第4話 三好長慶の死3

九十九髪茄子つくもなすを初めてそなたが持ってきてから九年か」

 長慶ながよしは当時のことを懐かしむ。

「最期にもう一度九十九髪茄子を見ながら茶会とはいい土産になる。あちらで待っている実休じっきゅうに自慢することができよう」

 長慶は笑うと立ち上がろうとした。

「お体に障ります。この場で茶をてさせていただきましょう」

 久秀が言うが、長慶はかぶりを振る。

「ここは我が御殿ぞ。わし自身が亭主を務めず如何する」

 長慶はそう言って三好長逸ながやすの肩を借りて茶室へと進んでいった。

 立ち上がることもままならぬ長慶であったが、四畳半の茶室にて風炉ふろを前に坐する姿は往年のままであった。風炉に載った平蜘蛛ひらぐもの釜から湯を掬うと、青く光る曜変天目ようへんてんもく茶碗に流し入れた。名物に囲まれ、茶筅を動かす姿の風格は流石であり、三人衆も長房も久秀も、その姿をしかと目に焼き付けようと、じっと長慶を見ていた。

「そなたらも知っての通りわしは五人兄弟であった。だが末弟の野口冬長は早くに亡くなっているから、実質四人兄弟だ。そして奇しくもその息子世代はちょうど四人いる」

 長慶は、茶を点てながら語りだす。

 三好四兄弟。長兄長慶、次兄実休。その下、三男は安宅あたぎ家に養子に入り、淡路水軍を傘下に収めた安宅冬康。四男は讃岐の名門十河そごう家を継いだ十河一存かずまさである。

 長慶には息子が一人いた。その子義興よしおきは才気煥発、長慶を継ぐに相応しい英雄の資質があったが、昨年二十二歳の若さで亡くなった。

 だがそれでも実休の三人、一存の一人の息子が残っている。これを合わせれば四人、父親世代と同じ人数になる。

「つまりこの四人を我ら四兄弟それぞれの後継に振り分ければよいのだ」

 長慶はそう言って曜変天目を篠原長房の前に差し出す。

「では御子がお一人の一存様のところは、そのまま十河家を継ぎ、実休様の御子のどなたかが修理大夫しゅりだいぶ様の後継として三好家をまとめる、ということでしょうか?」

 長房が問い返す。

「長房よ、実休の長男は今何歳になる?」

「は。十二歳におなりです」

「三好家全体を任せるにはあまりに幼いとは思わぬか?」

「む。それは……」

「だがな、一存のところの息子は今十六歳だ。それに十河家は閨閥けいばつもしっかりしている。これならば何とかなる。よってこちらに三好家を任せることにしたいと思っている。実休の長男には実休の、次男には一存の後を継いでもらう」

 長慶の言葉に、三人衆も長房も納得しようとしていた。だが久秀は納得こそできていたが、その案に寂しさを感じていた。

 三好長慶は十二歳の時に父を失い、その時から周囲の大人たちを相手に渡り合ってきた。今の三好実休の長男と同じ年齢である。

 十河一存は四兄弟の末弟である。元々名家でも何でもない三好家で、上の長慶、実休、安宅冬康はさして身分の高い女性を妻に迎えたわけではなかった。だが年少の一存は、三好家の立場が十分に強くなってから婚姻したため、かつての関白九条稙通たねみちの娘という貴種の姫君を妻に迎えたのである。そのため一存の息子はかつての関白を祖父に持つ。閨閥が強いというのはそのためだ。

 一存の息子がそれほどの血統を持ち、しかももう十六歳だというのに、長慶は「これならば何とかなる」と評するに留まった。

 長慶は感じているのだ。二人はいずれも、長慶ら四兄弟には及ばぬ器であると。

「実休の子らは、上から順に実休の家、十河家、安宅家を継ぐとよい。幼い彼らの補佐は、長房、やってくれるか?」

「はい。はい。勿論にござります」

 長慶の言葉に、長房は泣きながらうなずき、曜変天目を長慶に返す。久米田くめだの戦いで、実休が長房を助けようとして戦死したことを、長房はずっと引け目に感じていた。その遺児たちの後見をすることで、その罪滅ぼしができるのなら願ってもないことであった。

「宗家の補佐は大変な仕事になろう。こちらは三人衆と久秀とで、協力して当たってほしい。よいかな?」

「かしこまりました」

「必ずや一人前の当主にお育て申し上げましょう」

 三好長逸と三好政勝が相次いで答え、三人衆は揃って平伏するが、久秀はそれに倣わなかった。

「お言葉ではござりますが、この久秀、初めて修理大夫様に逆らわせていただきまする」

「ほう? それは何ゆえかな?」

「私ももう五十五。そろそろ隠居してよいころ合いにござります」

 久秀のその言葉に驚いたのは篠原長房であった。

「お待ちくだされ、松永殿。修理大夫様と松永殿、お二人を同時に失うことは、三好家にとってあまりに痛い。考え直してはいただけぬか?」

 長房は久秀のことを深く信頼していた。これから三好家は大変な時期を迎える。その時に久秀の力は必要だと考えていた。だが久秀の心は揺るがない。

「すまぬ。我が仕える主は修理大夫様をいてほかにない。今隠居すれば、修理大夫様が生涯最後の主と定められよう」

 久秀が長房に言うと、長慶はふふっと笑いを漏らした。

「そなたほどの者がそこまで言うてくれるとはな。この三好長慶、冥途へよい土産ができたわ。よい、隠居を許す。そなたの息子の久通に、三人衆と共に三好宗家を支えさせよ」

 長慶にそう言われては、長房もそれ以上何も言えない。

「ありがたき幸せ」

 久秀は長慶に平伏した。

「さあ、これで話は済んだ。そなたらは自らの城へ帰り、わしの葬式までこの飯盛山城に来るでない。わしの意識もいつまで保つかわからぬ。この今の強い姿を、そなたらの見た最後の三好長慶ということにしてくれ」

 それが天下人三好長慶最後の命令であった。

 およそひと月後、永禄七年七月四日、稀代の英雄三好長慶はその生涯を閉じた。

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