第10話 智将篠原長房2

 長房は堺にもまた単独で訪れた。長逸ながやすは護衛を付けると申し出たが、長房はそれを断った。護衛と言いながら、実際は堺を探る密偵の役割を担わせるのであろうということは想像に難くない。そんな者を連れて、久秀への誠意を欠いては、その心を翻意させられないと長房は考えていた。

 久秀は長房の到来を知ると、すぐに堺の街中、自分のところへと通した。

「このたび我が主三好長治様が義継様にお味方し、貴殿を攻めることを決定なされた。松永殿の智謀の優れていること、多聞山たもんやま城が天下の名城であることは隠れもない事実。だが我ら四国勢が加われば、さすがに抗う術はない」

 長房が言うと、久秀は天井を仰いだ。これは長房の見ていたとおり、久秀にとって実に痛い報せであった。

 三好実休じっきゅうの遺児長治がどのような人物かはわからない。だが篠原長房の力はよく知っている。そして長房の力をよく知るのは三好家の者だけではない。筒井順慶じゅんけいもまたその一人であった。

 足利義輝暗殺の後、順慶がどちらつかずの姿勢を示したのは、三人衆と久秀のどちらが勝つかを見極めようとしていたからだ。しかし三好家で一番の名将である篠原長房が三人衆に付くとなれば、その迷いはなくなり、彼もまた三人衆に付くだろう。

 そこまで計算を終えた久秀は、視線を床に落とした。長房の言葉を暗に認めたのだ。

「松永殿ほどのお方を討つのは忍びない。どうか降伏していただきたい。私の方から義継様におとりなし致そう。また共に三好家のために戦おうではないか」

 長房はそれを言いたいがために、長治と義継の許可をもらって、説得に来たのだ。だが久秀の心はすでに決まっていた。

「残念だが。私は修理大夫しゅりだいぶ様という最高の主を知ってしまったのだ。修理大夫様に匹敵するような、そんな人物にしかもうお仕えしたくはない。義継様は到底その器ではない」

 久秀の言葉を聞いた長房は大きくため息を漏らした。

「そうか。ならばもはやとやかく言うまい。こうなった以上は敵同士。加減はせぬが恨まないでほしい」

「もちろんだとも」

 久秀は長房の肩を叩いて言った。

「正直なところ、私は松永殿のことを羨ましく思う。実休様に比べて長治様の器が大きく落ちる、と思うところはある。だが私は実休様のお命と引き換えに生き残ってしまった。長治様をお守りせねばならぬ。我が生涯最期の主は実休様。そう言いたかった」

 長房はそう言って立ち去って行った。彼を見送った後、久秀は天を仰いだ。

「堺は捨てねばならぬか」

 久秀が本拠を構える河内・大和は海に面していない。そのため水軍を持たない。だが阿波の三好軍は畿内の三好宗家を援護するために強力な水軍を擁している。彼らを相手にするのに、海に面している堺に滞在するのは自殺行為である。

 堺を取ることが、三人衆を相手取るための生命線。そう思って堺に来たというのに、篠原長房が参戦するという事実を告げられただけで放棄を決定することとなった。戦の流れは確かに変わった。

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