かくいう私も猫である

佐倉真実

かくいう私も猫である



 我が輩は猫である。と先人、いや、先猫は言った。


 かく言う私も猫である。名前はまだない。



 この家に私がやってきたのはつい最近のことで、その前の記憶が残念ながら私にはない。


 思い出せないということは、重要ではないということだ。


 もしくは、私がただ、何日か前のことを覚えていられないくらい愚かか、あるいはただただ幼いせいかもしれない。



 まあ何にせよ私はこの家にやってきて、めでたく飼い猫となったわけだ。




「にゃあ」

「おいで、みりん」




 ああ、みりん、というのがどうやら私の名前らしい。やり直そう。


 かく言う私も猫である。名前はみりん、と言う。


 この家に私がやってきたのは--長くなるからここはやり直さなくていいか。



「にゃあ」


 おいで、と手を差し伸べられた私は素直にご主人の方へと近寄った。


 四つ這いで近づく私の頭を、ご主人は本当に愛おしいものに触れる手つきでそっと撫でた。


 ご主人はソファに座っていて、私が膝の上に顔を乗せるとにっこりと微笑んだ。


 それから、


「おいで」


 ともう一度言って、ご主人の座っているソファの隣の席を掌でポンポンと叩いた。



 綺麗に切りそろえられた爪が、丁寧にヤスリにかけられてまあるくなっている。



 伸びたままで尖っている私の爪とは、まるで違うもののようだった。



 こんなに似ているのに。


 ご主人の方がもちろん、どこもかしこも大きいけれど。


 私は難なくソファに乗ると、ご主人の隣に座った。



 顔の距離が近くなったご主人が、やはり柔らかな笑顔を浮かべて私の頭を撫でた。




「にゃあ」

「ぱぱは今からお仕事に行くけど、ひとりでお留守番できるかい? みりん」

「にゃあ」

「ふふ、いい子だね」

「にゃあ」




 ご主人はポンポン、と私の頭を二度ほど撫でられて、それから読んでいた新聞を畳んだ。




「お利口にしているんだよ」



 部屋の外に行こうとするご主人を追う。




 どこに行ってしまうというのか。


 私をこんなところにひとり置いて、どこへ行こうというのか。





「にゃあ、にゃあ」

「じゃあ、行ってくるよ」

「にゃあ」




 ご主人は、少しだけ困ったような表情を浮かべて、部屋を出ていった。







***







「あなた、あの子の様子は?」

「……変わりないよ」

「じゃあ、やっぱりまだ……」

「ああ」



 男性は、今出てきた部屋の扉を見つめる。

 扉の向こうから、


「にゃあ、にゃあ」


 と鳴く女の子の声が聞こえた。




「あの子はまだ、自分のことを「みりん」という猫だと思ってる」






 私は猫である。



「にゃあ」



 名前は--はて、何だったかな。

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