エンディング 4/4 「皆、お前を待っているぞ」
□
セントヘレナ島。
その港町。
百羽をゆうに超える数のカモメが、猫のような鳴き声を上げ空を覆う。
神父。
大きな男が、港町の桟橋にたっている。
真冬でもないのに、足元まである黒いコートをまとう。
獣のような体格の神父。
削り出されたような鋭い顔つきに、力に満ちた眼差し。犬歯を見せて笑っているような風貌。
その神父は間違いなく、かつて
男は上空を見上げる。
空を覆うカモメの群れ、そして雲間から射す強烈な日射し。
その眩しさに目を細めると、手を額に持ってゆく。
それでも光は、天の意思の力強さとも思えるごとく、指の隙間をとおしてくる。
乙女の声。
上空を舞うカモメの鳴き声に紛れ、たしかに聞こえる乙女の叫び声。
それひとつで日射しにしかめていた顔は、晴れやかな笑顔へと変わっていた。
「ルーヴェント!」
神父は衝動的に手を胸に当て、
心臓は力強く、熱い血を全身に押し流していた。
―――― たしかに彼を、その名前で呼ぶ声が聞こえたのだ。
「ベアトリーチェ」
亜麻色の髪に水色の髪留めをつけ、男装のベアトリーチェが駆けてくる。
彼女が、視界に入ったのは一瞬でしかなく、気づいた時には胸に飛び込んでいた。
そのまま、その胸で嗚咽が響いた。
長いあいだ胸の中でグズグズと泣き続けている。
彼は彼女の亜麻色の髪を撫で続けた。
―――― まるで、今までの時間を取り戻すかのように。
そこから彼女の両肩を掴み、目の前に直立させる。
ベアトリーチェの着ている服は少し古いものだった。
何かに気づいたルーヴェントはその服に目を凝らす。
それは『商人が、貴族に謁見する際に着る黒い礼服』だった。
ルーヴェントは懐かしむように、その土に汚れた礼服を力強くはたいた。
セントヘレナを刺す太陽の光のなかに、
「傭兵団長。この服、おぼえていますか?」
涙を止められないベアトリーチェに、ルーヴェントは目を細め微笑む。
「ああ、俺が買ってやった服じゃないか。……今も、似合っているぞ」
そう言い、力強く首を縦に振り下ろした。
「……傭兵団長」
彼はベアトリーチェの涙を、何度も親指の腹でぬぐう。
「おいベアト、お前」
「はい」
鈴が転がるような返事が聞こえた。
「俺は、傭兵団長って名前じゃねえ、…………ルーヴェントっていう名前があるんだぜ」
優しく諭すような深い声が、ベアトリーチェの体の奥まで沁みた。
どちらからそうしたのか、分からない。
二人は強く唇を重ねていた。
□
ハッカ飴を舐めたような声がした。
「はいはい、感動の再会でしたねえ。神父、わたしの紹介も忘れずに」
ルーヴェントの後ろに、木箱を抱えた少女が船からヨロヨロと近づいてきている。
胸のふくらみが強調された黄色いジャケット、同じ黄色で腿の中程までのスカート姿の金髪赤目の少女は、笑っていれば愛くるしい印象であろう。
しかし、今の表情はすこぶる尖っている。
「この箱『赤ワイン年代物』って書いてあるし……。レディにこんな重いものを、持たせるなんて」
レディと自称したが、年齢は十八あたりだろう。木箱を地面におろすと、ルーヴェントに悪態をついた。
ベアトリーチェは、その少女を凝視した。
「ああ、こいつは【セレス】だ。俺の身の回りの世話を任せている」
大したことがないようにルーヴェントは、少女を紹介する。
「世話係兼『愛人』のセレスと申します。今後ともよろしくお付き合いくださいませ、奥様」
ベアトリーチェの目が大きく見開かれると同時に、ルーヴェントの蹴りがセレスを海に蹴り落としていた。
「愛人気取りは百年早え、口と体だけは成長しやがって。気にするなベアト、こいつは毛が生えているだけの生意気なガキだ」
「きっ、気にするなと言われても」
愛人という言葉も、奥様という言葉も、今のベアトリーチェには気になって仕方がない。
「ふえええん」
セレスの泣く声が、海面から聞こえてくる。
「馬鹿が」
ルーヴェントは桟橋から手を伸ばす。
海に浮かびながら泣く、ずぶ濡れの少女・セレスをすくいあげた。
□
気配に気付き、ふと顔をあげたベアトリーチェは洋上を見る。
眉に皺を寄せる。
ルーヴェントの背後、セントヘレナの港沖(=港の沖合)がいつの間にか三十はあろうかと思われる海賊船に占拠されている事に気づく。
背後から修道女長ミーナと用務員ヒルデハイムが、青ざめた顔で走って来る。
「襲撃ですわ、海賊の襲撃ですわ!」
「ベアトリーチェ様、みっ……港の沖に、海賊団が集結しておりますぜ」
ミーナとヒルデハイムは、走りながら息も絶え絶えに絶叫する。
「阿呆どもが、やかましい。見ればわかるわ」
ベアトリーチェは面倒くさそうに答えると、ふたたび海賊船を見やる。
沖に泊まる海賊団は様々な旗を掲げている。いかにもな骸骨から、獅子、狼、剣にマーメイドといった様々なデザインの旗が風になびく。
「ああっ、あれは」
そのなかで、彼女は海賊団の『ひとつの旗』から目を逸らすことが出来なくなっていた。
ルーヴェントはその様子をみて、何かを懐かしむように笑った。
「おいベアト。あの旗……やつらじゃねえのか?」
海賊旗艦の旗に描かれた文字は、海風を受け大きくはためいた。
その旗には、白地に黒で『M M D』の三文字。その旗艦から、まだ夕暮れにもなっていないのに何発もの花火が打ち上げられている。
さらにその船上では海賊達が何か叫び、飛んだり跳ねたりしている気配が伝わってくる。
まるで何かを、盛大に祝うように。
ベアトリーチェにはすぐに理解できた。
「マピロ、マハマ、ディロマト……あなた達」
大切な配下、いやロンバルディアの街の時から支えてくれた。
エフタルでの革命の際、離れ離れになり、生きているかも分からない、二度と会う事はなかろうと思っていた三人組。
ルーヴェントは、全てを知っているかのようにつぶやく。
「あの馬鹿どもめが、いつの間にかドでかい海賊団を作ってやがったぜ」
―――お前を大将として迎え入れるために。
そして……ともにエフタルの城に還るために
海賊船団から、数名が乗り組んだ小舟が港へ向かってくる。
小舟に乗り組んだ者たちは、やはり何か絶叫しながら、海上であるにもかかわらず飛んだり跳ねたりしているようだ。
その中の一人が『M M D』の旗を振り続けている。
「マピロ、マハマ、ディロマト……」
ベアトリーチェは、再び彼らの名前を口にしていた。
また、熱い潮風が周囲に吹いた。
セントヘレナを照らす太陽。
百羽のカモメの舞う大きな空。
海賊船団の浮かぶ大きな海に、
ベアトリーチェを迎えに来た者たちの、大きな旗が揺れる。
□
ベアトリーチェの恋焦がれた神父の到着。
さらに、彼女を首領と仰ぐ海賊団の歓迎。
夜を待つことなく、人口五千人のセントヘレナ島は、島が沈没するかのような祭り騒ぎとなった。
修道院の礼拝堂には、大量の酒と料理が運び込まれる。
ルーヴェントとセレス、海賊団、ミーナとヒルデハイムをはじめとした修道女達。
そこにベアトリーチェを慕う島の者が入り乱れ、天地を食らうかのごとき宴が繰り広げられた。
夕暮れまでも、まだ時間を残して。
□
夕暮れ前。
修道院の尖塔。
鐘が据え付けられた屋根に、二人は座っていた。
水平線の彼方には、うっすらと大陸の影が見える。
「潮風のかおる風が、
ベアトリーチェの妙な言い回しに、ルーヴェントは苦笑する。
———— その風を受けながら、ルーヴェントは今の自分の立場を説明した。
国家をまたぎ大陸全土の宗教思想を支配する『正教会組織』というものがある。大司教マシロ・レグナードを頂点とする宗教体制である。このセントヘレナの修道院も、その末端にあたる。
そのなかでルーヴェントは、大司教を補助する大司教補佐官の地位に立っているという。
「なあベアトリーチェ、『銀十字の騎士団』って知っているか?」
「噂では、聞いたことがありますけど……」
「敬虔な教徒二万人を集めた戦闘集団だ……俺は、いつでもソレを動かせる」
風が不穏な気配を漂わせる。穏やかなルーヴェントの顔に、かつての狂気が浮かんでいるようにも見える。
「ユキの黒鷲傭兵団やフロストハイムの姉貴から、兵はいくらでも借りることが出来るぜ。……働いてやるよ、ベアトリーチェ」
———— こんどは俺を奴隷のように使うがいいさ
ルーヴェントが大声で笑うと、ベアトリーチェの藍色の目は遠く水平線の彼方の大陸を捉える。
「あ、あの、私兵マティウスの消息をご存じないでしょうか? 元・盗賊団長のマティウスです。革命の中で離れ離れになって、その後を知らないんです」
ルーヴェントはニヤリと笑った。
「心配ない。奴は【マロール】と名を変えて姉貴のもとフロストハイム王国(=旧ガシアス)の第二騎士団長におさまってやがる。生きてりゃ、そのうち会えるさ」
それからベアトリーチェは、ディルトとロザリナや、ユキとステファノの近況をきいた。
皆それぞれに力を蓄え、成長していた。
――― 皆、お前を待っているぞ
ベアトリーチェの口元が引き締まり、亜麻色の髪が揺れた。
「取り返しに行くぞ、大切なものを。ベアトリーチェ、お前の国エフタルを……そこから大陸統一の大戦争だ」
「はい!」
元気よく答えたベアトリーチェは、ルーヴェントの腕を掴む。甘えたように体を揺すって、少し息をふっと吐いた。
「本当に、私みたいな世間知らずの小娘のために……ありがとうございます」
「どうってことはない。ガシアスへの復讐も終えたし、クレイヴァスとしての人生はカシスと共に終わった。残りの人生は、惚れたお前のお守りに使うのさ」
その言葉を聞くと、目を見開いたまま頬を染め、口をつきだし叫ぶベアトリーチェ。
「ほ、ほ、ほ、惚れた?」
ルーヴェントは人差し指でベアトリーチェの唇を押さえた。
「何度も言って欲しいのか?」
ルーヴェントの口からそんな言葉が出るとは、ベアトリーチェは少し動揺する。以前の彼ならば絶対に選ばない言葉だ。
「い……いえ」
ベアトリーチェはさらに赤面する。
唇に当てられた指をつかむ。
教会の屋根の上で、ふたたび強くルーヴェントと腕を組んだ。
「なあベアト、お前なんで大陸統一とか馬鹿げた戦争をおっぱじめたんだ?」
ルーヴェントは、そっけなく聞く。
――― まるで何も分かっていないかのように。
――― いや、実際に彼は分かっていない。
ベアトリーチェの顔が胸元から耳先まで真っ赤になり、頬がふくらみ口先が尖った。そのまま尖らせた口を縦に開く。
「なっ、なんで、そんなデリカシーのないことを聞くんですか!」
「デリカシーだと?」
ルーヴェントは意味が分からない表情になる。
どうしても言わないといけないのだろうか?
ベアトリーチェは顔をしかめたが、言う決意を固めた。
「寂しかったんです……貴方と会えなくなって。これが答えです。二度と言いませんよ」
ルーヴェントは唖然とした。あまりにも、これは……笑えなかった。
『この馬鹿には勝てない』
俺の一生はこの『じゃじゃ馬ならし』なのか。
―――百千万の弱い男を従えるより、強い一人の男に組み伏せられたいベアトリーチェ。
―――力で服従させているように見えて、その実は惚れた女に振り回される人生のルーヴェント。
傭兵団長は追放王女の、か細き腕をとった。
『カシス、こいつの面倒はしっかり見るからな』
彼の小さなつぶやきは、北へ向かって吹く風にさらわれ、北方の大森林に眠るカシスの
□
青い大海に、赤い太陽が近づいていく。
「なあ、ベアト。すこし寒くないか」
「えっ、そうですか?」
足元まであるコートを着ているルーヴェントが寒いはずがない。
すぐにベアトリーチェは、言葉の真意を汲み取る。
不思議な気持ちになったが、女の芯は熱をもった。
「暖まりましょうか、私の部屋で……ルーヴェント」
言い終わるまえに、ベアトリーチェは押し倒されていた。
「やっ、屋根の上ですよっ! あ、ああっ……」
ルーヴェントの体から、以前にはなかったであろう爽やかな香水の匂いがした。
大陸西南の島、セントヘレナの空は、どこまでも突き抜けて高い。
浮かれ騒ぐ島中の者達。
その空を舞うカモメの大軍もまた、祝福の歌をうたう。
むつみ合う二人の匂い。
潮風はまた遙か彼方へと、運び去ってゆく。
――― 追放王女と傭兵団長 完 ————
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