第7話 永禄の変3

 楠木正虎の前では「天下のため」などと言ったが、あれは嘘である。

 久秀にとって、覚慶かくけいが助かろうが殺されようが、どうでもいい。足利将軍家が滅ぼうが知ったことではない。

 だが三好家が大罪を犯し、それをきっかけに衰退するようなことはあってはならない。

 久秀に後事を託そうとした長慶ながよしの頼みは断ったが、それでも久秀に三好家の繁栄を委ねたいというのが長慶最期の思いだったことは間違いない。ならば自分は三好家を守らねばならぬのだ。

 飯盛山いいもりやま城に乗り込んだ久秀は義継のもとへ向かった。三人衆も久通ひさみちも姿が見えない。まだ都にいるのだろうか。好都合である。彼らが戻ってきたときに飯盛山城に入れず、閉め出してしまえば、将軍弑逆しいぎゃくの大罪と三好家が無関係であることを天下に示せる。

「殿、三人衆と久通が公方様を手に掛けたとのこと、ご存知でありましょうか?」

 義継に会うなり、久秀は問う。だがその答えは、久秀が望んだものではなかった。

「無論だ。余が命じたのだからな」

 義継はそう言って胸を張った。

 久秀が義継と言葉を交わすのは長慶の葬儀以来だ。その時のことを久秀はよく覚えていないが、それにしてもこんなにも小物臭い人物であったのだろうかと思う。

「殿が命じられた? 三人衆が勝手にやったことではなく?」

「無論だ。足利義輝めは余を天下の政道から追い払おうとしていたのだぞ」

 義継は忌々し気に吐き捨てる。

 政道の表舞台から去った久秀も、その状況はなんとなくわかる。足利義輝は幾度となく、三好長慶を政道から葬り去ろうと蠢動しゅんどうしてきた。それと同じ、いやあるいは若い義継を侮ってそれより苛烈に、事を進めようとしたことは想像に難くない。


 足利義輝が三好家を敵視するのには理由があった。

 かつて公方家では、足利義澄の長男義維よしつなと次男義晴が、将軍の地位を巡って激しく争った。将軍の執事である管領かんれいの地位を代々継いでいる細川京兆けいちょう家の後継争いもこれに加わって、事態は複雑化した。

 京を治める足利義晴、それを支える細川高国。京を狙う足利義維、それを支える細川晴元。そんな図式であった。長慶の父三好元長は、細川晴元に仕えていた。

 優勢に立っていたのは、もちろん京を抑えている足利義晴方であった。しかし三好元長はその才覚一つで劣勢をひっくり返し、とうとう細川高国の首級をあげることに成功した。

 こうなった以上は、義晴は京を追われ、義維が代わりに京に入って公方となり、幕府の全ての役職も尽く新たな面々に一新される。誰もがそう思った。だが細川晴元はそこで怠けたのである。

 義維を立てていたのは晴元にとって方便に過ぎなかった。細川高国を排除し、自分が管領になれるのなら、将軍は誰でもよかったのだ。幕府の人事を一新する手間を惜しんだ晴元は義晴と手を結び、義維を捨てた。その行動を諫めたのが三好元長であった。

「そのような信義にもとることをなさっては身の破滅につながりましょう」

 しかし晴元はそれを聞き入れるどころか、同じ三好一族の三好政長に命じて元長を討たせたのである。

 元長が討ち死にしたこの時、嫡男三好長慶はまだ十一歳。実休じっきゅうは六歳、冬康は五歳、一存かずまさに至っては生後間もない。そんな幼い弟たちを抱えた長慶は、従順に晴元に従った。晴元も、「所詮子供であるから、自分が父の仇敵であると認識もしていないのだろう」と侮り、長慶ら兄弟を保護した。それがとんでもない麒麟児たちであるとは思いもせずに。

 元長の死から十七年後の天文十八年、長慶ら四兄弟は晴元に牙を剥き、三好政長を討ち取り、晴元を近江に追放してしまった。

 義晴の政権がこれほど長く続いてしまっては、それを覆して義維を将軍に立てることは難しい。それゆえに、長慶は義維を阿波で保護しつつ、義晴さらにはその子義輝を将軍として尊重してきた。しかし義輝の心には、仇敵足利義維を立てるために自分を排除しようとした三好元長の子たち、という猜疑心が常にあったのだ。

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