第6話 永禄の変2

「申し上げます。興福寺に向けて三百ほどの軍勢が進軍しております」

 筒井城で、筒井氏家臣島左近が当主の筒井順慶に報告した。

「なんだと? 誰の軍勢か?」

信貴山しぎさんより出てきた軍勢にございます」

「信貴山? 妙ではないか? 興福寺に向かうのに、何故遠く信貴山から出てくる? すぐ傍の多聞山たもんやま城からではないのか?」

 順慶は首を傾げた。久秀が数年前に築き、今は松永家の家督と共に久通に譲った多聞山城は、奈良の街中にある。そのすぐ東は東大寺、南は興福寺である。河内・大和国境の信貴山城とは距離を比べるべくもない。

 順慶が生まれて一年半後に父順昭は疱瘡を患い死亡した。その頃、大和国に侵攻を開始したのが松永久秀であった。

 例えば河内国の守護は畠山氏であり、摂津国の守護は細川氏であるが、大和国は興福寺が守護を務めていた。大和国に侵攻する者あらば、それを防ぐのは、興福寺の軍事を司る筒井氏の仕事であった。だからこそ順昭が死に、筒井氏が動揺した時に久秀は大和侵攻に出たのだ。

 久秀相手に圧されていた筒井氏だが、今順慶は十七歳になり、ようやく久秀と五分に戦えるようになっていた。それほど長く戦ってきたからこそ、今回の久秀の動きが、興福寺を攻めるためのものではない、と順慶はすぐに察知した。

「しかも三百か。到底我らを討つために差し向けたとは思えぬ小勢ではないか。一体誰が率いておるのか」

「はい。それもまたおかしな話で、どうやら楠木正虎殿の模様」

「楠木正虎? 松永の家臣ではないのか? それに奴は書家であろう? それとも先祖の才を受け継いでいるとでも言うのか?」

「太平記には楠木正成は千人の軍勢で二百万の大軍を破ったとあります。もしそうなら我らは六十万の軍勢を用意せねばなりますまい」

「全てがわからぬことばかりだ。左近よ、そなたはどう見る?」

 順慶は、自分がまだまだ成長途上の当主であると自覚している。優秀な家臣の言葉に耳を傾ける、名君の資質をすでに示していた。

「松永家の家臣ではなく楠木正虎殿に来させたのは、興福寺を攻める意図はないという久秀の意思表示ではないかと考えます」

 久秀の大和侵攻の時に、左近の父親は久秀方に内応した。その後左近一人が離反して筒井に付いたため、彼はある程度久秀の人格にも詳しい。

「楠木正虎殿は幕臣。幕府といえば、公方様の弟君覚慶様が興福寺においでです。あるいはこの覚慶様に何か用向きがあってのことではないかと思われます」

 左近が自分の考えを述べると、順慶は頭を抱えた。

「では公方様のご命令を受けてのことかもしれぬのか。うかつに手を出せぬな」

「いえ、公方様のご命令ならば、兵を出すこともありますまい。おそらく都で何かが起こっており、久秀は正虎殿を通じてそのことを知っておるのでしょう。いずれにせよ、うかつに手を出せぬのは同じことですが」

 当事者である楠木正虎が逃れてきた信貴山城と違い、どうしても筒井城には情報の伝播が遅れてしまう。

「だがもしその考えが誤りで、彼らが興福寺を攻めるつもりであったら?」

 順慶は懸念を口にする。ここまでのことは左近の想像に過ぎない。最悪の事態も想定しておかねばならない。

「では私に五百の手勢をお与えください。こちらから手出しはしませぬが、私がいるのを見れば、奴らも興福寺に手は出しますまい」

 左近の言葉に順慶はうなずいた。

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