第5話 永禄の変1
三好家宗家を継いだ
また実休の子らは、長男が三好長治、次男が十河
そして久秀は、奈良の街中にある
久秀の妻、広橋
「そなたも望むのならばここに墓を建てるとよい」
と伝えていた。そのため保子はこの南宗寺の墓に入っており、久秀は主君と妻両方の墓参を同時に行うことができる。堺により近い信貴山に住むことは、久秀にとって一番の望みであった。
静かな、実に静かな一年が過ぎていった。
信貴山が、堺、奈良、京という都会に囲まれながら、山深い田舎であるということもあるが、それよりも身の回りに何も起こらないという意味もあった。忙しなく動乱の中を駆け巡った三十年、それよりもこの一年の方が長く感じられたほどであった。
だがその静けさも唐突に終わりを告げる。
永禄八年五月十九日、信貴山城に一人の男が大慌てで駆け込んできた。
「弾正殿! 弾正殿! 一大事でござりますぞ!」
この男は楠木
「これは正虎殿、このような田舎にお珍しい」
久秀はあえて鷹揚な態度で出迎える。正虎を落ち着かせるための態度であったが、正虎はかぶりを振る。
「いやいや落ち着いている場合ではござらぬぞ。公方様が
「何? 一体何があったのだ?」
そう聞いてはさすがに久秀も身を固くする。将軍足利義輝はまだ三十歳の若さである。それが急に亡くなったとなれば只事ではない。
「
正虎の言葉に久秀はめまいを覚えた。
足利義輝と三好長慶の関係は良好ではなかった。天下人は三好長慶であったが、義輝は決してそれを認めなかった。刺客を放ち、長慶を暗殺しようとしたことも、一度や二度ではない。
だが長慶は決して義輝に危害を加えようとしなかった。将軍の悪意をも全て受け止めてこその天下人という余裕が彼にはあった。
その長慶が死んだのだから、義輝がおとなしくしているはずがない。だがそれでも弑逆は明らかにやり過ぎだ。三好家が幕臣や諸侯の追及を受けるのは避けられないだろうし、家の破滅につながりかねない。
三好家を救う手立ては一つだ。義継を説得し、三人衆及び久通と手を切らせるのだ。義継が三人衆や久通と敵対すれば、この一大事は四人の独断専行と受け取られるだろう。わが子久通は破滅するだろうが、三好家を救うためにはそれしかない。そしてその後義継が正当性を確保し続けるには……。
「正虎殿、そなたが能力、人格共に最も信頼に足ると思う人物は?」
「それは勿論弾正殿にござる。我が最大の恩人。それ以上に信頼できる人物などおりませぬ」
それを聞いて久秀は苦笑した。
楠木正虎はその名が示す通り、南朝の英雄楠木正成の子孫である。
北朝の後裔である朝廷は楠木正成を朝敵としており、正虎は当代屈指の書家でありながら、そのために仕官できずに苦しんでいた。
しかし久秀が時の帝に正虎を紹介し、その腕の確かさを帝に見せる機会を得たことで、正虎は将軍家への仕官が叶い、帝からも楠木正成の朝敵認定を二百年ぶりに取り下げる
その恩があるからこそ、将軍暗殺の首謀者の一人松永久通の父であるにもかかわらず、正虎は久秀を頼ったのだ。
「いや、私を除いて」
「ふうむ」
久秀の問いに正虎はしばし考えこむ。
「細川藤孝殿でありましょうか」
「細川藤孝……」
久秀も名前だけは聞いたことがあった。正虎も教養人ではあるが、細川藤孝はそれ以上であるという。だが武将としての才はどの程度なのか。そう思うが、武将ではない正虎にそれを見抜くのは難しいのだろうか。
それでも一番に名前が挙がるからには、人格面では信頼できそうだ。
「正虎殿、私の兵を三百ほどそなたにお貸し致しましょう。それを率いて興福寺へ向かっていただきたい」
「私が兵を率いるのですか? 私は書家にすぎませぬぞ?」
「戦う必要はござらぬ。その細川藤孝殿が興福寺に来るまで、その兵力で周囲を威嚇していただければそれでよいのです」
「しかし何故興福寺に?」
「公方様の弟君、
久秀が言うと、正虎はあっと声を挙げた。義輝が死んだとなれば、覚慶がその一番の後継候補である。三人衆と久通は次に覚慶を狙うかもしれない。彼らに覚慶を討たせてはならない。
義継に覚慶を次期将軍として推戴させ、逆賊となった三人衆と久通を討たせる。それが、三好家が逆賊の汚名を受けることを防ぐ唯一の道だ。
久秀は馬の用意を家臣に命じると、正虎に向かって、
「私はこれより義継様のところへ向かいます。その間覚慶様を誰がお守りするのか。我が息子久通が公方様弑逆の首謀者ならば、松永家中の誰にも任せられませぬ。正虎殿、そなたにしか任せられぬ」
興福寺はそこから南西二里の筒井城主筒井
「我が隠居生活は今日を以て終わる。天下のため再び立つ」
久秀は五十六歳にして再び天下の表舞台に舞い戻った。
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