エンディング 3/4 セントヘレナの海域に、熱い潮風がふく

 ―――― あのベアトリーチェ追放の戦乱から、いったい何年の年月がたったのだろうか。



 大陸と、ベアトリーチェが追放されたセントヘレナ島、その中間あたりの海域。

 穏やかな潮風がふく、凪いだ海域。


 三十艘ほどの海賊船団が帆を降ろしている。

 その中のひとつの船。『白いひよこ号』の甲板で、一人の男が木剣を持った女二人に追われている。


「ディロマト! あたしとコイツのどっちを選ぶのさ!」

「ディロマト船長! 返事次第によっては、アバラの二・三本は覚悟してくださいね」


 配下の女海賊に迫られ、木剣の攻撃を必死にかわしながら【ディロマトと呼ばれた船長】は船上を飛ぶように逃げ回った。


「だ、だ、だから、俺はベアトリーチェ様ひとすじって言ってんだろぉ」

 木剣の刃風が背後をかすめ続け、懇願するようにディロマトは叫ぶ。


「まだそんなん言ってんのか、隠し子もいるくせに! テメエ身の程を知れ」

「もう、ベアトリーチェ女王はあきらめて下さい……船長には高嶺の花です」


 痴話騒動が繰り広げる中、上空から連続して炸裂音が聞こえた。雲ひとつない青空に、海賊団の旗艦『黒いひよこ号』から合図の花火が三発撃ちあがっていた。


「おおおっ!」


 その途端、床を踏みしめ仁王立ちになったディロマトは、迫る二本の木剣を素手でへし折ると、女二人を床に蹴り飛ばした。

「しずかにしろテメエら、【マピロ】の兄貴からだ。通信員! おい聞こえているか? 返事をしろ! 灯信とうしんだ、目ぇ開いておけぇ!」


 船団の中で灯りを用いた、中距離(一キロ半径程)の通信が行われる。



「ディロマト船長、旗艦よりすべての艦へ連絡は……以下の通りであります」

 通信員はその内容を読み上げる。



 ――― 『神父』を乗せた船は、監視地点を通過、本日中にはセントヘレナへ到着の見込み


 ――― 我々も後を追う、準備せよ 海賊団長・マピロ



 となりに帆を降ろす兄貴分【マハマ】の船『黄色いひよこ号』をみると、マストのてっぺんに拳を突き上げて立つマハマの姿が見えた。


「はあっ!」


 ディロマトもつられたように、拳を空へと突き上げる。


「テメエ、なに格好つけてやがるんだ!」

「船長、早く返答をください!」

 ディロマトは、わめきたてながら迫る女二人の頬を張り飛ばした。


「静かにしろメスガキ共が、この時を、俺は……俺は、何年待ち続けたと思っているんだ!」


 ディロマトは吠えた。表情は見違えるほどに引き締まり、その目に覇気の光が宿る。

「総員ーっ! 聞けぇっ!」


 突き上げた拳を開き、静かに降ろす。


 その手が一つの方向を指す。


――― 旗艦につづけ、進路をセントヘレナへ


 海賊団員は意味不明な叫び声を上げると、床が抜けんばかりに飛んだり跳ねたりした。


 いだ波静かな海域に、陽に照らされた潮風が吹いた。



 □



 ベアトリーチェが流されたセントヘレナ島。


 聖マライア修道院改め、ブラクド・イアグル(=黒鷲)修道院。


 


 雌豹めひょうの気配を発するように、古い黒色の礼服に男装したベアトリーチェは、亜麻色の髪を束ねることもせずに座っていた。

 水色の髪留めは机においたまま、ひざ丈の皮ブーツを履いた両足が机に、偉そうに投げ出されている。


 藍色の瞳は狂気を帯び、溜まりに溜まったストレスか、彼女の機嫌は最高に悪い。


 肉食獣のような牙があろうかと思われる口。

 その口が開かれる前に、気配を察したのミーナが機嫌を伺いにやって来た。


 ベアトリーチェの鋭い眼光がミーナを突く。

「ミーナ、てめえ。今月の売春実績のザマはなんだ? 修道女たちを気合いれて働かせやがれ! 二日に一回しか客を取らないとか神を冒涜してんぞ、勤労の意欲はあるのかよ」

「い、いや、やはり、そのあたりが体力的とか島の人口的にも妥当な線かと思いますわ、ベアトリーチェ様」

 ミーナと呼ばれた黒髪ショートヘアの修道女長は、怯えながら答える。


(くっ、このベアトリーチェ。……修道院を売春組織にしたあげく、院の名前まで勝手にかえちゃってから)


「何か言ったか? 修道女は壁尻でもさせときゃいいだろ、まずはテメエから模範になれ、いいか! グダグダしてると、この場で犯すぞ貴様っ!」

「あわあわ、早速会議を開きます」

 ミーナは飛ぶように院長室を脱出する。


 ベアトリーチェの横暴から、ミーナは必死に他の修道女を守っていた。

 このミーナの行動は、ベアトリーチェが島に流されてくる前には考えられないことだった。



 ――――― 島流しになりながらも、あっという間にセントヘレナ島をひとりで武力制圧したベアトリーチェ。

 いつまで続くか分からぬ退屈なくらしに、彼女は大いに荒れていた。



 机の上にある水色の髪飾り、そして窓の外に見える海と空を眺める。

 窓は開いているが、風はさほど入ってこない。


 ため息を十回ほどついていた。


 ――― ベアトリーチェ、そこは豊かな場所か?


 時折、ベアトリーチェにはルーヴェントの幻聴が聞こえた。


 ベアトリーチェは、ルーヴェント共に過ごしたほんの数ヶ月、自治領ロンバルディアの日々を懐かしく思う。

 乾いた青空の下で、人が、物資が、気持ちが、様々なものが豊かに、そして猥雑に交差する街だった。吹く風は、いつも新鮮な発見を連れて来たものだった。


 ――― 懐かしいな、あの頃がよ


 また、彼の幻聴がきこえた。


「あ~っ、ああああ~っ」

 ベアトリーチェは口元を引きつらせ、ゆっくりとうなだれる。



「あの~ベアトリーチェ様。そろそろ港に、お着きになる頃かと~」


 大柄な男性がノックをして部屋の扉を開けた。用務員のヒルデハイムがビクビクしながら声をかける。

「お着き? お着きって何さ?」

 ベアトリーチェは頬をふくらませ、口を尖らせる。


「『新しい神父様』が赴任なさるって、本部から連絡書が来てたじゃないですか~。それ、今日ですよ~」


 何が気に障ったのかわからないが、ベアトリーチェのこめかみに血管が浮かんだ。

「いちいち、そんなん読んでないわよヒルデ。あ~、めんどくさ、上陸したらすぐに『暗殺』して」


 ヒルデハイムの顔が青ざめるが、ベアトリーチェには逆らえないため渋い顔をする。

 彼は咄嗟に考える。

 さすがに殺す訳にはいかないので『神父は……とりあえず脅して、港の清掃員にでもなってもらうか』と。



 そしてヒルデハイムは、ぼやいた。

 その到着する神父の名前を。


「あぁ、可哀そうになあ、こんな島に送られたばっかりに【ルーヴェント】神父も……」


「なぬうっ!」

 それはヒルデハイムが聞いた中で、一番すっとんきょうなベアトリーチェの声だった。


 ベアトリーチェはそのまま机に足を乗せたまま、椅子のひじ掛けを腕と上体の力だけで押すと、ヒルデハイムの目の前へと一瞬で飛んだ。そこから殺すかの勢いで襟首をつかみ上げた。

「なんだとぉ! ヒルデェ! 貴様ぁ、その神父の名前をもう一度言ってみろ」


 苦しそうに瞬きを繰り返し、ヒルデハイムは怯えた。

「は、はぁ……落ち着いてベアトリーチェ様ぁ! 連絡書に書いてあったでしょ、ルーヴェント! ルーヴェント神父ですよ~」


 

(そ、そんな、まさか、まさか……彼と同名の人物が、この世界にいるのか?)


 のはずはない、そう思いながらも、ベアトリーチェの心臓は肋骨を内側からぶち壊すかの勢いで暴れた。

 つかみ上げたヒルデハイムを背負い投げると、机の上の髪留めをとり、サッと亜麻色の髪を後ろにまとめた。


 気持ちが昂る、頬がふくらみ赤くなる。

 引き出しから鏡を取り出し、震える手を制御し唇に紅をさす。


(『あの人』のはずはない、こんな所に来るはずが……神父だと?……だが、しかしっ)


 男装した礼服の襟元を整え、ほこりをパンパンと手のひらで叩きおとす。



 院長室の床を蹴り、跳んだ。


 窓から飛び出したベアトリーチェは息を切らして、丘の上の修道院から転がり落ちるように港に向かい走った。


 頭の中にエフタルの王宮で聞いた、激しいヴァイオリンの戦慄がながれた。ロンバルディアの街で聞いた、打ち鳴らされる打楽器の響きが重なっていく。



 大海から吹きあげる潮風に斬りこむように、頬に熱いものを感じながら突っ走った。


 ふたりにしか、分からない何かがある。


 その潮風に、かすかに混じる匂いで……その神父の姿を見る前に、もうベアトリーチェには分かった。


――― 傭兵団長……あの人が、いる

 

 何度も転び、手の平は擦りむけて血が滲んでいた。

 男装の黒い礼服には、土埃がついた。


 港へ、神父の元へ、ベアトリーチェは走った。

 

 ――― ルーヴェント!


 涙が頬をつたい、足がちぎれ、腕がもげそうになり、吐く息は重く苦しくどうしようもないものになった。




いよいよ次回、最終回

『皆、お前を待っている』です。

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