六話

「……なあ、この手枷、外してくれないか? 今さら逃げたりしないって」


 雲のない清々しい青空の下、俺は両手に枷をはめられた状態で緩やかな坂を歩かされてた。周りには緑が多く、その新鮮な香りと澄んだ空気が何とも心地いいが、地下牢から出されてもまだこんな枷を付けられちゃ、せっかくの心地よさも台無しだ。


「目的地に着いたら外してやる」


 俺の横を馬に乗って進む白金頭の男が、こっちを見ずに答える。


「その目的地ってどこなんだよ。さっきから変わり映えしない道をずっと歩いてるが」


「もうすぐ着くから黙って歩け」


 静かな声に制されて、俺は溜息を吐くしかなかった。それぐらい教えろっての。こっちの不安も知らずに……。


 男の他にも、俺を見張るように二人の兵士が歩いてて、さらにもう一人は小さな荷馬車を引いてる。そこには天幕の布やら簡易ベッドなんかが積まれてる。こいつら、俺の仕事を見届けるために野営をする気らしい。できれば放っておいてもらいたかったが、そうもいかないか。


「補佐、右の道へ向かってください」


 兵士の一人が目の前の分かれ道を指差して言うと、男は手綱を操って右の道へ進む。


「……補佐って何だ?」


 聞くと、男は横目で俺を見ながら言う。


「隊長補佐だ。私は妃殿下付きの護衛隊士をしている」


「へえ、そうだったのか」


 ただの兵士じゃなかったのか。だから忍び込んだ王妃の部屋に確認に来たわけか。


「補佐する隊長はどこにいるんだ?」


「妃殿下のお側にいるに決まっているだろう。貴様ごときの相手は私で十分だ」


 俺の相手は雑務ってことかよ。


「そういえば、あんた名前は? 聞いてなかったよな」


「貴様に教える理由はない」


「そんなことないだろ。名前で呼べないと不便だ。それともずっとあんたって呼んでいいのか?」


 一瞬面倒くさそうな視線を俺に送ると、おもむろに言った。


「……ミカ・ステンヴァル」


「ミカか。わかった」


「気安く名で呼ぶな」


「ステンヴァルよりミカのほうが短くて呼びやすいだろ。俺の名前も短く呼んでくれても――」


「貴様は貴様だ。賊の分際で調子に乗るな」


 尖った青い目に突き刺される前に俺は視線を緑のほうへ向けた。頭の硬いやつはこれだから付き合いづらくて困る。


 城を出発してから二時間ぐらいは歩き続けてるんじゃないだろうか。この緩い坂はいつになったら終わるのかと思い始めてると、目の前の景色が徐々に開けて、俺達は小さな広場にたどり着いた。


「何だ? 休憩か?」


「ここが目的地だ。この丘からはスレカンタの森がよく見える」


 馬から降り、手綱を木に巻き付けながらミカは言う。


「本当か? どれどれ……」


 俺は額に手をかざし、離れた眼下を眺めた。鬱蒼と生い茂る緑の葉、その塊が縦横に広がる森が確かに見下ろせた。でもここからじゃ人の動きまでは見えそうにない。


「これを貸してやる」


 ポンと肩に触れたものを俺は受け取る。


「……望遠鏡か、これ」


「のぞけばよく見えるはずだ」


「いいのか? こんな高価なものくれて」


「貸すと言っただろう。やるのではない。こちらには予備があるから有効に使え。すべては妃殿下のためだ」


 さっそく俺は望遠鏡を目に当ててのぞいた。……すごいな。森の木がぐっと近くなった。これなら人の動きも見えるかもしれないが、ざっと見渡す限り、今はどこにも先住民の姿はない。


「森から先住民が出て来ることってあるのか?」


「それは滅多にない。先住民は森の中ですべてを完結させる暮らしを送っているからな。そのうち出て来ると期待はしないほうがいい」


 ここから犯人を見つけられればと思ったが、そうはいかないか……。


「森に近付くしか方法はなさそうだな」


「くれぐれも気を付けて行け。我々はここで貴様の監視をしながら帰りを待っている。くどいようだが、もし逃げれば――」


「本当にくどいな。逃げないって何度も言ってるだろ。こっちは命が懸かってんだ」


「ふんっ、ならばいい。さっさと行って片付けて来い」


 そう言ってミカは他の兵士の元へ行こうとする。


「さっさと行けって言うが、まさか来た道を戻って下りなきゃいけないのか?」


「そうしたければそれでもいいが、反対側に急だが近道がある。時間が惜しければそれを使え」


「そもそも、何で森から離れたこんなところに来たんだよ。確かに監視にはいいが、望遠鏡がなきゃ人なんか見えない場所だ。行き来する俺のことも考えてくれよ」


「賊である貴様の身をなぜ考えねばならない。我々が第一に考えるのは妃殿下の御身、次に自分達だ。森の近くに野営など張れば呪われかねない。だから距離は十分開ける必要がある」


「俺の身は考えられてもないのかよ。まったく、ひどいやつらだな」


「怪我でもしたら戻って来ればいい。その時は手当てぐらいしてやる。呪いは自身でどうにかしてもらうしかないがな」


「その程度の優しさか……まあ怪我する前に、一気に終わらせりゃ問題ない」


「その意気で頼むぞ。では行け」


 素っ気ない声に送り出され、俺は聞いた近道を進んで丘を下って行った。確かに急な坂で勢い余って転びそうになるが、さっきの緩い坂と比べれば大分早く丘のふもとへ来ることができた。そして視線の先には、緑の要塞のような広く大きな森が見える。


「まだ明るい時間だからな……常に身を隠せるようにしておかないと」


 とりあえず俺は近くの木の陰に移動し、借りた望遠鏡で森の奥を見てみることにした。


「……へえ、あれが先住民の家か」


 たくさんの木々が立ち並ぶ向こうをよく見ると、その隙間から人工的に作られた家らしきものがいくつか見えた。俺達が住むレンガや石造りの家じゃなく、枝や葉、つたなんかで作られた原始的な家みたいだ。でもさえぎる木々が多過ぎて全貌は見えない。歩いてる人影もあるっぽいが、やっぱり木が邪魔で一瞬しか確認できない。


「もっと近付かないと無理だな……」


 望遠鏡を片手に、俺は木陰を伝いながら森に近付いて行った。少し進むたびに望遠鏡で森の奥を確認し、こっちに気付いてるやつがいないか確かめながら進む。しょっぱなから呪われるわけにいかないからな。


「……ついに、入るのか」


 森の入り口まで到達して、俺は気合いを入れる。誰も近付かず、入りもしない場所……呪いへの恐怖は感じるが、向こうに見つかりさえしなければどうにかなる仕事だ。そう、盗みと一緒なんだ。気配を消して目標を捜し、そっと手を伸ばす――大丈夫だ。俺がずっとやってきたことなんだから。ヘンリクのため、悠々自適な暮らしのために必ず成功させる……!


 森に一歩入ると、ひんやりした空気が俺の身体を包む。ここは日が差し込まないせいか、何だか寒いな。足下には大量の雑草が生え、進むにも音を立てないように気を付ける必要がある。見つかれば呪われて即終わりだ。それだけは絶対に避けたい。


 身を低くして俺は望遠鏡をのぞく。レンズには先住民の家や歩く人影が映るが、やっぱり立ち並ぶ無数の木が邪魔だ。ここからでも犯人を捜せないことはないが、木と木の隙間から見える範囲だけをじっと見続けるのは能率的じゃない。どこか広い範囲を見渡せそうな場所があればいいんだが。集落の入り口に行くわけにもいかないからな……。


「……上か?」


 考えながらふと見上げた時、頭上に太い枝がいくつも伸びてるのが見えた。あれなら俺が乗っても簡単には折れなさそうだ。あそこから見下ろせば、少なくとも今よりは広範囲を見ることができるんじゃないだろうか――よし、やってみよう。


 望遠鏡をベルトに挟み、俺は早速大木によじ上った。普段の仕事柄、こういうことには慣れてるから、最初の枝には難なく到達した。もう少し上ってみてもいいかもな――俺の体重に耐えてくれそうな枝を選び、そこへ上る。心なしか風が運ぶ空気がより冷たくなった気もするが、集落のほうを見れば、枝葉の隙間から先住民の暮らす空間が広範囲に見えた。上って正解だったな。


 俺は望遠鏡で集落の内部を眺める。そこには畑らしきものや干された肉、何かを焼いてる焚き火なんかがあった。家と同様、暮らしぶりも原始的なようだ。その間を数人の先住民が歩いてる。目標は確か女だったな。若くて、灰色の肌に、結った青い髪、瞳は黒……望遠鏡でもこの距離じゃさすがに瞳の色までは判別できないが、つたの首飾りは見えそうだ。この容姿と同じやつは、さて、どこにいる――


 望遠鏡を細かく動かしながら見える範囲の集落を捜し続けたが、そうしてわかったことが一つある。つたの首飾りは犯人を見つける手掛かりにならないということだ。なぜなら見かける先住民の全員がその首飾りを着けてるからだ。大きさや形状は違うが、もれなく首にかかってる。わかってれば色形まで聞いてたんだけどな……。灰色の肌も大した手掛かりになりそうにない。濃淡はあっても、基本先住民の肌は灰色だ。濃いか薄いか、これも聞いておくべきだった。だが青い髪というのはいい情報だ。驚いたことに彼らの髪色は千差万別で、俺達と同じような色の者もいれば、紫や緑、青などの、まるで絵具で染めたような、俺達が見たことない色の者が多くいる。その中から青髪の若い女を見つければ、そいつを犯人候補として目を付けることができる。だが――


「……はあ……」


 枝に座りながら、思わず溜息が漏れた。もう何時間こうして捜してるのか。いい加減尻も痛い。青髪の若い女を見つけるだけなのに、その姿が一向に見つからない。青い頭の男なら何人も見かけてるが、女はどこにもいない。ここから見える範囲内では生活も活動もしてないのだろうか。だとしたら場所を変えなきゃならないが……。


 空を見ると、枝葉の向こうはうっすら茜色に染まってた。もう夕暮れ時か。どうりで腹が減るわけだ。


「……ヘクションッ」


 不意にくしゃみが出て、身体が寒さにブルッと震えた。森の冷たい空気と風にさらされて、さすがに冷えたみたいだ。くそ、さっさと終わらせたかったのに、今日はあいつの野営に戻るしかないか。これ以上暗くなったら危険でもあるしな……しょうがない。また明日だ。


 そう決めて望遠鏡をベルトに挟み、枝から立ち上がろうとした時だった。その枝の足下でコツッと小さな音がして、俺は見た。


「ん……? 何だ」


 確かめてみるも、特に異変はなさそうだった。気のせいか――と思った直後、足下から小さな何かが飛んで来るのが見えた。それは俺の足に当たり、枝を転がって地面に落下して行った。……な、何だ今のは。何が当たったんだ? と地面へ目をやろうとすると、それに合わせたかのように飛んで来た何かが額に当たった。


「いっ! ……痛え」


 鈍い痛みに思わず額を押さえた。小さくて硬い感触……これって石じゃないか? 何でこんなものが飛んで――そう思った瞬間、俺は身をかがめて地面をのぞき込んだ。


「……!」


 顔面蒼白になった。薄暗い地面を見下ろすと、そこには動く人影があった。こっちを見上げてくる灰色の顔――先住民! 望遠鏡で眺めることに集中し過ぎて、こんなに近寄られてることにまったく気付かなかった。油断もいいところだ。しかし木の上にいるのに何で気付かれたんだ……もしかして、さっきのくしゃみか? 長時間いすぎて気を抜いてたから普通にやっちまったが……しくじったか。


 胸の中に絶望感が広がるのを感じながら、俺は恐る恐る眼下の先住民を見る。薄暗くて表情はわかりにくいが、黒い短髪の小柄な容姿は十歳前後の子供のようで、地面に転がる石を拾っては、こっちに向けて投げ付けて来る。それはまるで害獣を追い払うかのような行為に感じる。まあ、王国と交流のない彼らにすりゃ、俺は不審者でしかないんだろう。黙って森に入ったこっちが確かに悪い。しかし、だからって石を投げなくてもいいだろうに……。


「や、やめてくれないか? そんなに投げられちゃ下りたくても下りられない……」


 俺は意を決して先住民の少年に声をかけた。だがすぐに不安を覚えた。王国の人間の言葉を、先住民は理解できるんだろうか。そもそも、俺達と先住民は言葉で意思疎通ができるものなのか? 彼らの言葉なんて聞いたことないし、何語を話すのかも知らない。独自の言葉なら話しかけても意味はないが――


 だが通じないと思った俺の言葉に、少年は意外にも反応した。返事こそしなかったが、石を投げる手を止めてこっちをじっと見つめてきた。何か言ってると思ってただ止まっただけかもしれないが、それでも石つぶての邪魔がなくなったおかげで木から下りられそうだ。俺は少年に石を投げる気配がないのを確認してから、ゆっくり枝を伝って下りて行く。だが地面に着いたらどうすべきか。一目散に走って逃げるか? しかしそれだと向こうの敵がい心を刺激しそうで怖い。呪いをかけられずに逃げるには友好的な態度を見せてからのほうが――


「……痛っ」


 背中に鈍い痛みが走り、俺はハッとして地面を見下ろす。視線の先の少年はなぜか石投げを再開してた。木にしがみ付いて動けない俺に向かってどんどん石を投げ付けて来る。


「やめろって! 頼むから、下りるまでは……」


 やっぱり言葉は通じてないのか。このままじゃ全身傷だらけにされる……。


「こ、こっちに来ねで!」


「……え?」


 今の言葉、まさか俺達と同じ言葉か? 大分訛ってはいたが――そんな少年の言葉に意識を持って行かれた直後、頭に石が当たった衝撃で俺は手を滑らせ、バランスを失った身体は支えをなくして落下した。だがこんなことは若い頃に何度も経験済みだ。俺は姿勢を立て直して着地を試みた。が、かえってそれが悪かった。足を着いたのは張り出した木の根の上で、踏んだ瞬間、足首が妙な曲がり方をして激痛を起こした。


「うっ……!」


 うめき声をこらえて俺はその場にしゃがみ込んだ。これは、完全にやっちまった。痛みが消えるまで、俺は立つことも走ることもできそうにない。つまり、呪いを繰り出す先住民の少年と相対さなきゃならない。視線をそろりと上げれば、右手に石をつかんだまま、少年が目の前で固まったように立ってこっちを見てる。終わった……俺の人生、呪い殺されて幕を閉じるのか。他人の物盗んで暮らしてたんだ。真っ当な死に方はできないと覚悟してた自分もいるが、場所が死刑台じゃなく、こんな自然の中ってだけましと思うべきか――どうにもできない身体を木に寄りかからせ、俺は静かに息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る