第8話 永禄の変4
「公方様は三好家を嫌い、恐れておられました。また
そう諫めた久秀の言葉、それが義継にとって逆鱗であったのか、義継の顔が見る見るうちに紅潮する。
「修理大夫様、修理大夫様とやかましい! 伯父上がなんでもかでも正しいとでも言うのか!」
怒鳴りつけ、久秀を睨みつけてくる義継。実に稚拙な恫喝であった。驚きよりも怒りよりも、呆れが久秀の心に広がる。
その時、数人の男たちがどかどかと部屋に入ってきた。
「父上……」
そのうちの一人が驚いて声を挙げる。息子の久通であった。共にいるのは三好三人衆である。その筆頭三好
「弾正殿。困ったことをしてくれましたな」
長逸は久秀に向かって一言言うと、義継に頭を下げる。
「申し訳ございませぬ。この三好長逸、
長逸の話を聞いて久秀はほくそ笑む。
久秀が興福寺に向けた軍勢は三百である。この三百が興福寺に向かえば、必ず筒井
事実順慶は五百の軍勢を出した。
長逸はその両方を見て、千人近い大軍が覚慶を護衛していると誤認したのだ。久秀の計画した通りであった。
「久秀! これは余に対する謀叛ぞ」
怒りに
「
「黙れ。余は伯父上を超えるのだ! 伯父上の為せなかったことを余がやってみせる」
「殿が修理大夫様を超える?」
義継の気迫に異様なものを感じる久秀。すると長逸がふふっと笑い声を漏らした。
「殿にはこの私の方から、公方様を討つようお勧め申し上げたのだ。修理大夫様にもできなかったことを成し遂げ、修理大夫様を超えられませと」
「ではこのたびのことはそなたの口車か」
「口車とは人聞きの悪い。弾正殿もよく考えた方がいい。もはや修理大夫様の天下は終わったのだ。次の天下人について考えられよ」
長逸が言うと、義継は誇らしげに肩をいからせる。
「だが公方様を討ったとなれば殿は天下人の地位を保てぬぞ?」
久秀が言うと、長逸は肩をすくめる。そして久秀に近づき、耳元でささやいた。
「少し違うな。次の天下人はこの三好長逸よ」
「貴様……」
久秀が驚いて長逸と義継を見比べる。義継には今の言葉は聞こえていないようだ。長逸は義継の方に向き直ると、今思い出したかのように言う。
「そうそう。公方様を討つ折、殿の旗印はきちんと掲げておきました。これで誰もがあの場に殿がいたと思うておるはず。殿が修理大夫様を超えられたと皆が知ることになりましょう」
「そうか。ご苦労であったな。久秀、そなたも長逸やそなたの息子のように、忠義とは何かを知るべきだな」
義継は満足げに言う。
つまり長逸は、将軍弑逆の罪を義継に押し付けるつもりだったのだ。義継の評判を下げ、三好家の家督をやがて奪うつもりなのだろう。
利用されているとも知らず、義継は能天気に長逸を称え、久秀をこき下ろす。もはや付き合い切れぬ。このような矮小な人物があの英雄三好長慶の後継者などであってたまるものか。
「
久秀は決然と立ち上がる。
「お暇を頂戴つかまつる。もはや殿とは主従ではござらぬ」
その言葉に慌てたのは久通だ。
「父上、ご自分が何を仰せかわかっておられるのですか? 私には父上が何をお考えなのかわかりませぬ」
「自分が何をしているかわかっておらぬのは殿の方だ。久通よ、そなたも大和に戻ってくるがいい。亡国に付き合う義理はない」
久秀は一喝する。三人衆で一番の武勇を誇る三好政勝の肩がぴくりと動く。
「弾正、三好家に謀叛するつもりか?」
政勝が床に置いた刀に手を掛けながら問いかける。この場で久秀を斬り伏せるつもりだ。
しまった、と久秀は思った。つい感情を激して宣言してしまったが、武勇絶倫の政勝からは離れてからにした方がよかったかもしれない。
だがもう遅い。久秀は改めて政勝に言い返す。
「謀叛? 公方様を討つことこそが謀叛ではないか。謀叛人は三好義継。このわしがそれを討ち、他のどなたかを三好家の当主にお迎えすることで、三好家の名誉を守ってみせる」
久秀はじりじりとすり足で動き、政勝から距離を取ろうと図る。
「よい。久秀を行かせてやれ」
義継が政勝を制した。
「殿、弾正は謀叛しようというのですぞ。よいのですか?」
政勝は久秀から視線を外さない。が、義継はそれでも久秀を行かせるように言う。しかしそれは優しさから来たものではなかった。
「この場で斬って楽にしてやるものか。こやつ自慢の多聞山城を蹂躙し、配下の者どもを斬り捨て、民をさらい、その様を散々見せつけてから斬ってくれる」
義継は吐き捨てる。その醜い言葉遣いを耳にし、もはや久秀に、義継に仕えることへの未練はなくなった。
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