第5話 嵐の予感

転生以来、次の日が待ち遠しい日々ばかりだったのに、俺は今日の朝が怖かった。


そう、今日はライラ・ヴァーレリア侯爵令嬢と会う日なのだ。

彼女は、俺の“元”婚約者である。


ヴァーレリア侯爵家は、何年も傑物が出ておらず、領地の飢饉なども重なって非常にまずい立場にある。

侯爵家の沽券にも関わるので、外部にあまり情報を漏らしていないが、我が家はその件に関してかなり詳しい。


だって、元婚約者だったからね。


貴族の中でも有名なカス一家である我が家は、天に愛されているのか金だけはある。ヴァーレリア侯爵家への金銭的援助をチラつかせて、ライラ嬢との婚約を勝ち取ってきたのだ。建国に協力した名誉ある家系のヴァーレリア侯爵家の血筋が我が家に入るのだ。

父上はしてやったりと喜んでいた。


しかし、両家の思惑も全ては無に帰す。

ライラはきっとレイヴンのことなど好きではなかっただろう。だが、実家のため、領民のために全てを飲み込んで婚約者になる道を選んだ。


それだというのに、半年前に事件が起きる。


『こんなやつと結婚したくない。婚約破棄するから、もう二度と来るな』


レイヴンが放った言葉だった。

もともとこの婚約の主導権はナイトメア家にあったこともあり、話はとんとん拍子に進み、本当に破談となってしまったのだ。


ああ、おそろしい。なんて恐ろしい話だ。

婚約破棄はざまぁへと続く黄金ロードだというのに!


そもそも、ライラ嬢は婚約破棄されるようなお人ではない。

見た目の美しさはもちろん、幼少期より叩き込まれたであろう貴族教育の行き届いた身から出る美しさ。

12歳とは思えない大人びた性格と、頭脳も持ち合わせる。


では、なぜレイヴンは彼女を嫌ったのか。それは単に、カス行動を何度も注意されたからだ。カス行動が出来なくなり、レイヴンはライラを鬱陶しいと感じて、半年前に婚約破棄を言い渡した。

どこまでもカスだ。レイヴンよ……。


ゲーム内では、おそらくこの婚約破棄された件があったからだろう。実家での立場も悪くなり、衰退する領地の件もあり、相当に幼い彼女の心を蝕んだに違いない。


彼女はゲーム内で『ポイズンローズ』の異名を持つキャラへと変貌を遂げている。

美しく、気高く、しかし心の底が冷えている。誰にでも笑顔を振りまくが、誰にも心を許さない。

ストーリーを進める段階で彼女の協力が必要になるのだが、助力を願いに行くと出るわ出るわ。大阪のおばちゃんの飴ちゃんよりも凄まじいペースで出てくる言の葉の毒が吐かれる。

その毒々しい言葉に、一体何人のプレイヤーが心を痛めたことだろう。ゲームパッドを置いて、去った者もいるかもしれない。


そんな彼女は、ヒロインキャラに嫌がらせをする悪役でもある。つまりはレイヴンと同じ、嫌われ者。


まさか、その原点をつくったのが、レイヴンだったとは。

ゲーム内で語られていない真実を、俺はレイヴンの人生を通して知ってしまった。


予告通り、ライラ・ヴァーレリア侯爵令嬢は我が家にやってきた。

今さらなんの用事があるのだろう。うつぶせになって謝る最高土下座の準備はできているぞ。恥ずかしいのでやりたくはないが、最悪やる覚悟はある。


久々に会ったライラは、目を充血させて、強い視線でこちらを見つめていた。

おそらく、直前まで泣いていたのだろう。何を思って泣いたのかは分からない。心当たりがありすぎるからだ。綺麗に整えたであろう髪も、少し乱れていた。


そんな彼女を見て、俺はこう思った。


……めっちゃ可愛くね?


記憶の中にいるライラも凄く綺麗だったが、こうして直に見ると12歳で既にこの美しさかと驚かされる。

長く伸びた髪の毛は腰辺りまで届いており、一本一本最上級の糸で作られたような綺麗な髪の毛だった。赤く充血した目は、顔のスペースの大半を占領するほど大きく吸い込まれそうな魅力がある。真っすぐな鼻筋は彼女のセンスの良さをうかがわせ、小さな唇は控えめな性格が見て取れた。完璧なバランスだ。なんて……。


「レイヴン・ナイトメア……!」

「……綺麗だ」

あっ。思わず言葉が漏れていた。なんてことを。


「……今、なんとおっしゃいました?」

「いや、何も」

大慌てで否定する。何も言っていないが? なにか?


「私のことを見て、綺麗だとおっしゃいました」

「……ぐっ」

ちゃんと聞かれていた。はずかちい!


「……私が今日ここに来たのには理由があります。あなたからの婚約破棄を撤回して欲しいのです。私は婚約することでしか、ヴァーレリア侯爵家に貢献できないのです」

12歳の少女にここまで言わせるとは、俺が思っているよりも結構差し迫った状況なのかもしれないな。


「ナイトメア家の資金が必要なのです。……あなたのことを、あなたのことを愛します。もうあなたの行動に口出しもしません。体も心も捧げます。だから、どうか今一度機会を」

彼女が口を開けば開くほど、俺の胸は苦しくなる。

こんなかわいそうな状況を作っているのが俺だからだ。


ていうか、本来ならこうして頼みにきたライラをも、レイヴンのカスは突き返すのか?

人の心とかないんか!!


彼女の迫力に圧倒されかけたが、俺は自らの立場を伝える必要がある。


「君を美しいと思ったのは本当だ。そして、婚約破棄して迷惑をかけたことも申し訳ないと思っている。カスである俺を簡単には信じられないだろうけど、本当にそう思っている」

ライラは黙って聞いている。強い視線だけが俺に浴びせられる。


「婚約破棄は撤回する。君と婚約するし、父上が約束した援助も再開させる。必ずだ」

これは俺の名誉に誓って、実行させる。どうせ腐るほど金あるんだ。恩を売るために金を使いな!


「……本当ですの?」

ごくりと唾を飲み込む音がした。俺の変わりように、彼女の望んだとおりにことが進みすぎて、逆に警戒しているようだ。


「本当だ。だが、話はここで終わらない」

当然だと言わんばかりに、彼女は動揺しない。無茶な条件を言われるに違いないと思っているだろうとその顔には書いてあった。


「俺は君を愛する……」

はっ恥ずかしい! なんてことを言ってんだ。でも、伝えないと!


「君は綺麗だ。君を愛するし、君を守る。悲しい思いもさせないし、君の足りないものは全て俺が補う。でも、それでも……」

そう、あれだけは譲れないんだ。


「いつか君より優先する人が出てくる。その人を愛しているわけじゃない。でも、俺に課された使命なんだ。俺にしかできない。その人を守るためなら、君を後回しにだってする。今言えるのはそれだけだ。それでもいいなら、僕の手を取ってくれ」

手を差し伸べる。


ライラのことは、過去の罪滅ぼしも込めて大事にする。

けれど、俺はミクリアたんの為にこの生を得たのだ。そのためならば、ライラを後回しにすることだってある。


ミクリアたんとは結婚しない。てかあり得ないけど!

推しは推し。リアルはリアルなので。ちょっと、そこらへんの線引きはちゃんとできているオタクですよ、俺は。


でも線路上にミクリアたんとライラがいたら、俺はミクリアたんを救う気でいる。そのカス選択をする俺を、君はそれでもついてきてくれるのか?


ライラの返答は、無言で手を取ることで示された。

YESだ。彼女はカスであるレイヴンとの道を選んだ。


「……私を愛すると言いましたね。言葉だけでは足りません。行動で示してください」

目を充血させていた彼女が、今度は頬を赤く染めて、うつむいた。自分で言ってて、恥ずかしがってる!

「何をすれば?」

「みんなの前で愛してると言ってください」

んな、無茶な。


しかし、彼女の要望だ。今までさんざん彼女の心をぐちゃぐちゃにしてきた身としては、そのくらいはやってやるべきかと思った。

ゴードンを呼び寄せて、使用人を集める。

皆がそろったのを見て、俺は跪いて、ライラの手を取った。


「これまで迷惑をかけた分、いやそれよりもずっとずっと多く、君を愛すると誓う。ライラ・ヴァーレリア、俺と婚約してくれ」

「……はい、喜んで。では、みんなの前でキスもして下さい」

「調子に乗るな」

彼女の手を引いて抱き寄せた。

「きゃっ」

体制を崩した彼女をお姫様抱っこして、自室へと向かう。


「ゴードン。俺はまた修行に入る。二人分の軽食を頼む」

「はっ」

「ライラ、君にも俺の修行に付き合って貰う。いいね?」

「……はい」

彼女は小さく、嬉しそうに返事した。


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