エンディング 2/4 愛しき者の上に、白き雪は光となりて
□これはクレイヴァス(=ルーヴェント)とカシスのその後の物語。
大陸最北部の大森林。
果てしなくつづく針葉樹の森に、終わることなく降り続ける雪。
空と地平の彼方、どこまでも白の一色に覆われた大地。
俺たちの住む小屋の、扉を叩く者がいる。
気づいたように窓の外を見る、雪のふり方が穏やかなようだ。
暖炉の炎は力強く、部屋には木の匂いが満ちている。
「【セレス】か、入ってくれ」
黄色い防寒着をまとった、金髪で愛くるしい表情の少女が扉をあける。身長は高い方だが年齢はまだ十代の前半だろう。赤色の目で俺(=ルーヴェント=クレイヴァス)に微笑みかけてくる。
ハッカ飴でも舐めているような、特徴のある声が部屋に響く。
「クレイヴァスさん、相変わらず低くていい声だね、
セレスと呼ばれた少女は、犬ゾリから降ろした皮袋を床に降ろす。それから防寒着を脱ぐと積もった雪をはらって入口の近くに掛けた。
「セレス。いつもすまねえな、お湯沸かしてココアでも飲んでいけ」
「そうさせて、もらおっかな」
俺は戸棚にあるココア・パウダーの場所を指さす。セレスは黙ってそれを取る。
「ねえ……どう? 奥さんの具合は?」
セレスはそう言うと、ベッドに横になる妻の方をチラリと見た。
俺は笑顔をつくるが、目を閉じ首をちいさく左右にふる。
「……ごめんなさい」
セレスは
セレスには二~三週間に一度、村から犬ゾリで食料などの必需品を届けてもらっている。以前は一泊させていたが、最近はその日のうちに帰している。
はじめは断ったが、掃除や洗濯といったことまで終わらせて彼女は帰る。
当然だが、セレスとの体の関係は無い。
暖炉の炎と薪のストーブ、ふたつの炎の音、そして、セレスの食器を洗う音が重なってくる。
その食器の音は、元気だったころの妻・カシスの姿を思い出させた。
白布をとり、ベッドに眠る妻の額の汗の粒をぬぐう。
メモを取り出すと羽ペンで、セレスへの依頼品を書いてゆく。金貨四枚を添えてメモと共にテーブルに置いた。
「わ、配達料こんなに貰っていいんですか?」
俺は、聞こえるかどうかギリギリの声で「お前には、世話になっているからな」という。
もう一度窓の外を見ると、白い森に降りつづける雪は穏やかだ。羽ペンを指先でクルクルと回してみた。
雪につつまれた、見渡す限りの白い針葉樹林。
一番近い村まで犬ゾリで三時間かかる。
空も、大地も、すべてが白の一色に覆われた世界。
ここが、俺とカシスがたどり着いた二人最期の
□
外を見ても夜なのか、昼なのか分からない。
この時期になると、嵐をともなったかのように、風が雪と共に強く打ち付けてくる。
それでも頑丈な木材で建てられた小屋の中は、熱く暖かいものに感じられる。
カシスは、ひどい咳をするようになった。
俺はその度に唇を合わせ、彼女の体から黒くなった血を吸った。吸った血はベッドの脇に置いてあるバケツに溜め、一杯になると家の外に流した。
彼女が咳をしない時は、俺もベッド脇の椅子に座ったまま目を閉じて眠り続ける。日に日に、その時間が増えてきていた。
カシスは、咳をする体力も尽きてきているのだ。
つねにベッドの傍らに座り、目を開けている時は、出来うるかぎり寝顔を見つめ続けた。
樫で出来たテーブルには、セレスから貰った『冬にも咲く青い薔薇』がグラスに挿してある。
何故かその薔薇は枯れることなく、気づくと視界に入って来る。
さらにテーブルには赤い櫛が置いてあった。黒鷲傭兵団を抜け、旅に出たあとに俺がプレゼントしたものだった。
薔薇に目が行くのは、その櫛のせいかもしれない。
カシスの瞼が少し震えると、口元がわずかに開く。
その動きに合わせるように、小屋の中に死の影が揺れる。
戦場で幾多の死を見て来た俺には、その影がはっきりと見えた。
これが最後のやりとりになるかと思うと、体が震えはじめた。怖くて仕方がなくなる。
(カシス……俺は、お前がいないと駄目なんだ)
目を半分ほど開けたカシスの笑顔は、ただ美しかった。その透き通る瞳の美しさが、最後の命の光と思うと、ひどく俺の心に刺さった。
「カシス……」
「どうしたの?」
「どうだ、具合は」
「ええ……悪くない、わ」
「寒くないか?」
「大丈夫」
「カシス」
「はい」
「……この辺な」
「この辺?」
「この辺な……春になるとな」
「春に、なると?」
「春になると、その……、『妖精』が出るらしいぜ」
「……ぷっ、あははは、あははははっ」
「何がおかしいっ、村人から聞いたんだぞ」
「
「わ、悪いのかよ」
「ありがとう。でも……もういいんです」
「……」
「こんな私のために、最期まで付き合っていただいて……感謝しています」
「……最期じゃねえよ、春になったら……だから妖精を」
妖精を見よう。
探しに行こう。
雪の溶けた、緑の森へ。
二人で。
口に出せず、カシスの胸に顔をうずめた。
止まることなく涙が流れ続けた。
「何を泣いているんですか……ねえ、あなた、私を笑顔で見送ってもらえません…‥か?」
カシスは大きな咳を繰り返し、今までにないくらいに血を吐いた。唇を合わせようとする俺を、彼女は拒んだ。
そのまま最後の力を振り絞るように、表情を整えると俺の手を取る。
幾度と見て来た、聡明な顔つき。
取った手は、しなやかで力強く、熱い手だった。
最後の最後となり、ようやく気付く。
―――― 俺は、必死に、強いふりをして生きてきた。カシス……俺は、お前のように強くなりたかったんだ、と。
□
大きな風が音とともに、何度も小屋を揺らした。
気づいた時に周囲は、小屋の中も外も、暗闇になっていた。首を振りまわりを見渡すが何も見えない、自分の体すらも。
暗闇のなか小屋の戸を叩くものがいる。
扉が開けられ、一人の少女が入って来る。
暗闇のはずなのに、その姿ははっきりと見てとれる。
「ベーグル……」
ガシアス帝国の裏切りでフロストハイム王城が陥落した際に、亡くなった妹だった。
白銀の鎖帷子をまとい、剣を腰に履いている。亜麻色の髪に水色の髪留め、気が強そうな藍色の瞳。
その装備が、髪留めが、瞳が、すべてが凛々しく輝く。
――― !!!
俺は、妹ベーグルの姿が、今更のように誰かに似ていると気づく。
ベアトリーチェ……
ベーグルは片膝をつき、右手を胸にあて最敬礼のカタチを取る。
「兄上。姉上と共に仇をとっていただきありがとうございました。剣の腕、上げられましたね。でも、油断してはダメですよ。また頭を打たれて伸びちゃいますよ、あはは」
胸と喉が締まり、声を出せない。それでもガチガチと顎を動かし、必死に声を絞り出す。
「……………だから、何度もいっているだろう、わざとだよ。わざと負けてたんだ」
気が付くと、ベーグルの隣にカシスも片膝をつき、最敬礼の姿勢をとっていた。
その姿は、フロストハイム城から落ち延び、傭兵団を立ち上げた時期に、よく彼女が身に着けていた黒い革のジャケット姿だ。
「奴隷として売られていた私を、引き取っていただいてから……、殿下には苦しい人生だったでしょうが、私はいつも側においていただき
「カシス、お、俺はお前にひとめぼれして、だ、だから、当然だろ……当たり前だろ」
「クレイヴァス殿下……私の最愛の人。ここでお別れですね、私達は先にいきます」
その言葉を聞きベーグルが立ち上がると、カシスも立つ。
「…………カシスッ!!!」
カシスは手のひらを俺に見せると、表情もふくめて『最後に一言』という身振りをした。
「はやく行ってあげて下さい、傭兵団長ルーヴェントとして。あの子は今も、あなたを待っていますから、私のことは気になさらず、残りの日々を楽しんで。
思い残すことはありません……王子クレイヴァスは、私に最後の時まで愛を注いでくださいましたから」
「さようなら兄上、私は楽しかったよ。姉上にもよろしくね。女を泣かすことは許さんぞ! さあ、行こうカシス。カシス、お前には兄が世話になったな、このベーグル、深く礼をいうぞ」
ベーグルがカシスの手をとる。
「待て、待ってくれ、待って……」
「さようなら、兄上」
「さようなら、あなた」
カシスとベーグルの姿は、輝きながらも透明になってゆく。
抱きしめようと歩み寄るが、カシスの体をすり抜けてしまい、床に転んでしまう。
冷たく硬い床。
暗い闇。
床に手をついたまま、ふと上を見る。
光が粒となり、闇の中を雪のように舞い降りてくる。
触れた肩に、差し出した手に、光の雪は降り溶けてゆく。
光に包まれてゆく。
―――私の想いは光になりて、あなたを守り続けますから
慈しむような声は、体の細胞の隅々まで染みわたってゆく。
透き通るような、どこまでも美しい、カシスの声だった。
□
大陸最北部の森林地帯。
フロストハイム王国王子クレイヴァスは、その地に妻カシスを弔う。そして三年ほどの月日を、静かに一人で過ごす。
その後、彼の行方を知るものはいない。
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