二話
数日後の夜――俺とヘンリクは入念に準備をしてから国王の居城であるラーデン城の裏手へやって来た。巨大な石を積み上げて作られた城は昼間も重厚で威厳ある外観を見せてるが、暗い夜になるとそれに加えて怖さや緊張感を漂わせる。あちこちでかがり火が焚かれ、その周囲で歩哨が警戒してる。
「……師匠、何笑ってんすか?」
茂みの中で一緒に隠れてるヘンリクに言われて、俺は無意識に笑ってたと知った。
「こういう状況、わくわくしてこないか?」
「さすが師匠っすね。こんな状況を楽しめるなんて……俺は心臓がバクバクしてるっす」
ヘンリクは笑みを浮かべるも、かなりぎこちなく引きつってる。
「余計な緊張は動きを悪くするだけだ。無理でも楽しめ」
「そんなこと言われても、いつもの仕事場じゃないんす。剣や槍を持った兵士がウジャウジャいるところで――あっ、師匠、待ってくださいっす!」
俺は辺りの様子をうかがいながら茂みを出て、かがり火の明かりを避けながら小走りに城壁へ近付く。
「お、置いて行かないで――」
「しっ、黙れ。巡回兵に聞こえる」
「どこ、どこにいるんすか?」
ビクビクしながらヘンリクは周囲を見渡す。
「今はいないが、そのうち戻って来る。今なら忍び込めるだろ」
俺は腰に巻き付けてた鉤縄を解き、その先端を握る。
「昔も、これを使って忍び込んだんすか?」
「ああ。正面も裏口も兵士だらけで、いないのは巡回兵が見回る城壁沿いだけだった。その目を盗んでよじ登るしか方法はない」
暗く堅牢な城壁を見上げる。最上部も暗く、かがり火はない。そこまでの高さを測って俺は鉤縄を振り、思いっきり振り投げた。ガチンと音が鳴り、縄を引いて引っ掛かり具合を確かめる。……上手く出っ張りに引っ掛かってくれたようだ。
「俺が先に行く。合図したらすぐに登って来い」
周囲、そして上を確かめてから俺は縄を伝って登る。城壁に足をかけ、焦らず、でも素早く――
登り切った場所は狭い通路で、その奥には城内へ入る扉が見える。昔と同じ光景……もっと時間がかかると思ったが、意外にすんなりと来れて拍子抜けする。歩哨の人数減らしたのか? それとも仕事をさぼってるのか。警戒が大分緩いな。こっちは助かっていいが。
俺は城壁から見下ろし、下で待つヘンリクに手で合図した。これを見てヘンリクは縄をよじ登り始める。だが不慣れなのか、左右にフラフラと揺れて遅い。早くしろと怒鳴りたいが大声を出すわけにはいかない。イライラしながら見守ってる時だった。遠くの城壁沿いをこっちに向かって歩いて来る巡回兵の姿が見えた。戻って来たか――俺は極力抑えた声でヘンリクに言った。
「おい、兵士がこっちへ来る。急げ」
「ええ? ど、どうしたら……!」
「今のうちに登れば問題な――」
カチャと扉が開く音に俺は顔を振り向けた。見れば通路の奥から二人の兵士がやって来る――ま、まじかよ。こんな時に上と下に兵士が現れるなんて。くそっ、慌てるな。冷静に動け。ここにかがり火の明かりはないんだ。隠れてやり過ごせば――
「……し、師匠? どういうつもりっすか?」
俺が縄を伝って下りて来たことに、ヘンリクは動揺の声を上げた。
「静かに。歩哨が来た。このまま動かず、黙ってぶら下がってろ」
「そ、そんな! もう手の力が――」
「しっ。耐えろ」
俺とヘンリクは城壁の中ほどで縄にしがみ付いたまま、上と下へ意識を向ける。まず近付いて来たのは上の兵士二人だ。
「――はあ、だるいな。今日も深夜の任務だよ」
「お前多いよな。隊長に嫌われてんじゃないの?」
「結構顔色はうかがってんだけどな」
「そういうところだろ。嫌われるのって」
「え、駄目? 怒らせないように気遣ってんだけど」
「あの隊長には見透かされてるよ。そういうのは人を見てやらないと」
「俺のやったこと、労力の無駄だった? うわ、最悪だな」
二人の兵士はその後も上官への愚痴を話しながら、俺達の存在に気付くことなく通路を歩き去って行った。上はやり過ごせたな。あとは下の巡回兵だが……。
視線を地上へ向けると、ゆっくり歩く一人の兵士の影が徐々にこっちへ近付いて来る。頭上にいるとは言え、今動くと物音や気配で気付かれるかもしれない。手は疲れるが離れるまでじっとしてたほうがいいだろう。
「……師匠、登ってくださいっす」
すぐ下にぶら下がるヘンリクが小声で言ってきた。
「もう少し待て」
「もう、腕力が、限界に……」
兵士は真っすぐ前を見たまま、俺達の真下を通り過ぎようとする。
「師匠……早く……」
顔を上げることなく、兵士はそのまま城壁沿いに歩いて暗がりに消えて行った。
「落ちちゃうっす! 師匠!」
俺は通路へよじ登り、すぐにヘンリクに手を貸して身体を引き上げてやった。
「た、助かったっす……」
両手を付き、安堵の呼吸をする弟子を俺はねめつける。
「体力作りも必要だって前に言ったよな。酒飲む時間の半分ぐらいは自分を鍛えろ」
「その言葉、今になって身に染みるっす」
「ほら立て。休んでる暇なんかないぞ」
鉤縄を回収して腰に戻すと、俺達は通路を進んで慎重に扉を開けた。
「……衛兵は、いないな」
ろうそくの明かりだけの薄暗い廊下を見渡し、耳を澄ましてみるが、特に人の気配はなさそうだ。足音を立てないよう俺達は静かに進む。
「すごいっす。もうここ、城の中なんすよね」
「ああ。一つ目の難関は突破した」
「俺が城に入れる日が来るなんて……何か、夢見てるみたいっす!」
「気持ちはわかるが、最難関の目的はまだ先にある。気を緩めるな」
昔の記憶を頼りに、俺は人気のない廊下を歩いて行く。
「ところで、王妃の部屋ってどう探すんすか?」
「場所はわかってるから大丈夫だ」
「え? 何で知ってるんすか? もしかして前に来た時に?」
「ああ。昔忍び込んだ時、ある程度の間取りは把握した。それから数十年経って忘れてる部分もあるが、最上階の三階に国王と王妃の部屋があることだけは覚えてる」
「さすがっすね。記憶力もあるなんて。それで、ここって何階なんすか?」
「ここは二階だ。だから上へ行く階段を探してる」
「あれって、そうじゃないんすか?」
ヘンリクが指差した先には、確かに上階へ向かう狭い階段があった。
「あれは確かに三階へ行けるが、王妃の部屋へつながってない、臣下や兵士用の階段だ。この城は王家の者とそれ以外の者とで階段を使い分けてるんだ」
「へえ、何か紛らわしいっすね」
「俺達みたいな侵入者対策だろ。当時も今も大して効果はなかったけどな」
辺りの様子をうかがいながら、時折巡回する衛兵から身を隠して、ようやくたどり着いた王家用の階段を上って俺達は目的の部屋がある三階へ来た。
「やっぱ、どことなく雰囲気が違うっすね……」
ヘンリクは緊張の滲む声で呟く。昔もそうだったが、国王夫妻がいる三階は二階までと違い、廊下の装飾は増えて、明かりも小さなろうそくじゃなく、光が広がるランプになり、そこに漂う空気もより高貴なものに感じられて妙な緊張を覚えさせる。だがこの緊張感こそが盗賊の俺にとっては心地いいし、ワクワクしてくる。今こそ、果たせなかった心残りを果たすんだ……!
「ここは衛兵の数も多いはずだ。廊下の先まで目を配って――おい、何してる」
ふと見ると、ヘンリクは廊下に置かれた飾り棚に載る、数体の動物の置物を物色してた。
「城に入ったっていう証拠に何か持ち帰らなきゃいけないっすから。……これ、金属製でかなり細かく作られてるっすよ。売ってもいい値段が付くかも。師匠、どれがいいっすか? やっぱ一番大きい鹿がいいっすかね。でも持ち運ぶにはちょっとかさ張るから、欲張らずに鳥辺りにしとくっすか?」
「証拠がいるなら帰り際でいいだろ。そんなことより目的に集中しろ。城の見物に来たんじゃないんだぞ」
「そうっすけど、これ、証拠にちょうどいいと思うんすけどね……」
金属の鳥の置物をヘンリクは物欲しそうに見つめ続けてる。
「目星を付けるだけにしとけ。行くぞ」
「あ、待って……」
俺は壁際に置かれた飾り棚や花瓶に身を隠しながら、慎重に廊下を突き進んだ。残ってる記憶が確かなら、国王の部屋は東側に、王妃の部屋は西側にあったはず。そしてこのまま行けば目的の部屋に着く。後ろから付いて来るヘンリクも気にしながら角を曲がると……金の細工が施された一際綺麗な扉が見えた。あれだ。あそこが王妃の部屋のはずだ。だがその前にいる兵士の数を見て思わず舌打ちをしそうになった。三人も衛兵がいる。とりあえず俺達は側にあった大きな観葉植物の陰に隠れて様子を見ることにした。
「……師匠、どうするっすか?」
葉に紛れたヘンリクの目がのぞいて聞いてくる。外の警備は比較的緩かったのに、ここだけ三人も集まってるとは。昔はこんな警備じゃなく、廊下を歩く衛兵しか見かけなかったが……王妃の部屋を厳重警備しなきゃならない理由が、やっぱりあるんだろうか。
どうしようかと考えてた時、二人の兵士に動きがあった。
「そろそろ見回りの時間だな……じゃあ廊下をぐるっと見てくる」
「おう……了解……」
「寝不足なのはわかるけど、任務中に寝るなよ」
「大丈夫……」
三人のうち二人は廊下の左右に分かれてそれぞれ巡回に向かった。残った一人はそれを見送ると、壁に寄りかかって腕組みし、うつむく。そしてそのまま動かなくなった。聞こえた話からしてやつは寝不足らしいが、もしかして居眠りしてるのか……?
「兵士が一人になったっすよ。行くっすか?」
この距離じゃ寝てるかどうか確認できないが、ずっと隠れててもさっきの二人が戻って来るだけだ。それなら数が減った今行くべきか。万が一見つかっても相手が兵士とは言え、一人なら対処する自信はあるし……よし。
「まずは俺が先に行く。扉に鍵がかかってる可能性があるからな。中に入れたら呼ぶから、それまでお前はここにいろ」
「も、もし見つかったらどうすればいいっすか?」
「俺が見つかっても助けなくていい。じっと隠れて隙を見て逃げろ。お前が先に見つかったら……自分でどうにかしろ」
「そ、そんなあ……」
「女みたいな声出すな。心配しなくていい。俺がちゃんと誘導してやるよ」
「師匠だけが頼りなんす。ここまで来て捕まりたくないっす」
「わかってるから黙ってじっとしてろ」
ヘンリクの期待の目に見つめられながら、俺はそっと観葉植物の陰から出て、忍び足で部屋の扉へ向かう。一歩ずつ近付きつつ、壁に寄りかかって動かない兵士の顔をのぞき見ると、その目はしっかりと閉じてた。さらに近付けばうっすらと寝息らしきものも聞こえる。これに俺は安堵した。大きな音でも立てなきゃこいつはしばらく起きることはないだろう。取っ組み合わずに済んでよかった――張り詰めた緊張の糸を少し緩めて、俺は部屋の扉に手をかける。
取っ手を握り、ゆっくり押してみるが、すぐに何かが引っ掛かって止まる。やっぱり鍵がかかってるか。仕方ない――ズボンのポケットからいつもの鍵開け道具を取り出し、それを壁と扉の隙間に入れて鍵部分に差し込む。鍵穴のない扉を開けるのは簡単だが、その際の音が大きくなりがちだから、丁寧に、慎重に探って――
カチッと解錠された音が聞こえ、俺は道具をしまって扉に再び手をかける。ゆっくり押せば扉はすんなりと開いた。居眠り兵士の様子を見ると、こっちには気付かず、未だ寝てる。問題なさそうだ。
俺は部屋に入り、その扉に身を隠しながら離れたヘンリクに手招きした。声は出さないが、喜びの笑顔をたたえてヘンリクは静かに廊下へ出て来る。正直、こいつと一緒に忍び込むのは難しいと思ったが、やってみればできるもんだ。こいつも弟子なりに成長して――
ガタッという音に俺の心臓は跳ねた。何の音だと見れば、居眠りしてた兵士の姿勢が横に傾き、その目も開いてた。眠りこけて身体がよろめいたようだ。そのせいで目が覚めた――
「……ふあ、やべえ、眠っちまった」
やばいのはこっちだ。廊下にはヘンリクがいる。俺は扉の隙間から戻れと手を振ったが、兵士が目を覚ましたことに動揺したのか、ヘンリクはキョロキョロしながら変な足踏みをするだけだった。駄目だ。終わった――俺は扉を静かに閉めて視界をさえぎった。
「あ? なっ、何だお前は! どこから入った!」
当然見つけた兵士がヘンリクに怒鳴る声がする。
「い、いや、俺は、怪しい者じゃないっすから……」
「何者だ、大人しくしろ!」
「お、大人しく帰るっすから……それじゃあ!」
「はっ、逃げるな! 誰か、不審者が侵入した! 来てくれ!」
二人の声と走り去る足音が部屋から離れて行く。逃げたヘンリクを兵士が追って行ったようだ。師匠として助けてやりたい気持ちはあるが、俺まで揃って捕まるわけにはいかない。この窮地は自分でどうにか切り抜けてもらって、俺は俺だけで目的を果たそう。
「……ここが、王妃の部屋、なのか?」
部屋の隅に置かれたランプが控え目な明かりで照らす部屋は薄暗く、全体ははっきりと見えないが、机やソファー、花の飾られた棚や壁にかかった絵画なんかは見える。ヘンリクがいれば、あれもこれも持ち帰ろうとか言い出しそうなぐらい、一流のものばっかりが置かれてる。これが王家の暮らしか。いいもんだね……。
いろいろ眺めながら奥にあると思われる寝室へ行く。この先に目的の王妃がいるはず。見れば奥もぼんやり明かりが照らしてる。さて、王妃はどんな寝顔をさらしてるのか――息を殺して俺は静かに奥の部屋へ入った。
薄暗い部屋の中央に大きなベッドはあった。天蓋の付いた、いかにも豪華なやつだ。薄い幕が引かれ、中の様子は見えにくい。だが柔らかそうな毛布にくるまる人影は何となく見える。あれが王妃なのか……?
俺は音を立てないよう慎重にベッドへ近付く。そして人影の寝息を確認してから、そっと薄い幕をめくった。そこに横たわる寝顔を見て、俺は一瞬自分の目を疑った。それはどう見ても七、八歳ぐらいの少女だった。
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