第4話 成長か覚醒か

 およそ一週間。


 寝る時間と食べる時間を惜しんで、書物を読みふけったのは人生初めてだった。

 なぜそんなことが出来たのかは、簡単に説明することができる。楽しくて仕方がなかったのだ。

 これが適性ってやつの一部なのかは知らないが、奇跡に関する書物はそのどれもがめちゃくちゃ楽しかった。

 前世で漫画や大好きなゲーム、それこそ『オデッセイの秘宝』をプレイした時くらい無我夢中だった。

 新しい知識が欲しくて、その欲求が強くてあっという間に時間は過ぎた。

 なんともいえぬ、幸せな時間だったなと振り返る。

 ゴードンが時々食事の差し入れをしてくれていなかったら、栄養失調で倒れていたかもしれない。


 そのかいもあって、一週間で基礎くらいの知識は身に付いた気がする。


 奇跡、とは。

 結論から述べよう。奇跡とは、その名の通り、物理法則も魔法法則をも無視した奇跡の癒しの力であった。


 深くは解明されておらず、ひたすらに才能と適性がある者がもの言うジャンルだと考えられている。その力を伸ばすには、信仰の力が必要になる。


 魔法との大きな違いは、奇跡は物理法則に反するが、魔法は物理法則に反しないところが一番違うだろう。

 例えば炎魔法を使うとき、辺りの酸素は失われ、焼かれたものは灰となるし、二酸化炭素も大量に排出される。これは俺の前世の知識を加えて解釈した事実であり、この世界ではまだ原子の発見には至っていない。


 一方、奇跡の力は物理法則を完全に無視する。失われた肉も、血液、骨に至るものまで完全に再生することができる。代償は必要ない。ただ、再生するのだ。


 前世の知識で言うと、魔法は錬金術、奇跡の力こそが魔法っぽいなと感じた。


 つまり、俺はチートみたいな奇跡の力に、チートみたいな適性を持った、チートみたいな実家に生まれた、チートみたいな美少年なのだ。


 ただ一つ、過去に死ぬほど悪行三昧して来た以外は完璧である。

 んー、なんで悪役という業を背負っているんだろうな。本当に。


 ミクリアたんを救うため、俺の修行の日々は止まることはない。

 実家から課せられた厳しい勉学や剣の修行まで全てこなしたあと、俺は祈る時間を増やした。

 静かなるときの中、自室にて奇跡の力に祈りをささげる。おかしな光景だが、これが一番の上達なのだから仕方がない。


 これはおよそ数か月も続けた。

 気づけば、俺は奇跡の力が芽生え始めていた。


「なあ! ちょっといいか!」


 俺が元気一杯に声を出しながら厨房へと行くと、使用人たちがギョッとして、体を硬直させていた。

 ナイトメア家の人間、しかも歴代最高かもしれないカスの俺が姿を突如現したのだ。

 驚かれるのは仕方ないかもしれない。


 各々、言葉には出さないが、ここのところ大人しかった俺がまた騒ぎ出して、嫌な予感がしているのだろう。カスがまた動き出したぞ、と。


「誰か、怪我している人間はいないか?」


 皆顔を伏せている。傷を抉られる、とでも考えているのかもしれない。

 これは、協力を仰ぐのは難しいかもしれない。


 一旦引き返して、俺はアンテナを張っておくことにした。

 その日のうちに、厨房で物音がするたびに顔を出す。

 そして、日暮れ時、とうとう見つけた。


「あっ! 皿を割ったな!」

 すぐさまかけていく。

 長年我が家の屋敷で働いてくれている女性の指先が切れているのが見えた。


「すみません! 坊ちゃん。皿なら給金から勉強しますので、どうか。どうか懲罰だけはご勘弁を!」

 必死な様子で、地面に膝をついて、頭を地面に擦り始めた。

 これは……普通に土下座だ。

 たかが、皿一枚割っただけで、なんて謝りようだ。


 それほどまでに恐れられているとは。俺は彼らにあまり危害を加えた記憶がないのだが、おそらく悪評が大きくなりすぎてとんでもない悪役像が出来上がっているに違いない。


「どうか顔をあげてくれ。そんなことで怒りはしないし、弁償もしなくていい。皿はいつかは割れるものだ」

 俺の言葉に、当事者だけでなく、全員がポカーンとしていた。

 なんだ、その顔は。当たり前のことを言っただけなんだが?


 感動で泣き出しそうになりながら、それとも安心の涙か?

 女性は顔をおこした。


「名前は?」

「私はスルンです。18からナイトメア家にて働いており、今年で8年目です」

「8年もいたのに、名前を覚えていなくてすまない。スルン、いつもありがとう」

 ニコッと笑いかけておいた。これから奇跡の力の実験台にさせて貰うから、まずは心を開かせないと。


 幸い、レイヴンは見た目だけはいい。その中性的な容姿は、特にこの年頃の女性にはぶっささること間違いなし。


「わあ……きれー……」

「よかった。俺のこと、誤解が少し解けたみたいだ」

 誤解じゃないんだけどね。これまでのことは。でもここは悪評だけなので、一旦なかったことにさせて貰おう。


「手を出してくれる? 傷を見てみたいんだ」

 やはり心を開いたのだろう、スルンは手を差し出した。


 手の指先は、割れた皿の破片によって切られており、今も血が流れていた。

「あっ」

 手を見ていると、他にもあかぎれしている個所や、傷んでいそうなところが見かけられた。


「仕事はきついか?」

「いっいえ」

「正直に言っていい」

「……少しだけ」

「人を増やしたら少し楽になるか?」

「……おそらく」

 よし、父上に掛け合ってみるか。

 我が家は死ぬほど金があるからな、人を増やすなんて簡単なことだ。


 魔法があるとはいえ、家事ってどこの時代や世界でも大変みたいだ。


「今から奇跡の力を使う。少し目を閉じてて」

 スルンが目を閉じたのを見届けて、奇跡の力を行使する。


『この者の傷を全て癒せ』


 まばゆい光が厨房内にあふれる。

 光がスルンの手に集まっていき、みるみると傷やあかぎれを治していく。


「ふう、うまく行ったみたいだ」

「……あの、なんだか肌の調子も良い気がします」

 ついでに、なんだか肌の調子も良さそうだ。

 なんだその効果は!?


 知らない効果まで出ていないか!?


 けれど、観察してみると確かにその通りだった。肌がモチモチとしており、みずみずしい。庶民の肌とは思えない手入れされた感じがする。母上の風呂上りくらい瑞々しいぞ。


「うおっ! なんだ?」

 スルンに集中していたから気づくのが遅れたが、どうやら行列ができ始めていた。主に女性陣で作られた行列は、全員が目を輝かせていた。

 憧れの視線にも見えるが、猛獣が餌を見つけたときの視線にも見えた。


「ぷっ。全員やるから、仕事をしながら待っててくれ。男性陣も、何か持病があったら言ってくれ。診てみたい」

 俺の奇跡の力がどれほどまで通用するのか、試してみたいものだ。


 俺を恐れていたのが嘘みたいに、今は皆俺のことを待ち望んでいる。

 まだまだ背負った悪行の重荷は下ろせていないが、とりあえず厨房内は俺の味方が増えたかもしれない。


 夜遅くまでみんなのことを診ていたら、疲れ切ってしまった。

 しかし、俺の奇跡の力は今のところ限度を知らず、10年来の腰痛も見事に治して見せた。

 仕事が死ぬほど捗るみたいで、夕ご飯は随分とうまかった。

 俺が良く動き、お腹が空いていただけかもしれないけれど。


 その晩、ゴードンが自室にやってきた。

 また書物を読み漁っている俺に、ゴードンが進言する。


「そろそろ王都から奇跡の使い手を呼び寄せてもいいかもしれません」

 彼曰く、一人での勉強では限界があると。他人と関わって、それが上級車であればある程、俺の成長に繋がるだろうということらしい。


 最初はあまり乗り気ではなかったゴードンだが、今は随分と俺の背中を押してくれる。

 レイヴン・ナイトメア、つまり俺は少しずつ周りからの信頼を得られているようだった。

 何もかも順調に言っているように思えたが、次の言葉で俺とゴードンが重たい空気になる。


「それと、夕食時に速達便で手紙が届いておりました。ヴァーレリア侯爵令嬢が明日、我が屋にやってきます」

「うっ!」

「最近のレイヴン様はまるで別人のようです。しかし、過去からは逃れられませんよ」

 その言葉が重くのしかかる。

 ゴードンは俺が何をやってきたか知っている人物だ。


 特に、ヴァーレリア家の御令嬢にしたことは、あまりにもひどい仕打ち。

 なんで今更また会いに来たのか。どんな顔して謝罪すればいいのか……。














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