第2話 三好長慶の死1

 遥か千年近く前、天武天皇という英雄が出て、この日ノ本の仕組みを作り上げた。日ノ本は八つの地方に分けられた。いわゆる五畿七道である。

 その時決められた畿内五カ国とは、摂津、河内、和泉、山背やましろ、大和。そんな畿内五カ国の真ん中に、河内国飯盛山いいもりやま城はあった。

 西を窺えば行基ぎょうきが開基したという野崎の寺が眼下にあり、その向こうには石山本願寺の巨大城郭、そして難波津なにわのつと瀬戸内の海が広がっている。

 南には堺津さかいのつが見え、その傍らには仁徳天皇のみささぎがこんもりと盛り上がる。

 ここに来ると、どこまでも広がる世界と、連綿と続く歴史が感じられる。主君三好修理大夫しゅりだいぶ長慶ながよしはそう言ってこの景色を愛し、本拠を摂津国芥川城からこちらへ遷した。

 久秀も地理歴史に通じた教養人であるから、その意味を解し、この城を気に入っていた。

 しかしこの日は憂鬱な気持ちで山を登っていた。三好長慶に呼び出されてここに来たのだが、今の長慶はかつての彼ではない。長慶はここ数年体調を崩し、かつての切れ味を失ってしまっていた。久秀がかつて長慶に見た夢は、もはや夢で終わろうとしていた。この呼び出しも果たして誰の差し金かわかったものではない。

 長慶は疑いようもなく英雄であった。

 だが後継者に恵まれなかった。息子も弟も皆早死にし、誰が後継となるのか判然としないまま、長慶もまた四十二歳の若さで病に伏した。

 麒麟きりんも老いぬれば駑馬どばに劣ると言うが、長慶は老いてもいないのに病のせいでその明晰な頭脳を曇らせてしまった。ついにはただ一人、健康な状態でいた弟安宅あたぎ冬康を粛清するにまで至った。そのため長慶亡き後の三好家がどうなるのか、見当も付かない状況にある。

 城内に入った久秀は奥の部屋へと案内された。

「松永久秀、罷りこしましてござる」

 部屋の外から声を掛けると、すっと障子が開く。開けた人物の顔が久秀の目に飛び込んできた。篠原長房である。

(む?)

 久秀は面食らう。篠原長房は家中随一の知恵者として誰からの信頼も篤い、三好家の重臣である。障子を開けるような雑用をするような人物ではない。

 長房は手で奥を示し、久秀に中に入るように促す。久秀が会釈しながら部屋に入ると、

「来たか、久秀。これで呼び寄せた者は全員参ったな」

 と声を掛けられた。その声に久秀は顔を上げ、そして目をみはった。

 昨年末以降、久秀は床に臥せっている長慶しか見ていなかった。ところが今、長慶は部屋の上座でしっかり胡坐で腰を下ろしているではないか。

「驚いたか? 今日は気分が良い。頭の中も靄が晴れたかのようにしっかりしておる」

 長慶は笑う。

「ははっ、修理大夫様のお強さには目を瞠るばかりにございます。この分なら病も遠くないうちに消えるのではございませぬか?」

 久秀が明るく言うが、長慶は首を振った。

「いや。蝋燭は消える前に強く輝くという。そういうことなのであろう。今のわしの頭が明晰なのは、病が癒えたからではなく、近く死ぬからよ」

「修理大夫様……」

 久秀も覚悟はできていたはずだった。だが本人の口からはっきり、三好長慶が死ぬと聞かされるとたまらなかった。久秀は涙がこぼれ落ちるのを堪えるので精一杯であった。

 長慶は部屋に集まった面々をぐるっと見回す。久秀もそれに釣られて見回し、誰がいるかを確認した。三好三人衆と呼ばれる三好長逸ながやす、三好政勝、石成いわなり友通。そして篠原長房。それだけだ。なるほど、長房のような重臣が障子を開くような雑用をするわけだ。

「わしの意識がはっきりしている時などそうはない。この機に我が亡き後のことを遺言しておきたい。そう思って、そなたらを集めた」

 長慶が語り始めるが、久秀はそれを止める。

「お待ちくださりませ。せっかく修理大夫様がお元気ならば、久しぶりに茶をてて差し上げとうござります」

 久秀はそう言うと、持ってきた包みを開いた。もしも長慶が元気になって、本当に自身の意思で自分を呼んだのなら。その期待から、久秀は茶器を持ってきていた。

「おお」

 包みの中身を見た一同から感嘆の声が上がる。

 茶釜は古天明平蜘蛛こてんめいひらぐも。幾度となく三好家の人々に披露してきたものだ。

 それに続いて茶入を取り出して、古天明平蜘蛛の横に置く。

「それが噂の九十九髪茄子つくもなすか」

 篠原長房が感慨深げに呟く。

「さよう。実休じっきゅう様とのお約束が果たせなかったのが残念でならぬ」

 久秀は答えた。

 九十九髪茄子茶入。元は足利義満が勘合貿易で明から手に入れたものだという。義満の孫足利義政はこれを寵臣の山名政豊に与えた。山名政豊は、日ノ本の六分の一を支配する大守護山名氏の御曹司であったが、応仁の乱とそれに続く内紛で山名家は衰えていった。それでも九十九髪茄子への思い入れの強い政豊は生涯手放さなかったが、政豊亡き後九十九髪茄子は売却され、堺の商人の村田珠光むらたじゅこうが手に入れた。

 その噂を聞きつけて興味を抱いたのは、越前敦賀の領主である朝倉宗滴あさくらそうてきだった。だが久秀もまたその時から九十九髪茄子を手に入れようと狙いを定めたのである。

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