残された花はかぐわしい
柏木椎菜
一話
俺は溜息を吐きながら、ぼんやりと店内の賑わいを眺めてた。酒を飲んで、饒舌に話して、笑って、楽しむ老若男女の光景があちこちに見える。その大体は顔見知りの同業者だ。俺の職業……と言っていいのか、世間は絶対に認めちゃくれないが、いわゆる盗賊ってやつで、人様から金品を盗んで暮らす、公には言えない生き方をしてる。そしてこの店はそういうやつらが集まる店で、夕方から早朝にかけて賑わい、酒を飲んだり休憩したり情報交換する場になってる。でもお互いの素性を探るのは暗黙の了解で禁じられ、会話や交流はあくまで盗賊としての仕事上のものに限られてる。街の衛兵に手配されてるやつでも、ここじゃ誰も深く突っ込んだり突き出したりしない。だから盗み稼業をしてるやつにとってはこの店ほど居心地のいい場所はない。もちろん俺にとっても。
半分まで飲んだエールに口を付けようとした時、テーブル席を縫うように慌ただしくやって来る姿を見て、俺はコップを持つ手を止めた。
「師匠! 今あっちで面白い話聞いてきたんすけど」
そこそこ飲んでるのか、赤ら顔で笑顔を浮かべ、大声で話しかけてくるヘンリクを俺はいちべつしてからエールを一口飲んだ。
「……そんな大声出すな」
「あ、ちょっと大きかったっすか? すみません。でもこれが地声なんで」
謝りながらもヘラヘラ笑うヘンリクの言葉を俺は聞き流す。声がでかくなるのを注意するのはいつものことだ。それでも思わず注意してしまうが、この先も多分直ることはないだろう。
こいつはヘンリク・エスコラ。二十一歳の同業者で、俺の弟子ということになってる。俺はそんな気はまったくなかったんだが、今から二年ほど前、俺の仕事の武勇伝を聞いたとかで、いきなりやって来ると弟子にしてくれと言って来た。ガキの面倒なんか見たくないし、当然断って追い返したが、行く先行く先に現れてはでかい声で頼まれて、そのあまりのしつこさに最終的にはこっちが折れるしかなかった。それから俺は師匠と呼ばれるようになってしまった。やめろと言っても師匠だから師匠と呼ぶと言ってヘンリクは頑なに拒んだ。こいつの鉄のような意思は簡単に曲がらないと身をもって知ってるから、もうほっとくしかなかった。厄介なやつに懐かれたもんだと思ったが、自ら弟子にしてくれと言っただけあり、俺の盗みの技術を学ぼうとする姿勢は真摯で、なかなか向上心に溢れたやつでもあり、今じゃ俺の見る目も変わってきた。経験が少ない分、まだ素人臭さが抜けないが、師匠と慕ってくれる間はできるだけ技術を教えてやりたいと思ってる。
「あれ? 師匠、今日は酒の進みが遅くないっすか? 顔も暗いし……体調でも悪いんすか?」
「どこも悪くない。……あのなあ、俺だって静かに飲んで、考え事ぐらいする時もあるんだよ」
「考え事? 何か悩みでもあるんすか?」
「まあ、いろいろとな」
「何すか? よかったら俺が相談に乗りますよ!」
ヘンリクは前のめりになると興味津々な笑顔で言ってくる。こいつのいいところは明るい性格だけど、それが時々イラッとさせる場合もある。でもまあ、基本的にはいいやつなんだが。
「お前に相談する類のもんじゃない」
「言ってみないとわかんないっすよ。話してみて――」
「俺のことはいいから。それより、何か面白い話があるんじゃないのか?」
「え? あっ、そうそう! 聞いてくれますか?」
「ああ、暇だから聞いてやるよ」
そう言うとヘンリクはニコニコして俺の向かいの席に座った。
「ところで師匠は、この話、知ってますか?」
「どんな?」
「最近、王妃の姿を誰も見てないっていう話っす。巷じゃ結構言われてるんすけど」
「王妃って、ラーデン城にいる王妃のことか?」
「はい。見てないどころか、話にも聞かなくないっすか?」
前妃を亡くした国王に数年前見初められて、その時は国中を挙げて盛大に祝われてた。名前はヴィルヘルミナ・ウルリカ・ショーデルグラン……だったか。小貴族の出で、城に来た時は二十代になったばかりと若く、王家も民も世継ぎが生まれることを期待してた雰囲気があった。そんな当初は王妃も精力的に公務をこなし、街への視察や慰問なんかで姿を見せてたが、言われてみればここ最近はまったく姿を見ないし、話に聞くこともない。期待されてる世継ぎができたって知らせもないし、王妃の存在は大分薄くなってる。
「そうだな……で、それが?」
「何か、気にならないっすか?」
「王家のことなんて、別に気にならないよ」
そう言うとヘンリクはわざとらしく溜息を吐いた。
「師匠、もうちょっといろんなことに興味持ったほうが人生楽しいっすよ?」
「余計なお世話だ。俺は必要と思ったことだけに首突っ込んできたから今ここにいられるんだよ」
「つれないなあ。そんなこと言わずに。巷は現れない王妃の噂で盛り上がってるんすから」
「噂話なんて、蓋を開けりゃつまんない真実が正体なんだよ」
「じゃあ師匠は何で王妃が現れなくなったと思うんすか?」
「うーん……身ごもったか、病気だろ」
「身ごもってれば城から発表されるはずっすよ」
「なら病気だ」
「病気説は噂の中でも最有力っすけど、そうなると数ヶ月もかかってる病気ってことで、俺は怪しいと思ってるんすけどね」
「重病ならそれぐらいかかってもおかしくないだろ」
「その場合だと、城の内外がもうちょっと騒がしくなってもいいと思うんすけど、特に変化はなさそうなんすよ」
「王妃が重病なんて隠したいことなんじゃないか?」
「それ! それなんすよ師匠。病気かどうかはともかく、城は王妃の何かを隠したがってるんじゃないかって、巷はいろんな推測をしてるんす」
「推測? たとえば?」
「国王と喧嘩して家出してるとか」
俺は思わず鼻で笑ってしまった。
「はんっ、くだらない」
「贅沢のし過ぎで太って、外へ着て行くドレスがないからとか」
「想像力豊かな話だ」
「あとは、もうすでにこの世にはいないとか」
「どれもガキ並の発想だな」
「そうかもしれないっすけど、皆でこうして言い合ってるのが楽しいんじゃないすか。師匠も何か推測して――」
「そんなのやるか。……お前が聞かせたかった面白い話ってのは、これか? だったら大して面白くもなかったぞ」
俺がエールを飲み出すとヘンリクは慌てて言う。
「ち、違うんすよ! 本題はここからなんすって」
「だったら早く話せ。つまんない話聞いてると眠くなっちまう」
俺はコップを置いてヘンリクを見やる。
「まだ寝ないでくださいよ。……向こうでこの話をしてたら、皆どんどん盛り上がってきちゃって、それで噂を確かめるのはどうかって話になったんす」
「確かめる? ってどうやって」
「王妃を直接見に行くんす」
能天気な笑顔を見せるヘンリクを、俺は唖然と見返した。
「……お前、そこまで馬鹿だったか?」
「馬鹿じゃないっす! いや、師匠に比べれば馬鹿かもしれないっすけど、でも真剣に言ってるんすよ」
「真剣なやつがそんなこと言うわけないだろ。直接見に行くって、馬鹿しか言わないことだぞ」
「師匠の言いたいことはわかってるっす。警備されたラーデン城に忍び込むなんて無謀だって言いたいんすよね?」
「無謀どころか、お前なんかじゃ不可能だ。一歩入ったところで斬り殺されるぞ。それだけ至るところに兵士がいるんだ」
「そんなことぐらい俺だってわかってるっす。国王の住む城なんだから、警備はものすごいんだろうなって。でも師匠は昔、そんなすごいところに忍び込んだじゃないっすか」
「はあ?」
「自分の力を示すために、独り城へ忍び込み、国王愛用の銀のゴブレットを持ち帰ったって。俺はこの武勇伝を聞いて師匠の弟子になることを決めたんすから!」
鼻息荒く話すヘンリクに、俺は頭を抱えたくなった。聞いた武勇伝って、これだったのか。
「師匠は忍び込むだけじゃなく、盗みまで成功させたんす。だから不可能とは――」
「待て待て。何か、いろいろと聞き違いもあるみたいだが……」
「聞き違い? 一体何がっすか? 師匠は城へ入ったんすよね?」
「ああ、若い時、確かに城へ忍び込んだ。あの頃はまだ怖いもの知らずで、盗賊として名を上げてやろうって息巻いてた時期だった」
「へえ、いつも冷静な師匠も、そんな時があったんすね」
「今思うとかなり無茶なことを考えたと思う。成功すれば確かに名は上がるが、失敗すれば命を失いかねない。人生の懸かったものすごい賭けだった」
「それに師匠は勝ったんすから、やっぱすごいっすよ!」
尊敬の眼差しを向けてくるヘンリクに、俺は苦笑いを返した。
「まあ、そうなんだが……あれはただ単に運がよかっただけだ」
「運に恵まれるのも実力のうちっすよ。だけど大勢の兵士の目をかいくぐって忍び込める技術を、もう若い時から習得して――」
「いや、違うんだ。あの時、城の兵士は数えるほどしかいなかったんだ」
「……え? でも城の警備でそんなわけ――」
「成功した後で知ったことなんだが、忍び込んだ日、城内では食中毒が起きてたらしくてな……」
「へ? 食中毒?」
「朝食だか昼食を食べた兵士達が一斉に腹痛を起こして、警備に立つはずだった兵士の半数が寝込んでたんだと。そんなことを知らない俺は偶然にもその夜に忍び込みを決行したんだ」
ヘンリクは口を開けて俺を唖然と見つめる。
「それ、本当なんすか?」
「お前に嘘の話なんかするか。いつもより数が少なかったおかげで、俺は成功して名を上げることができたんだ。ちなみに証拠として盗んだのは、ゴブレットじゃなく城内の廊下に飾られてた小さな銅像だ。……どうだ? これが武勇伝の真実だ。幻滅したか?」
答えに困るような微妙な表情を浮かべつつヘンリクは口を開く。
「……いや、幻滅なんてしてないっす。食中毒のおかげだったとしても、師匠が成功したことは変わりないんすから。そもそも城へ忍び込もうって思うこと自体がすごいし、運を味方にしてそれをやってのけた師匠は、尊敬に値する人っす。……だけど、師匠の話と俺が聞いた話は、どうしてここまで変わったんすかね?」
「自慢して聞かせた仲間はいい加減なやつばっかだったからな。適当に話した話が適当に伝わって、どんどん脚色されてったんだろうよ。……これでわかっただろ? 俺が忍び込めたのはまぐれなんだ。二度も同じ幸運はない」
「でも、兵士はまったくいなかったわけじゃないんすよね? ある程度警備の目がある中を師匠は忍び込んだわけで、その隠れて進める道を知ってるわけっすよね?」
「ん? それを教えろっていうのか? 教えたところでお前じゃまだ――」
「俺じゃ難しいのは自覚してるっす。だから経験者である師匠だけが頼りなんす」
ヘンリクの言葉に俺は首をかしげた。何を言ってるんだ、こいつは。
「俺が頼りって、行くのはお前だろ」
そう言うと、ヘンリクは急にかしこまって俺を見た。
「それなんすけど……師匠、俺と一緒に行ってくれないっすか」
「……断る」
「へ、返事が早過ぎるっすよ! もうちょっと俺の話を――」
「何で俺がくだらない噂のために命を懸けなきゃならないんだよ!」
「確かにそうっすけど――」
「そんなことに俺の人生を巻き込むな。俺にはのんびり余生を過ごす計画があるんだから」
「余生って、まだまだ先のことじゃないっすか。随分とジジ臭いこと言うんすね」
「ジジ臭くて悪かったな。でも俺は真剣に考えてるんだよ。そろそろ引退しようかってな」
これにヘンリクの表情から笑みが消えた。
「本気、なんすか? もしかして、さっき言ってた考え事って、これのことっすか?」
「ああ。三十になって、明らかに体力の衰えを感じるんだ。若い時ほどの動きもできないし、逃げ足も遅くなった。これは盗賊としては致命的だ」
「三十過ぎてる盗賊なんてそこら中にいるじゃないすか」
「なあ、へまをしやすい盗賊の年齢ってわかるか? 一つは経験がなく、視野も狭い十代。もう一つは自信を持ち過ぎて自分の衰えを認められない四十前後だ」
「それじゃ三十代は違うじゃないすか」
「へまは少ないが、確実に体力が衰え始める年代ではある。そして俺はそれを自覚してるんだ。ジジイになってみっともなく捕まるより、スパッと潔く引退して、地味でも静かに暮らしたほうが幸せってもんだろ」
「引退したとしても、師匠の余生はまだ四、五十年もあるんすよ? それを支えるために金はどうしたって必要っすよね? 聞いてください! 王妃を無事確認できれば、皆から金が貰えるんすよ!」
「金?」
「はい! この話に乗ったやつで、一番最初に確認できた人間が、皆が出した金を総取りできるんすよ」
「なるほど。お前の目当てはそれなのか」
「当たり前じゃないっすか。噂が気になるだけで城に忍び込もうとなんてしないっすよ。もちろん、成功したら金は師匠と山分けするっす。だから一緒に――」
「どれだけ高額な金かは知らないが、悪いな。俺はもう十分暮らせるだけの金を溜めてんだ。派手な散財でもしない限り、四、五十年は余裕で暮らせる」
「ええ? いつの間に? そ、そんなこと俺、聞いてないっすけど」
「わざわざお前に言うことじゃないから当然だ。十分な財産があるのに、あえて危険に飛び込む理由なんて俺にはない。他を当たってくれ」
残りのエールを飲み干そうとコップを口に近付けた時、その手をヘンリクがガシッとつかんできた。
「師匠! 冷たいこと言わないでください!」
「別に冷たくしてるわけじゃない。俺にだって人生の計画が――」
「俺、金欠なんす! 金が欲しいんす!」
「じゃあ地道に盗んで仕事すりゃいいだろ」
「ガッポリ稼げる上に名を上げられるのって、盗賊の夢で理想じゃないっすか!」
「まあ、そうかもな」
「それができるかもしれないんすよ! 師匠の力があれば!」
「お前は自分一人でやろうっていう気はないのか?」
「俺は自分のことわかってるんす。でなきゃ師匠にこんなこと頼まないっす。……師匠も名を上げたとは言え、警備が手薄中に忍び込んだことに満足してるんすか?」
「……何?」
「昔の師匠は名を上げるために城へ忍び込んで、見事成功させたっすけど、実際は運がよかった偶然の出来だったんすよね? 仲間は認めてくれたかもしれないっすけど、師匠自身はそれでよかったんすか? 自分の力を示せたって胸を張れるんすか?」
俺はヘンリクを睨んだ。弟子の分際で――と怒りが込み上げそうになったが、こんな感情を抱くってことは、きっと図星なんだろう。
「本当に引退する気なら、その最後に胸を張れることしましょうよ! 一度じゃなく二度も城へ忍び込んだ盗賊だって、師匠の名を残しましょうよ! 俺はその弟子だって皆に自慢したいっす!」
真剣に、目を輝かせてヘンリクは言う。これは俺にやる気を起こさせるための挑発だとわかってるが、胸を張れるのか――この言葉は俺の心にグサリと刺さった。成功後に食中毒があったと知ってから、俺は正直がっかりした。強い相手に勝ったと思ったら、実は手加減されてたみたいな、そんな気持ちにさせられた。厳重な警備をかいくぐってこそ実力を示せるのに、それができなかったことは時間が経った今でも心に引っかかってはいた。でも今さらどうすることもできず忘れるつもりでいたが、まさか同業者の若造に指摘されるとはな……。
「師匠、俺と一緒に行ってくださいっす! 行って、今度こそ本物の力を見せ付けるんす!」
力強く言ってくるヘンリクを俺はじっと睨み付けた。
「……生意気言うなよ、青二才が」
これに怯んだ様子のヘンリクだったが、俺はすぐに表情を緩めた。
「だが、青二才の言葉にも一理ある。確かに俺は不完全燃焼だった。その生焼けの気持ちを長いこと手放せずにいた。このまま引退したら、心にはハエがたかって臭いままだったかもな……」
「じ、じゃあ、師匠、一緒に行って……」
俺は軽く頷く。
「ああ。最後に力試しをしてみるのも面白いかもな」
「あっ、ありがとうございます! やったー! 師匠がいれば金は手に入ったも同然っすよ!」
気が早いことを言いながら両手を上げて喜ぶヘンリクを横目に、俺はエールを一気に飲み干す。体力の衰えに最近は気持ちが沈みがちだったが、そんな俺にもまだ盗賊としての意地が残ってたようだ。まあ、上手く乗せられた気もしないでもないが、引退の花道を飾るには打って付けの話だ。弟子と一緒に頑張ってみるとするか。
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