三話

 王妃のベッドに、子供……? 俺はこの謎に考え込んだ。確か王妃は現在二十代半ばで、子供がいてもおかしくはないが、国王に嫁いで来たのは二十になったばかりの頃だったはず。そう考えると子供にしちゃ少し大きい。世継ぎが生まれたなんて話も聞いてないしな。まさか隠し子、じゃないよな。国王か王妃、どっちかが隠してる子供なんてことは……いや、そりゃないか。そんな子供がいたら一緒に城に住まわせるわけがない。自分の側に置いたら臣下や兵士達に即ばれるだろう。じゃあこの少女は一体誰なんだ? 王妃の子供じゃなければ……親族の子供か? だとしても何で王妃のベッドで寝てるのか。わがままでも言われて王妃が譲ったんだろうか。じゃあその王妃はどこで寝てる? やっぱり愛する夫の部屋か? うーん……いろいろ考えることはできるが、どうもしっくりこないな。そもそも、ここは王妃の部屋で間違いないよな。寝てる少女を見てると自分の記憶まで怪しく感じてくる。それとも、当時とは部屋が変わったのか? 亡くなった前妃が使ってた部屋だから縁起が悪いとか言って……そうなると部屋を探し直さなきゃならないな。でもそれは無理だろう。ヘンリクが見つかって今城内中がバタバタしてるはずだ。兵士達も警備を強化するだろう。それをかいくぐって部屋を探し回るのは、経験者の俺でもさすがにきつい。残念だが今回は諦めて、本格的に警備が強化される前に脱出するべきだな。宝に手が届きそうでも、欲をかいた途端失敗するなんてことは教訓として数多くある。生きてりゃ何度だって挑戦できるんだ。ここは自分の身を優先して出直そう。そうと決まったら、さて、どこから逃げようか――ベッドから離れ、薄暗い部屋を見回してた時だった。


 コンコンと部屋の扉を叩く音が響いて、俺は思わず姿勢を低くして身構えた。


「お休みのところを申し訳ございません。至急ご確認をさせていただきたいのですが――」


 低い男の声が呼びかけてくる。兵士か? まあ、侵入者を見つけたんだから、安否ぐらい確認に来るのは当然か。このまま暗がりに隠れてやり過ごしてもいいが……。


「起きていらっしゃいますか? ここを開けていただけますか?」


 その言葉に俺はハッとした。そう言えば扉の鍵は内側からかけられてた。つまり寝てる少女がかけたってことだ。でもそれが開いてるってことは、侵入者が入ったと思われる状況でもあって――


「妃殿下、いらっしゃいますよね? 大変申し訳ないのですが開けていただきたい」


 男は懇願するように言いながら何度も扉を叩いてる。まずいな。鍵が開いてるとわかれば、部屋は徹底的に調べられるだろう。そうなったら隠れても無駄だ。早いところ逃げないと……ん? 今やつは、妃殿下って呼んでたか?


「妃殿下、お願いします。扉を開けてください。すぐにご用は済みますので」


 男の声にだんだん焦りが混じり、扉の叩き方も強くなってきた。異変を感じたのかもしれない。……やっぱり妃殿下って呼んでるな。ってことはここは王妃の部屋に間違いなさそうだ。でも寝てるのは少女なのに、なんで妃殿下なんて……細かいことを考えてる余裕はないか。あの雰囲気じゃいつ部屋に踏み込んで来てもおかしくない。さっさと逃げないとやばそうだ。正面の扉が塞がれた今、逃げ道は二箇所の窓だけだ。三階から飛び降りれば普通は自殺行為だが、俺には鉤縄っていう道具がある。これを使えばどうにか――


「う……ん……」


 ベッドの少女が初めて身じろぎし、眠そうな声を漏らした。廊下からあんなに呼びかけてるんだ。さすがに目を覚ましたか。


「……ん? 誰か、いるの?」


 薄い幕越しに俺を見つけたのか、少女は寝ぼけたように言った。でも俺にはそれに構ってる暇はない。二箇所の窓の外を確認し、より安全そうな窓を選んだら、腰に巻いた鉤縄を解き、その鉤を窓の縁にしっかり引っ掛ける。


「妃殿下! この扉を――む、開いてる?」


 男はついに気付いたようだ。急いでずらかろう――俺は窓をくぐって外に出ると、縄を伝って素早く下りて行った。足下は結構な高さだ。手を滑らせたら最悪なことになる。変に慌てず注意しながら――


「――妃殿下、ご無事ですか!」


 頭上の部屋から男の声が聞こえた。どういうことだ? 誰に向かって妃殿下と呼んでるのか……いや、部屋にはあの少女だけしかいなかったんだ。呼ぶとしたら彼女だけ……信じられないが、まさかあんな子供が王妃だっていうのか? じゃあ前の王妃は一体どこに――


「見つけたぞ! 侵入者!」


 ハッとして見上げれば、窓から顔を出して見下ろす男の目と合った。


「逃がすものか!」


 そう怒鳴ると男は何やら動き出す。この縄を下りて来る気じゃないよな。それとも縄ごと引っ張り上げる気か? 何にせよ、その前に俺が下り切れば問題ない。下の足場はもうすぐそこに――


「あ……?」


 俺の身体は突然支えを失い、握る縄と一緒に落下した。その瞬間に見えた頭上では、男が剣を持ってるのが見えた。……あいつ、縄を切りやがったな! もうすぐ着くとは言え、まだ高さがあるんだ。打ちどころが悪けりゃ怪我もしかねないってのに――重力に従うまま、俺は下の足場まで一気に落下し、その衝撃を全身で受け止めた。


「あ、う……くそ……」


 尻と背中をしたたか打ち付け、俺は仰向けで悶えた。呼吸が止まるかと思ったが、どうにか息は吸える。痛みが治まってきて確認するように手足を動かしてみる。……骨は折れてないな。大きなあざを作っただけで済みそうだ。もし頭をぶつけてたらあの世に行ってたかもしれない。


「悪運があるようだな。貴様の顔は覚えたぞ!」


 見上げると窓から身を乗り出して男が叫んでた。体格のいい白金頭……こっちだって俺を殺そうとしたやつの特徴、覚えたぞ。


「逃げても無駄だ!」


 立ち上がって歩き出すと男がさらに言ってくる。無駄かどうかは逃げてみないとわからない。まあ確かに厳しくはあるが、追われたら逃げるのが盗賊の性分だ。少しでも可能性があるなら逃げ切ってやる。


 三階から城壁沿いの通路に落ちた俺は、見つけた扉から再び城内へ入り、身を隠しながら階下を目指して進んだ。身体を動かしてるうちに残った痛みにも慣れてきて、これなら咄嗟の時にも走って逃げられるだろう。それにしても、廊下には無数の兵士が行き交ってるものと思ったが、忍び込んだ時とあまり変わらない数しか見かけない。ヘンリクっていう侵入者を見つけたはずだが、そこまで警戒が強められてないのはなぜだ……?


「――もう捕まえたってさ」


 通り過ぎようとした扉の向こう側から声が聞こえて、俺は側の柱に身をひそめながら会話に耳を傾けた。


「侵入者は一人だったのか?」


「ああ。そいつが一人だけだって言ったらしい」


 ヘンリクは捕まったか……俺の存在を明かしてないとは、あいつもなかなか頭が回るところがあるじゃないか。


「信用できるのか?」


「やつの侵入経路以外に、外から侵入された形跡はなかったって言うし、俺達は通常任務のままでいいって上からの指示が来てる。巡回兵増やして城内を騒がしくしても、陛下にご心配とご迷惑をおかけするだけだから」


「ふっ、そんなこと言って結局、自分の評価のためなんだろ? 都合の悪いことは穏便にってわけか」


「そんなところだな。まあ俺達は仕事が増えずに済んでよかったけどさ」


 どんな組織にも私利私欲で動くやつはいるんだな……それはいいとして、いい加減な上官のおかげで、俺のことはまだ伝わってないらしい。だから警備も静かなままなのか。だがあの男が知らせれば兵士は増員される。その前に脱出しないと。


 鉤縄を切られたせいで、入って来た城壁を下りることはできない。一階まで下りて出口を探す必要があるが、いくつも出入り口のある分、兵士の数は多いだろう。とりあえず正面の門から出るのはないな。裏の通用門も目立ちそうだから行きたくないが、他に出られそうな道なんてあっただろうか。その辺りは記憶が薄れて覚えてないが……少し歩き回って見つけるしかないか――そう考え、物陰に隠れながら薄暗い廊下を歩いてる時だった。


「――痛いっすよ! もうちょっと力緩めてっす」


 ハッとして動きを止める。この声に話し言葉……ヘンリクだ。


「黙れ。盗人が」


 声のするほうへ移動し、廊下の角からのぞいてみると、そこには兵士に両脇をがっちりと抱えられ、歩かされるヘンリクの後ろ姿があった。見た感じ、ひどい怪我は負わされてないようだ。兵士が向かってる方向は正面の門か?


「俺は何にも盗んじゃいないっす!」


「じゃあなぜ侵入した。他に目的でもあったってのか?」


「別に、ただ、見物に来ただけで……」


「ほお、命懸けの王城見物か……もっとましな嘘をつけ。この小汚い格好はどう見ても賊の類だろ」


「見た目で人を判断するのはよくないっすよ」


「ならお前は何だ。貴族とでもいうのか?」


「ただの善良な市民っす」


「はんっ、もっとましな嘘をつけと言っただろ。まあいい。くだらない嘘を言い続けるなら、こっちはみっちり取り調べるだけだ。こうしてとぼけたことを後悔させてやるから、覚悟しろ」


「な、殴ったりは、しないっすよね?」


「それはお前次第だ」


「痛いのは、遠慮したいっす……」


「なら正直に答えることだ。何もかもな」


 会話を聞きながらヘンリクを追って来たが、到着したのはやっぱり城門だ。俺は置かれたままになってる荷車の陰に身をひそめてさらに様子をうかがう。


「……こいつが侵入した賊だ。頼む」


 兵士は門の手前で待ってた別の兵士にヘンリクを引き渡した。


「嘘をつくのが好きなようだから、普段より念入りに取り調べてやってくれ」


「念入りにか……わかった」


 ヘンリクを見た兵士は嫌な笑みを浮かべる――ありゃ、拷問でもされそうだな。気の毒だがヘンリクには取り調べに耐えてもらうしかない。俺はさっさと逃げ道を探さないといけないし――


「おら、こっち来い。……門を開けてくれ」


 兵士の声に、門番が開門するレバーを回し始める。ガタガタとうるさい音を鳴らしながら、重そうな門は人が十分通れるだけ開いた。その向こうには街へ続く道と星明かりに照らされた緑の景色が見える。


「殴るのは、やめてくださいっす。そういうの苦手なんすよ。お願いだから――」


「黙って歩け」


「ど、どこへ行くんすか? 話を聞くならこの城でも――」


「おい、黙れないなら殴るぞ!」


「ひいっ! だ、黙るっすから、暴力だけは……」


 首根っこをつかまれ、ヘンリクは借りて来た猫状態になってる。あいつは確かに痛いことが苦手で、喧嘩もまともにできない。だから暴力をちらつかせるだけであんなに怯える。あれじゃ取り調べも耐えられないか。拳を向けられて問い詰められでもしたら、俺のことなんかあっさり話しそうだ。一人で逃げるつもりだったが、あの不安そうな表情を見たら、師匠として弟子を助けないわけにはいかないよな。城門なんて、こんな目立つ場所で動きたくなかったが、ヘンリクを連れて行かれたら、もう二度と助ける機会は巡ってこないかもしれないし……しょうがない。腹を据えるか。


 俺は荷車の陰から飛び出し、最初にヘンリクを連れて来た兵士二人の脇を駆け抜ける。


「……ん? 誰だ!」


 驚く兵士の声を聞きながら、そのままヘンリクと並んで歩く兵士の後ろへ向かう。


「……何だ」


 仲間の声に兵士は振り向いた。そこへ間髪入れずに俺は飛び蹴りを食らわした。


「ぐほっ!」


 胸に入った蹴りで兵士は後ろへひっくり返り、床に倒れた。俺はすぐに立ち上がってヘンリクの腕を引く。


「行くぞ!」


「し、師匠! 見捨てずに来てくれたんすね!」


「いいから逃げるぞ! 走れ!」


 俺とヘンリクは開いてる城門目指して一直線に駆けた。


「なっ、に、逃がすな! 門を閉めろ!」


 兵士の慌て声に門番も慌ててレバーを回し始めるが、その時にはもう俺達は門の隙間をすり抜けてた。


「くそっ! 追え!」


 兵士二人が後を追って来る。だが身軽な俺達に武装したやつが走りで追い付けるわけもない。暗い夜道をジグザグに駆ければ、二人の追っ手はあっという間に引き離されて姿が見えなくなった。慌て過ぎて馬を使わなかったのが失敗だったな。きっと上官にこっぴどく叱られることだろう。


「はあ、はあ……もう、大丈夫っすかね?」


 道の脇の林に入り、そこに身をひそめて背後の様子をうかがいながら、ひとまず息を整える。


「あいつらはまいただろう。だが他の兵士が周囲を捜し始めるはずだ。こっちに来られる前に街の人ごみに紛れたほうがいい」


「わかったっす……でも、少し、休ませてくださいっす……」


 そう言ってヘンリクは何度も深い呼吸を繰り返す。俺も久しぶりに全力で走って疲れた。乱れた息を落ち着かせるため深呼吸をする。


「……捕まったのにお前、俺のこと話さなかったんだな」


「へへ……当然っす。弟子が師匠のこと売るはずないじゃないっすか。師匠のほうこそ、何で俺を助けてくれたんすか?」


「ん、まあ……お前は拷問に耐えられそうにないから、俺のことすぐに言いそうに思えてな」


「ええ? 俺を信用してくれてないんすか? ひどいっすよ! どんなことがあろうと、師匠のことだけは絶対にゲロったりしないっすから!」


「お前はまだ半人前だからさ……疑って悪かったよ」


 ねめつけるヘンリクに俺は笑い返した――少し情が湧いたからっていう理由は黙っておこう。


「ところで師匠、部屋で王妃は見たんすか?」


「どうなんだろうな……見たって言えるのか、言えないのか……」


「何すか? そのはっきりしない言い方は」


 あの時の光景を思い返しても、まだ答えがわからないでいる。


「王妃を見たのかもしれないが、俺の想像する王妃じゃなかったんだよ」


 ヘンリクは首をかしげる。


「意味がよくわからないっすけど……師匠はどんな人を見たんすか?」


「ベッドで寝る女の子だ。七、八歳ぐらいの」


「子供じゃ明らかに王妃とは違うじゃないっすか」


「だが部屋にはその子供一人だけで、呼びに来た兵士は妃殿下って呼んでた」


「部屋、間違えたんじゃないっすか?」


「いや、それはないと思う。あそこは確実に王妃の部屋のはずだ。あの子供は何だったのか……」


「子供は誰か知らないっすけど、王妃はいなかったってことっすよね? 今夜だけの偶然なのか、それとも噂通り家出してるか、もう死んでこの世にいないか……うーん、答えをズバッと出したかったっすけど、それじゃ難しいっすね」


「そうだな。噂を確認できるものは見れなかった……金の総取りはお預けだな」


「簡単には行かないもんすね」


 がっかりした言葉を言いながらも、ヘンリクの表情はなぜか明るかった。


「……お前、本当に残念に思ってるか?」


「思ってるっすよ。何でっすか?」


「何か、全然そんなふうに見えないからさ。金ないと困るんじゃなかったのか?」


「ふへへ……それなんすけどね」


 ヘンリクは急ににやつき始め、俺に近付いて来た。


「な、何だよ」


「実は……ジャーン!」


 服の下に手を突っ込んだヘンリクは、そこから何かを取り出して見せた。


「……これ!」


 思わず目を見張った。手に握られてたのは、城内の廊下で見かけた金属製の鳥の置物だった。


「お前、盗って来たのか!」


「師匠は帰り際に盗れって言ったっすけど、どうしても欲しくて……実はあの時にこっそり盗ったんす。おかげで城に忍び込んだ証拠を持ち帰れたっす」


「俺の言うことを聞かずに……呆れた……」


 だが、目的を果たせなかった今回は、この置物が唯一の成果で戦利品と言える。弟子ながらいい仕事をしたと褒めるべきか。


「これ売った金は師匠にもちゃんと分けるっす。だから安心してくださいっす。この細かい作り、きっと高い値が付くっすよ」


 鳥の頭を撫でながらヘンリクはニンマリと笑う。


「待て待て。王家の品なんか売ればすぐに足が付くぞ。売るなら数年後にしろ」


「数年? そんなに寝かしとくんすか?」


「ああ。十年、二十年後でもいい。それだけ売る相手、売買経路を見極めろってことだ。でないと金を手に入れたのにすぐ牢屋行きになるぞ」


「そんなに待てないっすよ。金欠なのに……」


「安全確保のためだ。これだけは聞いておけ。それにすぐ売ったら皆に自慢できないだろ」


「あ、確かにそうっすね。これがたった一つの証拠っすもんね。城に入った偉業を広めてからでもいいかもしれないっす……そっか、俺、城に入って無事帰って来たんすね」


「追われてる状況が無事って言えるかは微妙だけどな」


「でも捕まってないんすから、無事っすよこれは。わあ、改めて考えると、俺達すごいことしたんすね。今になって興奮してきた……!」


「じゃあその興奮が冷めないうちに、他のやつらに自慢しに行くぞ」


「言っても信じないだろうな。そこにこの置物を見せたら、あいつらひっくり返って驚くっすよ!」


「かもな。さあ、早く帰ろう」


 休憩を終えて俺達はねぐらのある街へ向かう。その間もヘンリクは終始興奮した様子で、俺はそれをなだめ続けた。でもこいつの興奮する気持ちもよくわかる。師匠という立場上、冷静を装ってはいたが、俺も正直ヘンリクのように喜びたかった。人生で二度も城に忍び込めたなんて、まさかできるとは思ってなかった。今回は兵士に見つかりはしたが、侵入できたのは事実だ。昔の心残りを払拭できたと言っていい。これで思い残すことなく引退して、悠々自適に過ごせるだろう。ヒヤヒヤしつつも、なかなか楽しめた。話を提案したヘンリクに感謝しないとな。帰ったら飯でもおごってやるか。


 盗賊仲間がたむろするいつもの店に行くと、ヘンリクは早速自慢話を始めた。王妃の噂は確かめられなかったものの、兵士の目をかいくぐり、三階まで到達し、見事王家の置物を盗み帰って来たと、大げさな言葉で語って聞かせた。感心するやつもいれば疑うやつもいたが、ヘンリクは構わず話し続けてた。それを酒の肴にして、俺は弟子の生き生きした様子を壁際から眺め、話し終える最後まで付き合ってやった。久しぶりに楽しい酒が飲めて、少々飲み過ぎたのかもしれない。夜明けが近付き、聴衆がバラバラと去り、聞かせる客のいなくなったヘンリクは俺と飲んでたが、気付けば俺達は店の隅でそのまま寝込んでた。途中、店主に起こされた気もしたが、結局起きなかったようで、目を覚ました現在、窓の外を見ると、空は茜色の夕焼けに染まってた。つまり俺達は半日以上、酔っ払って寝てしまったわけだ。


「……あー、身体痛え……寝過ぎたな」


 突っ伏してた机から身体を起こし、店内を見回す。まだ少ないがちらほらと客はいた。そんなやつらの話してる声が何となく耳に入って来た。


「――西通りを通って来たんだけど、何かいつもより城の兵士を見かけるんだよね」


「南もそう。普段あんなにいないのに、今日はやけに多くて息が詰まりそうになるよ」


 兵士を、見かける……? まさか昨日の追っ手じゃないよな。街まで捜しに来てるわけ……いや、可能性がまったくないわけじゃないしな。念のため身を隠すべきか……。


「……ヘンリク、起きろ」


 寝てる間に椅子からずり落ちたのか、床で丸まって寝てるヘンリクを俺は揺すって起こす。


「んん……んえ?」


「立て。店出るぞ」


「ふあ……もう朝っすか?」


「違う。夕方だ。早く立て」


 ヘンリクは大あくびをしながらのろのろと立ち上がると、窓の外を眺める。


「これ、朝焼けじゃないんすか……?」


「よく見ろ。太陽が沈んでる。……はあ、ベッドで寝直したいな」


「俺、腹減ったっす。何か食べたいっす」


「それは後だ。とりあえずここ出て――」


 その時、店の入り口の扉が大きな音を立てて開いた。俺達も含め客の全員がそっちへ目を向けた。


「全員、その場で止まれ!」


 入って来たのは鎧をまとった三人の男達――城の兵士だ。その先頭に立つ大柄な兵士は鋭い目を店内に向けながらそう叫んだ。客は何事かと驚き、その場で固まったように止まる。


「師匠――」


「しっ」


 何か話しかけようとしたヘンリクを俺は黙らせる。そして大柄な兵士の動きを見つめる。兵士はゆっくり歩きながら、客達の顔を一人ずつ確認してるようだった。その行動には嫌な予感しかないんだが。本当に俺達を捜しに来たんじゃ――


「……ん?」


 兵士の顔を見て、俺は見覚えがあることに気付いた。あの体格に白金頭の男って、つい最近見たような――目覚めたばかりの脳みそで記憶を探ってると、向こうの顔がこっちを向き、その青い目がじっと考えるように見つめてきた。


「……あっ!」


「貴様……!」


 閃いた瞬間、向こうも同時に声を上げた。こいつ、王妃の部屋に来て俺を捕まえようと縄を切ったやつ……!


「私に見つかるとは、悪運もここで尽きたようだな」


 男は嫌みな微笑を浮かべて俺の前に立ち塞がった。こいつの言う通り、俺の悪運は本当に尽きたのかもしれない。楽しい酒を飲んで目覚めたら、兵士に見つかるなんて、こんな最悪なことはない。


「し、師匠、これって……」


 不安げな声を出したヘンリクを見て、男は気付いたように言う。


「その容姿の特徴……昨晩、城内で一度拘束した賊だな。一緒にいるとはちょうどいい」


「俺達を捕まえるのか」


「当然だ。それとも、何も身に覚えがないとでも? どちらにせよ、城でじっくり話を聞かせてもらおう。……こいつらを連れて行け」


 部下の兵士二人に指示を出すと、俺達は腕をつかまれ、乱暴に引っ張られる。


「や、やめろっす。放せって――」


「ヘンリク、抵抗するな。殴られるだけだ」


「でも師匠、このままじゃ……」


 俺は首を横に振って返すしかなかった。こうなったらもう逃れようはない。街中には大勢の兵士が来てるようだし、隙を見て逃げるのも難しいだろう。城の兵士は本気で俺達を捕まえに来たってことだ。少し浮かれ過ぎて、やつらのことを甘く考えてた。こんな最後を迎えるとは、悔やんでも悔やみきれないな……。

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