音を立て、灯りでてかてかと光ってるが、ここに運ばれて来た当初より明らかに腫れは引いてた。痛みもかなり治まり、この軟膏の効き目を実感する。短時間でこんなに治るとはな。王国で売れば結構評判になるんじゃないか? 彼らにそんな気はないんだろうが。


 それにしても暇だ。ベッドから動けない上に外の景色も見えない。原始的で質素な部屋の中を見てても新しいことなんて見つけられない。見張りの男と話してみてもいいが、万が一呪いをかけられでもしたら取り返しがつかないしな。あー、腹も減ったな……。


 そんなことをぼんやり考えてると、家の扉を叩く音がして、誰かが中に入って来た。


「メシ、たがいで来たぞ」


 現れたのは年齢が高そうな痩せた茶髪の男だった。細い両手で料理の入った皿とコップを持ってる。


「おう、メシか。……王国人、腹減ってらならけ」


 赤髪の男は料理を示して言う。


「え、俺のなの……?」


 てっきり見張りの男のものかと思ったんだが。


「いらねならたがいで帰るんだども――」


「あっ、も、貰うよ。食べる」


 腹が減り過ぎて動けなくなったり、集中力が切れるのは嫌だからな。


「今晩のメシは、キノコどウサギ肉の煮込みだ。ちゃんとけ」


 茶髪の老人は俺の側まで来ると、ベッドに皿とコップを置く。


「ありがと――」


 礼を言った時、俺の鼻にはじめて嗅ぐ、何ともいい匂いが漂い、思わず言葉が止まった。


「……ん? どうした?」


 老人が不思議そうにこっちを見る。


「すごく、いい匂いがした気がして……」


「え? ……ああ、こ、この煮込みでねが? 今日のはよぐ煮込んであるがらな」


 気のせいか、老人の口調が変わったような……。


「じっさま、もうえがら、はえぐ戻れ」


 赤髪の男に言われて老人はそそくさと入り口へ戻る。


「そいだば、後で交代しに来るがら」


「おう。頼む」


 そう言って老人は家を出て行った。交代か……確かに一人が付きっきりじゃ大変だよな。


「さっさど食って寝れ。そんで怪我治せ」


 やっぱりぶっきらぼうに言うと、赤髪の男は椅子に座って俺に見張りの目を向ける。当然、食事中も見られるのか。気分悪いがしょうがない。


 俺は煮込み料理の皿を持ってそれを眺めた。茶色い汁に切られたキノコとウサギ肉が浸ってる。見た目は王国にもありそうなものだ。まさか毒なんて入ってないよな――木のスプーンで中をかき混ぜてみるが、怪しい具材はなさそうだ。匂いはどうか――顔に近付けて嗅いでみる。想像通りの、肉の香りが漂うさっぱりとした匂いだ。だが俺は首をかしげる。さっき嗅いだあの匂い……老人はこの煮込みの匂いだと言ったが、嗅いでみてまるで違うとわかる。さっきの匂いは食べ物の匂いとは違う、何ていうか、香水に似たような、鼻にまとわりついて、頭まで突き抜けるような……言葉で表しづらいが、とにかく癖になる感じの匂いだった。この料理じゃなきゃ、あの老人から匂ってたってことか? 一体何の匂いだったのか……まあ考えても答えは出ない。さっさと腹を満たすか。


 五分ほどで食べ終えて、俺はまたベッドで横になった。あまり満足感はないが空腹でいるよりはいい。空になった食器を赤髪の男は回収し、しばらく見張りを続けてたが、交代でさっきの老人がやって来ると、空の食器を持って家を出て行った。


「足の怪我、見せでみれ」


 側に来た老人はそう言うと、俺の足首に巻いた葉を取ってねんざの様子を確かめ始めた。


「……よさそうだな」


 笑顔を浮かべた老人は葉を巻き直して、見張りの椅子へ戻る。今度は意識的に匂いを嗅いでみたが、もうあの匂いはしなかった。気のせいじゃないはずなんだが、どこから匂ってたのか……。


「そいだば火消すから、あさままでしっかり休め」


 油皿に灯る火をフッと吹き消すと、部屋は一瞬で闇に覆われた。静寂の中、外で鳴く虫の声だけが響く。ふああと老人があくびする声も聞こえたが、それがなくなるとまるで俺一人しかいないような感覚に陥る。集落には大勢が暮らしてるのにな……。


 暗い天井を眺め続けて何時間経っただろう。十分暗闇に慣れた目で入り口のほうを見やると、椅子に座ったまま船を漕ぐ老人の姿がある。明らかに寝てるな……この程度の見張りでよかった。俺は物音を立てないようゆっくり起きてベッドから下りる。このまま大人しく一晩過ごす気なんてない。仕事を早く終わらせて自由を手に入れるんだ。ヘンリクも待ってることだしな。


 恐る恐るねんざした足を地面に付けてみる。痛みは大分なくなったが、歩くことまでできるか――ぐっと力を入れて立ってみると、足首にかすかな痛みを感じたが、構わず動かしてみてもそれ以上の痛みが走ることはなかった。全速力ではまだ走れないだろうが、このぐらいなら歩くことに問題はなさそうだ。数歩進んで具合を確かめてから、俺は静かに入り口の扉へ近付いて行った。できれば窓から出たかったが、ここの窓は小さ過ぎて、多分俺の身体じゃ引っ掛かる。だから正面玄関から出る他ない。


 息を殺し、椅子でうたた寝する老人の横に立つ。寝息を立てながら頭を不安定に揺らしてる。起きて気付かれる前にここを離れよう――扉の取っ手を握り、そっと押すと、枝と葉で編まれた扉は何の抵抗もなく開いた。鍵やつっかえ棒でもあったら面倒だと思ったが、先住民は俺を閉じ込めるつもりはないんだろう。ただ怪我をしてたから助けただけなのか……いいやつらなのか怖いやつらなのか、よくわからないな。まあ今はそんなことはどうでもいい。俺がすべきことは青髪の女を見つけ、息の根を止めること。こんな夜の時間なら皆家で寝てるはずだ。その一軒一軒を調べれば必ず見つかるだろう。ねんざしたのは不運に違いないが、そのおかげで集落に入り込めたことは運がよかったとも言える。忍び込む手間が省け、こうして直接捜すことができるんだからな。さて、王妃を呪った女はどこにいるのか――家から出た俺は周囲に目をやりながら集落の様子をうかがった。


 森の中の集落だけあって、とにかく暗い。寝静まった時間帯なのか、見回しても灯り一つ見当たらない。だが頭上を見ると、重なった枝葉のわずかな隙間から銀色の月の光が差し込み、集落内の道や他の家などを幻想的に照らし出してた。今夜は月が出てるようだ。これは助かったな。曇ってたら自分の足下すらまともに見えなかっただろう。


 しかし月の光が届く範囲は限られてる。ちょうど照らされた家なら窓からのぞいても寝てるやつの顔が見えたが、そうじゃない家だと暗闇の空間しか見ることができなかった。これじゃ仕事が進まない。火を持って家を回るわけにもいかないし、朝まで待つのもな……彼らの気が変わっていつ呪いをかけられるかわからない。だからこんなところでもたもたしてたくないんだが……。


「……ん?」


 途方に暮れかけてた時、俺の鼻は敏感に反応した。……あの匂いだ。あの時と同じ匂いがする。でもどこから……?


 匂いなんてどうでもいいし、今はそんなのを気にしてる場合じゃないってわかってるんだが、俺はどうしても匂いが漂う先を知りたくて、嗅覚を頼りに集落の道をたどって歩き進んでみた。家や畑を次々に通り過ぎ、次第に森の奥へと入って行く。気のせいか、奥へ行けば行くほど匂いが濃くなってるような――


「……これは、祭壇か?」


 道の途中、開けた場所に出て、そこには木で作られた立派な祭壇らしきものがあった。色鮮やかな布で飾られた台には木の実や野菜がたくさん置かれてる。先住民にも独自に祀る神がいるんだろう。だが今はこの匂いの元を探さないと――俺は祭壇を通り過ぎ、匂いをたどってさらに道を進む。


 何だろう……この匂いを嗅ぎ続けてると、頭が匂いのことでいっぱいになってくる。もっと嗅ぎたい、もっと吸い込んでいい気分になりたい……そんな気持ちが湧いてくる。一方で目標の女を捜さなきゃいけない焦りも確実にあったが、匂いを吸い込むたびにそれが薄れていく感覚があった。……この匂い、何かおかしくないか? 思考を邪魔するって、まずいものなんじゃ――そんな疑いも、鼻から流れ込む匂いは覆い隠していった。いい匂いなんだ。悪いもののはずがない。一体何の匂いなのか。その正体を知りたい――いつしか俺はそれしか考えられなくなってた。


「……!」


 匂いをたどって行き付いた先、そこにあったのは、木々に囲まれた中に広がる一面の花畑だった。月の光に照らされた無数の花は見る角度によって七色の輝きを放ち、まるで夢物語に出て来るような神秘的な景色を作ってる。匂いの元はこの花だったのか――俺は引き寄せられるように花畑へ向かった。


 しゃがんで、花をまじまじと見てみる。ラッパ形の花は大きく、一見するとユリに見えるが、花びらはそれよりも多い。色は白が基本のようだが、光の当たり具合ではどんな色にも見えてくる。俺は花のことはよく知らないが、これがそこらで見る普通の花じゃないことぐらいはわかる。七色に変わる花なんて見たことも聞いたこともない。そして何より、この香水に似た何とも言えない匂い……これも初めてだ。俺は花に顔を近付けてもっとたくさんの匂いを嗅いだ。深呼吸をするように、肺をいっぱいに膨らませては吐き、そしてまたすぐに匂いを吸い込む。それを繰り返すたびに不思議な恍惚感が頭を支配し、俺は他のことがどうでもよくなっていった。この匂いを嗅いでるだけで幸せだ。ずっとこの匂いの側にいられれば……いや、違う。嗅ぐだけじゃ物足りない。この匂いごと……匂いを出す花ごと、俺の中に入れてしまえたら――そんな欲求が湧いた俺は、目の前の輝く花びらにかじり付こうとさらに顔を近付けた。


 だがその寸前で俺は動けなくなった。正確には動きを止められた。背後から襟首を強く引っ張られ、花を目前にしながらお預けを食らったような状態にされる。何てひどいことをしやがる。意地悪するやつは誰だ――イラッとした俺は後ろへ振り返った。


「……あら、あだ、怪我した王国人でね」


 襟首をつかんで立ってたのは、青髪を結った、まだ若そうな先住民の女だった。

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